2012.08.06 (Mon)
田辺清、桜井孝雄、森岡栄治・・・・・清水聡
もう8月6日である。毎日、暑くて暑くてへばっているが、連日ロンドンではオリンピックが開催されいるようだ。日本との時差は8時間なので、朝、出勤時に各競技の生中継が入る。なので観るつもりはないがつい観いってしまう。相変わらず日本は苦戦続きで柔道は惨敗した。まあ、柔道というよりもJUDOというポイント制のスポーツに負けたのだろう。今の柔道はもう嘉納治五郎が提唱した柔道という武道ではなく、JUDOという名のポイント制スポーツとして世界に広まってしまった。最早、日本だけの柔道ではない。世界的に広がる過程で柔道そのものが変わって行ったとしかいいようがないが、今の柔道はチマチマしたポイントを稼ぐつまらない格闘技となってしまった。観ていてもつまらない競技である。もう日本柔道も変わらないといけないのかも・・・・。
ところで同じ格闘技であるが、今朝、ボクシング・バンタム級日本代表の清水聡選手が銅メダル以上を獲得したという知らせが入った。日本の選手がオリンピックのボクシングでメダルを獲得するのは実に44年ぶりだという。そういえば44年前というと小生は中学生。メダリスト誕生は、1968年のメキシコ・オリンピックでバンタム級代表の森岡栄治が銅メダルと獲って以来という。森岡栄治なんて久々に聞く名前である。大阪の浪商高校出身で近大を経てプロ入りしたボクサーだった。メキシコ・オリンピックのメダリストだからということで注目されたが、プロ入り後はもう一つで結局は11戦7勝4敗で引退した。まだ25歳の若さだったが右目の網膜剥離で引退。その後、ジムを経営していたが、2004年に亡くなっている。
そういえばオリンピックのボクシングというと田辺清、桜井孝雄の2人は忘れられない。田辺清はローマ・オリンピック・フライ級の銅メダリスト。プロ入りし連戦連勝。ノンタイトル戦で当時の世界フライ級チャンピオンだったオラシオ・アカバリョを6回TKOに破り、世界が目に入ったものの残念ながら網膜剥離になり引退。その後に失明した。戦績は22戦21勝(5KO)無敗1引き分けというから残念である。当時の日本にはフライ級に海老原博幸がいたし大場政夫もいたことを考えれば、田辺清の早目の引退は実に惜しかったものである。
ローマ・オリンピックから4年後に東京オリンピックが行われた。この頃、小生は小学生。おそらく史上初めて世界中に生中継されたオリンピックであろう。それで毎日、小生はテレビにかじりついて中継を観ていた。そんな中で、桜井孝雄はボクシング・バンタム級で日本人初の金メダリストとなった。その後、桜井はプロ入りし、連戦連勝。とうとう無敗のままファイティング原田から世界バンタム級タイトルを奪ったライオネル・ローズに挑戦したことを思い出した。桜井はサウスポーのテクニシャンで、相手に打たれず打つというテクニックを持っていた。それが功を奏し前半でローズからダウンを奪い試合を有利に進めたが、その後、あまりにも消極的になり、15回を戦って僅差の判定で敗れた。桜井は32戦30勝(4KO)2敗の戦績で引退。今年の1月に食道がんで亡くなった。
今日、清水聡がメダルを獲ったという話を聞いて、過去にはこういった先人がいたという話をしたのだが、このボクシングも日本ではだんだんとマイナーなスポーツになりつつある。今後、日本人がオリンピックのボクシング競技でメダルを獲得することがあるのかどうか、それさえも難しいような気がする。それだけに銅メダル以上獲得というニュースは意外性があったということであり、また注目されなかった中でのメダリスト誕生は喜ばしいものがあった。
ところで同じ格闘技であるが、今朝、ボクシング・バンタム級日本代表の清水聡選手が銅メダル以上を獲得したという知らせが入った。日本の選手がオリンピックのボクシングでメダルを獲得するのは実に44年ぶりだという。そういえば44年前というと小生は中学生。メダリスト誕生は、1968年のメキシコ・オリンピックでバンタム級代表の森岡栄治が銅メダルと獲って以来という。森岡栄治なんて久々に聞く名前である。大阪の浪商高校出身で近大を経てプロ入りしたボクサーだった。メキシコ・オリンピックのメダリストだからということで注目されたが、プロ入り後はもう一つで結局は11戦7勝4敗で引退した。まだ25歳の若さだったが右目の網膜剥離で引退。その後、ジムを経営していたが、2004年に亡くなっている。
そういえばオリンピックのボクシングというと田辺清、桜井孝雄の2人は忘れられない。田辺清はローマ・オリンピック・フライ級の銅メダリスト。プロ入りし連戦連勝。ノンタイトル戦で当時の世界フライ級チャンピオンだったオラシオ・アカバリョを6回TKOに破り、世界が目に入ったものの残念ながら網膜剥離になり引退。その後に失明した。戦績は22戦21勝(5KO)無敗1引き分けというから残念である。当時の日本にはフライ級に海老原博幸がいたし大場政夫もいたことを考えれば、田辺清の早目の引退は実に惜しかったものである。
ローマ・オリンピックから4年後に東京オリンピックが行われた。この頃、小生は小学生。おそらく史上初めて世界中に生中継されたオリンピックであろう。それで毎日、小生はテレビにかじりついて中継を観ていた。そんな中で、桜井孝雄はボクシング・バンタム級で日本人初の金メダリストとなった。その後、桜井はプロ入りし、連戦連勝。とうとう無敗のままファイティング原田から世界バンタム級タイトルを奪ったライオネル・ローズに挑戦したことを思い出した。桜井はサウスポーのテクニシャンで、相手に打たれず打つというテクニックを持っていた。それが功を奏し前半でローズからダウンを奪い試合を有利に進めたが、その後、あまりにも消極的になり、15回を戦って僅差の判定で敗れた。桜井は32戦30勝(4KO)2敗の戦績で引退。今年の1月に食道がんで亡くなった。
今日、清水聡がメダルを獲ったという話を聞いて、過去にはこういった先人がいたという話をしたのだが、このボクシングも日本ではだんだんとマイナーなスポーツになりつつある。今後、日本人がオリンピックのボクシング競技でメダルを獲得することがあるのかどうか、それさえも難しいような気がする。それだけに銅メダル以上獲得というニュースは意外性があったということであり、また注目されなかった中でのメダリスト誕生は喜ばしいものがあった。
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