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2012.12.09 (Sun)

ジョン・レノンの過去のアルバムを聴きながら・・・・・

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 昨日の12月8日はジョン・レノンの命日である。というよりも仏教の年忌法要でいうところの33回忌(没後32年目)である。もっともジョン・レノンはイギリス人なので関係がないが、妻が日本人の小野洋子であったことから記事にしてみようと思い立ったまでである。

 今から32年前の12月8日、ニューヨークのダコタ・ハウス。このダコタ・ハウスには当時ジョン・レノンの自宅があった。この日の午前、ジョン・レノンは雑誌に掲載する写真の撮影に臨み、夕方からは小野洋子の新曲のミックスダウン作業のためレコーディング・スタジオに出かけていた。そして、夜の10時50分、ジョンとヨーコを乗せた車がダコタ・ハウスの前に到着。2人が車から降り立ちすくんだ時、その場にいたマーク・チャップマンという若い男がレノンを呼び止め、持っていた拳銃をジョン・レノンに向けて5発発射。そのうち3、4発がジョン・レノンに命中。数歩進んで倒れる。直ちに警備員は警察署に電話。セントラルパーク署から警官がすぐに到着。ジョン・レノンをパトカーに乗せ近くの病院に搬送。一方、撃った犯人は謎の行動をとっていた。現場から逃げず、手にしていたアルバム『ダブル・ファンタジー』を放り出し、サリンジャーの小説『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいたりその場を徘徊したりしていた。マーク・チャップマンは逮捕されても抵抗しなかったという。現在も刑務所で服役中のマーク・チャップマンは元整備工で銃撃の3ヶ月前に『サージェント・ペパーズ』のアルバム・ジャケットでジョンを見て計画をたてたと話している。「彼の顔を見て混乱して自分が誰でもないと感じる私の疑問が解決できるという感覚が同時に心に浮かんだ。それでこう言った『もし、彼を殺せば大したものじゃないか。有名になるし誰でもない人間でなく大物になれるぞ』それがその当時の私の論法だった」「私はその時、ジョンを感知し彼を誠実でないと間違った判断をした。彼は豪華な建物に住み愛とか他のことについてずっと歌っていた。私はこれに腹が立ったんだ」と言い、殺したことに対しては恥じていて後悔しているとアッティカ刑務所において最近は話している。何れにせよマーク・チャップマンが事件当初に言われていたジョン・レノンの熱狂的ファンではなくストーカーをしていたのでもない。ただの狂った男が拳銃を乱射しただけだったのだ。しかしチャップマンが起こした過ちは余りにも大きかったということであり、それ以外の何ものでもなかった。

 ところでジョン・レノンの死後32年にあたり思うことであるがビートルズって一体何だ? 今更、問うことでもないが色々なメディアで語られるところによると、ポピュラー音楽の概念を変えたグループ。ロック・グループ、アイドルというジャンルを超越したミュージシャン。20世紀後半のポップス界におけるスーパーグループ・・・・・・・・。そのような解説がなされている。それまで作曲家、作詞家、歌手という分業制が当たり前だった商業音楽の世界をビートルズが出現したことにより、大きく変わっていったことは否めない。自ら曲を作りみずから演奏する。さらには、それまでポップスであまり使わなかった楽器であるヴァイオリンやチェロ、電子音楽、管弦楽を使用。アルバム制作に至ってもだだ曲を集めただけの物から脱皮しコンセプトアルバムのようなものを次から次へ発表して、その後に続くミュージシャンの音楽づくりの模範となった。さらに付け加えるならばファッションからライフスタイル及び言動まで当時の若者に影響を与え続けた。当初はアメリカのロックンロールを踏襲したかのようなビートポップス・グループでしかなったが、やがて4人の個性が突出し始め、ビートルズの音色のようなものが出来上がっていった。それがカリスマ性を発揮し出し、アイドル・グループからミュージシャン、やがてアーティストの域まで階段を駆け上るかのように疾走し、あっという間に消えていったグループがビートルズである。解散から42年経った今でもビートルズの楽曲は売れ続け新たなファンを獲得している。こんな現象はあまり聞かない。ビング・クロスビー、フランク・シナトラは古すぎて比較の対象にさえならないが、エルヴィゥ・プレスリー、バディ・ホリー、チャック・ベリーの楽曲がヒットチャートに登場することはないし、ローリング・ストーンズ、ビーチ・ボーイズ、ボブ・ディラン、レッド・ツェッペリンでさえビートルズと比較するとマニアックなアーティストにすぎないだろう。その昔、ヘビーなサウンドでビートルズのライバルと言われていたデイヴ・クラーク・ファイブというグループがいた。だが曲調が弾みっぱなしで抑揚がなく単調すぎて飽きられていった。それがビートルズは飽きられずに絶えず変化し続けた。結果として僅か実働8年間で解散してしまったのであるが、その中身は余りにも濃いと言わざるを得ない。

さて、そのビートルズの中心的人物であったのがジョン・レノンである。ジョンはビートルズ解散後は妻であるオノ・ヨーコと行動を共にした。何かとジョン・レノンのアルバムに顔を出す。いや既にビートルズのアルバム『Let It Be』のレコーディング中のスタディオには常にオノ・ヨーコの姿があった。このオノ・ヨーコこそがビートルズの解散の要因の一つだと言う人もいた。そうなんだろうか・・・・・・よく判らないが、既にビートルズはその数年前から各自が単独で動き出していた。ただポール・マッカートニーとジョン・レノンとの間にはオノ・ヨーコが出現しようがしまいが何れ隙間風が起こり、それぞれの道を歩むであろうと言うような予測もなりたっていたし、ポールにはリンダが既にいた。彼等はもう夢を追い続け、ロックンロールを歌ってキャーキャーと騒がれ続けるアイドルでも既になかった。それぞれの進むべき道が待っていたとしか言いようがないだろう。

ジョン・レノンがソロに成り、発売したアルバムが今、手元にある。『ジョンの魂』『イマジン』『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』『マインド・ゲームス』『心の壁、愛の橋』『ロックン・ロール』『ダブル・ファンタジー』『ミルク・アンド・ハニー』・・・これらのアルバムに収録されているいくつかの楽曲『マザー』『ゴッド』『ラヴ』『イマジン』『インスタント・カーマ』『パワー・トゥ・ザ・ピープル』『女は世界の奴隷か』『真夜中を突っ走れ』『マインド・ゲームス』『夢の夢/♯9』『ハッピー・クリスマス』『スターティング・オーヴァー』『ウーマン』・・・こうした曲を聴くにつれオノ・ヨーコの影響が少なからずあるという感想を持つに至るのである。ビートルズの終焉が噂されていた頃、ジョン・レノンは結局ビートルズを捨ててオノ・ヨーコを選択したのだ。そして、そのヨーコの影響が少なくともソロになってからの楽曲の変化として主に歌詞に見られるかもしれない。ジョン・レノンはオノ・ヨーコと共にこのあたりから急進的に政治運動に傾斜していく。本来から前衛芸術家であり、活動家でもあったオノ・ヨーコがジョン・レノンとの結婚後はジョン・レノンを伴って反戦文化人として抗議やデモに参加、暴動の被害者救済コンサートを行ったりしてオノ・ヨーコがジョン・レノンに与えたものは少なくないのだ。ジョン・レノンはかつてオノ・ヨーコのことを「世界で最も有名な無名アーティスト。誰もが彼女の名をを知っているが誰も彼女のしていることを知らない」と語るほどオノ・ヨーコの芸術性を高く評価しているのである。こうして時代が進みビートルズは60年代で消滅しジョン・レノンも70年代で消滅するのであるが、私の心の中には未だにジョン・レノンは生き続けている。それと言うのも死や消滅という常套句で片づけられる程度のレベルの範疇にビートルズやジョン・レノンを入れてほしくないと思うからでもあるが、未だにビートルズは何処かしこに居ても楽曲は流れているし、ジョン・レノンの精神を受け継いだアーティストが死後何10年を経てもジョン・レノンの曲をカバーするなりして歌い続けてくれるからである。そして、世界のどこかで今でも『抱きしめたい』『ヘルプ』『イン・マイ・ライフ』『ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー』『平和を我等に』『イマジン』『ハッピー・クリスマス』・・・歌い続けられているのである。

"Jealous Guy"を歌うJohn Lennon


"Instant Karma"歌うJohn Lennon


"Woman"の映像
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