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2012.04.14 (Sat)

タイタニックの遭難から100年

 ブログ更新は一週間ぶりとなる。どうも4月になってから残業が多くて忙しくブログ更新が満足にできなくなってしまった。帰宅時間が遅くなるからどうしても書く時間がないのだが・・・・・・。

 大阪の桜は散りかけているようだが京都周辺の桜がようやく満開になった(3日前が一番見応えがあったようだが)。でも朝から今にも雨が降りそうな雲行きだったので桜の花を見には行かなかった。どうも今春は土曜日に成ると雨がよく降る巡りあわせのようだ。朝から快晴だったらカメラを持って写真でも撮ろうかとも思ったが、はっきりしない天気では行く気も起らず雑用を済ませに出かけた。午後からは晴れてきたが何をいまさらである。まあ、しょうがないか・・・・・・・。

 ところで今日はタイタニック号の話をするとしようか・・・・。今からちょうど100年前の1912年4月15日午前2時20分、北大西洋において当時、世界最大と言われた豪華客船タイタニック号が沈没した。犠牲者の数は1513人(諸説あり)で海難史上もっとも大きな事故である。詳しく言うとイギリスのホワイト・スターライン社のオリンピック型豪華客船2番船であるタイタニック号。建造当時、全長269.1m、全幅28.2m、全高53m、46328総トンという世界最大の客船であった。船底は2重構造となっていて船体も喫水線上まで防水隔壁で16の区画に分けられていて、もしそのうち2区画に浸水しても沈没しないように設計されていて、100年前の水準では世界最高のハイテク客船であり浮沈船と言われていた。

 さて、そのタイタニック号であるが、1909年3月31日に起工された。造船を請け負ったのは、北アイルランドのベルファストにあるハーランド&ウルフ造船所である。2年後の1911年5月31日に進水し、1912年初頭にはほぼタイタニックは完成。そして1912年4月10日、いよいよイギリスのサウザンプトン港からニューヨークに向け処女航海に出発したのである。エドワード・J・シミス船長以下、乗員乗客合わせて2200人以上を乗せ一路、北大西洋へ・・・・・。まだ航空機の存在がなかった当時、ヨーロッパと北アメリカを結ぶ航路は花形でありドル箱の航路であった。ただ気に成る事は双眼鏡が行方不明だったことと北大西洋海上において流氷群が目立っていたということだった。タイタニックは何事もなく順調に航行してスピードを上げていた。最高速度23ノットのフルスピードでニューヨークに向かっていた。しかし、ホワイト・スターライン社のライバル会社であるキューナード・ラインの高速客船ルシタニア、モーリタニア(共に26ノットを誇る)に比較するとスピードでは劣っていた。でも豪華さでは勝っていたが、何故かこの処女航海の時のタイタニックはブルーリボン賞受賞(大西洋を最も速く横断した船舶に与えられる賞で東回りも西回りも当時はモーリタニア号が持っていた)を目指すかのようにフルスピードでモーリタニアの記録に挑戦するかのようにニューヨークに向かっていたという。そして、4月14日の深夜11時40分、北大西洋ニューファンドランド沖に達したとき前方450m先に高さ20mに及ぶ氷山を見張り台にいる船員が肉眼で発見。運悪くこの日は靄がかかっていたので発見が遅れたという説もあり、もし双眼鏡を使っていたとしても氷山を発見するのは難しかったかもしれない。なにしろレーダーがない時代の航海である。慌てた見張り員フレデリック・フィリートは鐘を鳴らしブリッジへ電話で連絡。22.5ノットで進んでいたタイタニックは急いで全力後進。しかしあまりにも氷山までの距離は近すぎた。左に旋回するように舵をとって避けるが船首からの衝突を逃れたものの右舷を氷山はこするようにかすめていった。

しかし、建造当時浮沈船と言われたタイタニックである。当時としては最新の設備が施されていて防水隔壁16区画に分けられ2区画まで浸水しても大丈夫とされていたが、実際には90mに及ぶ損傷で、浸水領域は6区画と限度を超えていた。これだと間違いなく沈没することが明らかになったのである。ただちにタイタニックは遭難信号を発するが結局は約100km離れたところを航海していたキューナード・ライン社の客船カルパチア号が応答し救助に向かったのであるが、その間にタイタニック号は轟音をたて海の藻屑となったのである。カルパチア号が現地に到着したのは沈没から2時間40分後の午前4時であった。

 以上、これがタイタニック誕生から沈没までの詳細である。その後、タイタニック号遭難事件のことは、たびたび映画化され本になり伝わるところである。ジェームス・キャメロン監督の映画『タイタニック』を観て、この話を知った人も多いだろうと思われる。ただ多くのことが伝えれれているものの謎が多いのも事実である。何故タイタニックはフルスピード航行していたのか・・・・。とてもブルーリボン賞を狙える設計ではなかったという。それでも乗船していたジェームス・ブルース・イズメイが飛ばせと言っていたという説もある。この男はオーナーでありながら船と運命をともにせず助かっている。その他には倒産寸前だったホワイト・スターライン社が保険金を得るために故意に沈めたとか、姉妹船のオリンピック号とすり替えられていたという説やら出てくる始末で、これらは憶測の域でしかない。しかし、タイタニック遭難事件はその後の船旅に大きな変革をもたらした。救命ボートも現在では乗客全員が乗れる程度は確保されているし、より安全に航海できるように改革はなされた。ただそれでも起こるのが海難事故である。結局は人間の驕りがあったとしか思えない。所詮、人間の造ったもの、自然界の脅威には太刀打ちできるものではない。今から100年前、タイタニック号の遭難は我々、人間に大きな警鐘を齎したはずだったが、その後の人類は同じ過ちをたびたび繰り返しているものの、今ではタイタニックの5倍もあるような巨大客船が航海している。こんな船必要なのかと思うけど、人間の欲望はとどまるところをしらないようだ。その後、ホワイト・スターライン社は皮肉にもライバル会社だったキュナード・ライン社に吸収され、キュナード・ライン社は現在でも豪華客船クイーン・エリザベス号(90400トン、全長294m)、クイーン・ヴィクトリア号(90049トン、全長294m)、クイーン・メリー号(148528トン、全長345m)を就航させていて、現在の客船はタイタニックの比ではないほど巨大化している。これだけ巨大化してしまうと、いったん事故が起こるやその遭難者の数も甚大なものになるだろう。でも現在、タイタニックの悲劇は忘却されたかのようだ。明日、タイタニック号遭難から100年を迎えるに当たり、もう一度、我々、人類に過信がないか見つめなおした方がいいかもしれない。


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