2008.01.10 (Thu)
松下の名が消える
えべっさんで沸く大阪で、今日、驚くようなニュースが飛び込んだ。それは・・・・松下電器産業株式会社が、社名をパナソニック株式会社に変更すると発表されたことだ。
なんだ、それが驚くことかといえばそれまでであるが、私の世代にとってみると、松下電器は松下幸之助あっての松下であり、世界的家電メーカーの松下というのは、何処まで行っても松下であって、それがブランド名のパナソニックに変わってしまっては違和感があるというものなのだ。
私が子供の頃にサクセスストーリーとして、よく聞かされた話の中に松下幸之助の出世物語というものがあった。それは、1894年に和歌山で生まれた松下幸之助が、1917年に大阪の鶴橋でソケットを製造販売したことから全てが始まるという。幸之助と妻と妻の弟である井植歳男(三洋電機創業者)の3人で始め、やがて二股ソケットが好評で売れたという。そして、1918年、大阪の大開(現・福島区大開)で松下電気器具製作所を創立し、本格的に松下電器がスタートしたのである。
1933年には事業を拡大するために大阪府北河内郡門真町(現・大阪府門真市)に移転し、松下電器産業として成長していくのである。そして、今や売上高9兆1082億円、世界全体で650社のグループを抱え、従業員32万8000人という日本を代表する巨大企業へと成長してしまったのである。
ただ、その松下電器の今日があるというのは、偏に創業者・松下幸之助の力があったからに他ならないのであって、松下幸之助なくしては、ここまで会社が大きくならなかったであろうと思えるのである。
現代でも松下幸之助は、経営の神様として語り継がれる人物であり、伝記物語としてもよく名を挙げられる代表的な人物である。その松下幸之助が亡くなったのは、1989年だから、既に19年経過しているのだが、松下の名が今まで継続されていたのは、余りにも創業者の名前が大きかったということである。それが今、とうとう松下の名前が社名から消えてしまうということになった。うーん、確かにこれは驚きである。
昔、私が子供の頃の話であるが、テレビのコマーシャルで・・・明るいナショナル・・・・なんて歌があったが、松下の社名と共にブランド名はナショナルであった。その後、テクニクスなんてブランド名も併用していた時がある。そんな松下が何時の間にか、パナソニックなんてブランドまで使い出していた。
PAN=あまねく、SONIC=音・・・この2つの単語を組み合わせて「松下の音を世界に」といった意味を込めて、パナソニックというブランド名をスタートさせたのである。それ以降、松下は創業間もない頃から使っていたナショナルブランドは白物に限ることとなった。でも私の世代にとっては、松下はナショナルというブランド名が一番馴染みがある。
さて、とうとう松下の名が消えることになった訳であるが、これはどういうことなのか・・・・。つまり最近の松下は5代連続で創業者以外の人が社長に就任していることから、創業者の支配力が小さくなったためと考えられる。現在の松下で創業家出身者といえば、松下幸之助の娘婿・松下正治取締役相談役名誉会長と、その正治の長男・松下正幸代表取締役副会長の2人がいる。ところが実質的に、第一線を退いており現会長の中村邦夫、現社長の大坪文雄と実務派が経営の最高幹部にいる。したがって社の創業から90年続いた「松下」の名前を社から消滅させるには、松下家の理解が必要とされたのであるが、それが解決したものと思われる。
さらには創業家と経営とは分離が進んでいるとも言われ、海外ブランド力強化のためには、松下という名よりも海外で知名度が高いパナソニックの名を社名にする方が、営業的に見ると、海外での売り上げが伸びるという結論に至ったのであろう。要するにトヨタやソニーといった社名とブランド名が一緒の企業に比べると、ブランド力が弱いということで、海外での営業強化には是非とも必要な戦略であったともいえるであろう。
時代の流れだから、仕方が無いとは言え、とうとう松下幸之助の手綱から解き放たれ、創業家との関係が切れ掛かろうとしている。そして、何10年もすると、松下の名前が人々の間から忘れ去られパナソニックという会社名が当たり前になる頃、松下幸之助の存在も徐々に消えていくのかもしれない。でも私の世代にとっては、松下の名前が消えていくのに、一抹の寂しさはある。かつて子供の頃、テレビのヒーロー物でナショナル・キッドというものがあった・・・。
雲か 嵐か 稲妻か・・・こういった歌で始まるナショナル・キッドであったが、スポンサーが松下電器であった。だからナショナル・キッドなのであるが、これもやがて時代の渦の中に巻き込まれ、やがて忘却の彼方へ消えていくだろう・・・・。50年すれば、おそらく松下=パナソニックと連想する人は誰もいなくなるかもしれない。名前が変わり企業の性質も変わる。そして、グローバル企業として、何れは海外の企業を併合するかもしれない・・・・そして松下電器の名は完全に埋没してしまうのだろう。うーん、これが世の中の潮流なのだろうか・・・。
なんだ、それが驚くことかといえばそれまでであるが、私の世代にとってみると、松下電器は松下幸之助あっての松下であり、世界的家電メーカーの松下というのは、何処まで行っても松下であって、それがブランド名のパナソニックに変わってしまっては違和感があるというものなのだ。
私が子供の頃にサクセスストーリーとして、よく聞かされた話の中に松下幸之助の出世物語というものがあった。それは、1894年に和歌山で生まれた松下幸之助が、1917年に大阪の鶴橋でソケットを製造販売したことから全てが始まるという。幸之助と妻と妻の弟である井植歳男(三洋電機創業者)の3人で始め、やがて二股ソケットが好評で売れたという。そして、1918年、大阪の大開(現・福島区大開)で松下電気器具製作所を創立し、本格的に松下電器がスタートしたのである。
1933年には事業を拡大するために大阪府北河内郡門真町(現・大阪府門真市)に移転し、松下電器産業として成長していくのである。そして、今や売上高9兆1082億円、世界全体で650社のグループを抱え、従業員32万8000人という日本を代表する巨大企業へと成長してしまったのである。
ただ、その松下電器の今日があるというのは、偏に創業者・松下幸之助の力があったからに他ならないのであって、松下幸之助なくしては、ここまで会社が大きくならなかったであろうと思えるのである。
現代でも松下幸之助は、経営の神様として語り継がれる人物であり、伝記物語としてもよく名を挙げられる代表的な人物である。その松下幸之助が亡くなったのは、1989年だから、既に19年経過しているのだが、松下の名が今まで継続されていたのは、余りにも創業者の名前が大きかったということである。それが今、とうとう松下の名前が社名から消えてしまうということになった。うーん、確かにこれは驚きである。
昔、私が子供の頃の話であるが、テレビのコマーシャルで・・・明るいナショナル・・・・なんて歌があったが、松下の社名と共にブランド名はナショナルであった。その後、テクニクスなんてブランド名も併用していた時がある。そんな松下が何時の間にか、パナソニックなんてブランドまで使い出していた。
PAN=あまねく、SONIC=音・・・この2つの単語を組み合わせて「松下の音を世界に」といった意味を込めて、パナソニックというブランド名をスタートさせたのである。それ以降、松下は創業間もない頃から使っていたナショナルブランドは白物に限ることとなった。でも私の世代にとっては、松下はナショナルというブランド名が一番馴染みがある。
さて、とうとう松下の名が消えることになった訳であるが、これはどういうことなのか・・・・。つまり最近の松下は5代連続で創業者以外の人が社長に就任していることから、創業者の支配力が小さくなったためと考えられる。現在の松下で創業家出身者といえば、松下幸之助の娘婿・松下正治取締役相談役名誉会長と、その正治の長男・松下正幸代表取締役副会長の2人がいる。ところが実質的に、第一線を退いており現会長の中村邦夫、現社長の大坪文雄と実務派が経営の最高幹部にいる。したがって社の創業から90年続いた「松下」の名前を社から消滅させるには、松下家の理解が必要とされたのであるが、それが解決したものと思われる。
さらには創業家と経営とは分離が進んでいるとも言われ、海外ブランド力強化のためには、松下という名よりも海外で知名度が高いパナソニックの名を社名にする方が、営業的に見ると、海外での売り上げが伸びるという結論に至ったのであろう。要するにトヨタやソニーといった社名とブランド名が一緒の企業に比べると、ブランド力が弱いということで、海外での営業強化には是非とも必要な戦略であったともいえるであろう。
時代の流れだから、仕方が無いとは言え、とうとう松下幸之助の手綱から解き放たれ、創業家との関係が切れ掛かろうとしている。そして、何10年もすると、松下の名前が人々の間から忘れ去られパナソニックという会社名が当たり前になる頃、松下幸之助の存在も徐々に消えていくのかもしれない。でも私の世代にとっては、松下の名前が消えていくのに、一抹の寂しさはある。かつて子供の頃、テレビのヒーロー物でナショナル・キッドというものがあった・・・。
雲か 嵐か 稲妻か・・・こういった歌で始まるナショナル・キッドであったが、スポンサーが松下電器であった。だからナショナル・キッドなのであるが、これもやがて時代の渦の中に巻き込まれ、やがて忘却の彼方へ消えていくだろう・・・・。50年すれば、おそらく松下=パナソニックと連想する人は誰もいなくなるかもしれない。名前が変わり企業の性質も変わる。そして、グローバル企業として、何れは海外の企業を併合するかもしれない・・・・そして松下電器の名は完全に埋没してしまうのだろう。うーん、これが世の中の潮流なのだろうか・・・。
*Comment
Uncleyieさん、こんばんは。
お馴染みのナショナルの乾電池や白熱灯まで無くなるという発表は、私も驚きました。
こうやってパナソニックブランドを浸透させないと、国際的な競争に勝てないという危機感があるようです。
今の経営陣はブランド名だけでなく、家電販売店との関係や事業部制度の見直しなど、松下幸之助さんが採用した経営方法も見直しています。
社名変更は、こうした改革に一区切り付けて、創業者の経営哲学を引き継ぎながら、時代の変化にあった方法で、更なる発展を目指していく姿勢を示したものでしょう。
ナショナルの製品は、水戸黄門など時代劇のCMでもお馴染みでした。テレビのクイントリックスなど、流行語を生んだ面白い作品もありました。
本業でもVTRの規格ではVHS陣営に参入して、主導権を発揮しました。でも、ビデオディスク、次世代カセット、家庭用ゲーム機などは、規格競争に敗れています。また石油ファンヒーターによる死亡事故と回収騒ぎなど、必ずしもいいことばかりではありませんでした。
松下幸之助さんはまさに立志伝中の人物です。業界を代表する企業の創業者としてだけでなく、日本の産業界に大きな貢献と影響を残しました。
晩年に設立した松下政経塾は、名前を変えずに存続するそうです。
ナショナルや松下電器の名前が消えても、松下幸之助さんの遺産は形を変えて残されていくことでしょう。
お馴染みのナショナルの乾電池や白熱灯まで無くなるという発表は、私も驚きました。
こうやってパナソニックブランドを浸透させないと、国際的な競争に勝てないという危機感があるようです。
今の経営陣はブランド名だけでなく、家電販売店との関係や事業部制度の見直しなど、松下幸之助さんが採用した経営方法も見直しています。
社名変更は、こうした改革に一区切り付けて、創業者の経営哲学を引き継ぎながら、時代の変化にあった方法で、更なる発展を目指していく姿勢を示したものでしょう。
ナショナルの製品は、水戸黄門など時代劇のCMでもお馴染みでした。テレビのクイントリックスなど、流行語を生んだ面白い作品もありました。
本業でもVTRの規格ではVHS陣営に参入して、主導権を発揮しました。でも、ビデオディスク、次世代カセット、家庭用ゲーム機などは、規格競争に敗れています。また石油ファンヒーターによる死亡事故と回収騒ぎなど、必ずしもいいことばかりではありませんでした。
松下幸之助さんはまさに立志伝中の人物です。業界を代表する企業の創業者としてだけでなく、日本の産業界に大きな貢献と影響を残しました。
晩年に設立した松下政経塾は、名前を変えずに存続するそうです。
ナショナルや松下電器の名前が消えても、松下幸之助さんの遺産は形を変えて残されていくことでしょう。
JACK |
2008.01.12(土) 22:22 | URL |
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ブランド名が会社名という会社は多いです。そして社名がブランド名になったところも多いです。例えば東京通信工業→ソニー、壽屋→サントリー、東洋工業→マツダ、早川電気→シャープというように・・・・。でも松下の場合は、創業者の名前が大きすぎて、なかなか社名変更に踏み切るまでにはいたらなかっのだと思います。それで今の会長である中村邦夫氏か社長時代に、解体して再構築してから古い体質を変えていったといいます。されで、今まで社員をリストラしなかった松下が、最近は人減らしにかかっています。基本的には会社側からは止めさせないのですが、事業所の解体や、転勤などで本人が辞めると言うような方向にもっていってるそうです。私の周りには、松下関係の仕事に携わっている人が多いので、その情報は入ります。
でも、そんな人たちでもパナソニックへの社名変更は、寝耳に水だといいます。これはかなりの大英断だったのでしょう。でも、21世紀に入り今までのやり方では、通用しないというのは事実です。それにこれからは、世界視野で考えないといけない時代なので、行き着くところへ行き着いたのでしょう。
しかし、こちらとしては馴染むのには時間がかかるでしょう。国鉄がJRになっても、私は未だに国鉄という癖が直りませんから、私などは一生、松下と言ってしまいそうです。