2013.04.14 (Sun)
お好み焼きを作って食べる
小生、時々であるがお好み焼きを作って食べることがある。そういえば子どもの頃にはお好み焼き店が近所に数件あった。昭和30年代なんて今ほど食い物が豊富でなく、マクドナルドもケンタッキー・フライドチキンもミスター・ドーナッツも巷にはなく、当然のようにコンビニエンス・ストアもない。そんな時代にガキが少々のお金を持って行くところと言えば駄菓子屋であり近所のおばちゃんが焼いているお好み焼き屋であった。それで土曜日にでもなると午前中で学校が終わるので、小銭を持ってお好み焼きを食べに行くのであった。
今のようにお好み焼き店もチェーン化していなくて、近所のお好み焼き屋で食べるのが当時の子供の主流であっただろう。またおばちゃんが1人で焼いているところが多く店も近所だけで数軒あったように思う。でも店によって微妙に味が違うので、次第に好みによって行く店が決まっていたように思う。それで当時主流だったお好み焼きであるが、今では当たり前になっている関西風と言われるお好み焼きではなく、まず鉄板の上に溶かしたメリケン粉を薄くクレープの生地のように丸く敷き、その上にキャベツをてんこ盛りにする。そして天かすや紅ショウガ、イカ、豚肉とかをトッピングして、ひっくり返す。焼けてきたら卵を焼いてその上に生地をかぶせ、最後にソースをかけて、カツオの粉、青ノリ等をかけて出来上がり。熱い熱いといいながら鉄板にあるお好み焼きをコテで切り、コテの上に乗せて食べる。間違っても小さく切って皿の上に乗せて箸で食うような食べ方はしなかった。これだと冷めてしまうから美味しくないのである。
ここで気がつかれたかと思うが、焼き方が今でいう関西風のお好み焼きではなく、明らかに広島風の焼き方である。つまり昭和30年代は関西でもこういった戦前の洋食焼きのスタイルの店も多かったのだ。それが何時の間にか粉も具も混ぜこぜにしてた焼き方が主流になってしまったのである。おそらくこれは大阪に本店のあるお好み焼きチェーンが全国展開する途上で、開発した焼き方であろうと思える。また昔はマヨネーズなんてつけなかった。それが戦後まもなく例の大阪のお好み焼きチェーンがマヨネーズとカラシを混ぜたものをソースに乗せて味付けをする。これが全国展開する中で関西のお好み焼きとして知られるようになったのだろう。だから関西風は混ぜこぜのお好み焼きにソースとマヨネーズを乗せて食べる。こうして広島風と区別されてしまうようになった。しかしお好み焼きなんて名前の通りどのように焼いてもいいのだし、関西風だ広島風だというのもおかしなものである。こんなもの10軒店があれば、10軒とも異なっていてもいいぐらいだし具に何を入れようが構わない。でも何時の間にかイカ、豚、天かす、ショウガ等を入れるのが当たり前になってしまったかな。
本来、お好み焼きなんて言うものは江戸時代中期に生まれた麩焼きがその起源とされる。麩焼きというのは水で溶いた小麦粉を薄く焼き味噌を塗って食べるというもの。それが時代が進み明治になると味噌の代わりに餡を巻く助惣焼きなるものが流行したと物の本に書いてある。それが大正時代になると東京ではもんじゃ焼きに発展し、大阪ではベタ焼き、チョボ焼きに代わっていった。昭和になると洋食焼きが出てきて、これが後のお好み焼きとなるのである。いわばB級グルメの王道となるのだが、けして上品な食べ物ではない。下町にあって近所の人が下駄ばきでやってきて食べていくというのが、小生の子供の頃の光景であった。
さて、話が長くなってしまったが昼にお好み焼きを作って食べた。小生が作ると大きくなる。丼鉢に溶かしたメリケン粉、卵、天かす、キャベツ、ショウガ、イカを入れてしまう。ここにベーキングパウダー、山芋、隠し味に色々と入れるが・・・・・・。それをかき混ぜてホットプレートで焼く。本来ならば大きな鉄板があればいいのだが無い物は仕方がない。ひっくり返した時にどうしてもホットプレートの真ん中の温度が下がるから、鉄板のように美味しく出来ないのだ。なにしろ鉄板に比べるとホットプレートは薄いからどうにもならない。こうしてどうにか完成。
それを皿に移してコテで切りながら食べる。小生は昔からお好み焼きは箸で食べないのだ。まあ、これが関西では一般的なのだが、最近は大阪でも鉄板の火を切って、生地を細かく切ってから皿に乗せて箸で食べるという店が増えてきたが、これだとあまり美味しくない。やはり鉄板の上で切りながら一つ一つを熱い熱いと言いながらコテに乗せて食べるのが本来のお好み焼きの食べ方と思うのだがな・・・・。
キャベツもたっぷりと・・・・・
マヨネーズはつけない。シンプルであるが直径22㎝の大きなお好み焼き。
今のようにお好み焼き店もチェーン化していなくて、近所のお好み焼き屋で食べるのが当時の子供の主流であっただろう。またおばちゃんが1人で焼いているところが多く店も近所だけで数軒あったように思う。でも店によって微妙に味が違うので、次第に好みによって行く店が決まっていたように思う。それで当時主流だったお好み焼きであるが、今では当たり前になっている関西風と言われるお好み焼きではなく、まず鉄板の上に溶かしたメリケン粉を薄くクレープの生地のように丸く敷き、その上にキャベツをてんこ盛りにする。そして天かすや紅ショウガ、イカ、豚肉とかをトッピングして、ひっくり返す。焼けてきたら卵を焼いてその上に生地をかぶせ、最後にソースをかけて、カツオの粉、青ノリ等をかけて出来上がり。熱い熱いといいながら鉄板にあるお好み焼きをコテで切り、コテの上に乗せて食べる。間違っても小さく切って皿の上に乗せて箸で食うような食べ方はしなかった。これだと冷めてしまうから美味しくないのである。
ここで気がつかれたかと思うが、焼き方が今でいう関西風のお好み焼きではなく、明らかに広島風の焼き方である。つまり昭和30年代は関西でもこういった戦前の洋食焼きのスタイルの店も多かったのだ。それが何時の間にか粉も具も混ぜこぜにしてた焼き方が主流になってしまったのである。おそらくこれは大阪に本店のあるお好み焼きチェーンが全国展開する途上で、開発した焼き方であろうと思える。また昔はマヨネーズなんてつけなかった。それが戦後まもなく例の大阪のお好み焼きチェーンがマヨネーズとカラシを混ぜたものをソースに乗せて味付けをする。これが全国展開する中で関西のお好み焼きとして知られるようになったのだろう。だから関西風は混ぜこぜのお好み焼きにソースとマヨネーズを乗せて食べる。こうして広島風と区別されてしまうようになった。しかしお好み焼きなんて名前の通りどのように焼いてもいいのだし、関西風だ広島風だというのもおかしなものである。こんなもの10軒店があれば、10軒とも異なっていてもいいぐらいだし具に何を入れようが構わない。でも何時の間にかイカ、豚、天かす、ショウガ等を入れるのが当たり前になってしまったかな。
本来、お好み焼きなんて言うものは江戸時代中期に生まれた麩焼きがその起源とされる。麩焼きというのは水で溶いた小麦粉を薄く焼き味噌を塗って食べるというもの。それが時代が進み明治になると味噌の代わりに餡を巻く助惣焼きなるものが流行したと物の本に書いてある。それが大正時代になると東京ではもんじゃ焼きに発展し、大阪ではベタ焼き、チョボ焼きに代わっていった。昭和になると洋食焼きが出てきて、これが後のお好み焼きとなるのである。いわばB級グルメの王道となるのだが、けして上品な食べ物ではない。下町にあって近所の人が下駄ばきでやってきて食べていくというのが、小生の子供の頃の光景であった。
さて、話が長くなってしまったが昼にお好み焼きを作って食べた。小生が作ると大きくなる。丼鉢に溶かしたメリケン粉、卵、天かす、キャベツ、ショウガ、イカを入れてしまう。ここにベーキングパウダー、山芋、隠し味に色々と入れるが・・・・・・。それをかき混ぜてホットプレートで焼く。本来ならば大きな鉄板があればいいのだが無い物は仕方がない。ひっくり返した時にどうしてもホットプレートの真ん中の温度が下がるから、鉄板のように美味しく出来ないのだ。なにしろ鉄板に比べるとホットプレートは薄いからどうにもならない。こうしてどうにか完成。
それを皿に移してコテで切りながら食べる。小生は昔からお好み焼きは箸で食べないのだ。まあ、これが関西では一般的なのだが、最近は大阪でも鉄板の火を切って、生地を細かく切ってから皿に乗せて箸で食べるという店が増えてきたが、これだとあまり美味しくない。やはり鉄板の上で切りながら一つ一つを熱い熱いと言いながらコテに乗せて食べるのが本来のお好み焼きの食べ方と思うのだがな・・・・。
キャベツもたっぷりと・・・・・
マヨネーズはつけない。シンプルであるが直径22㎝の大きなお好み焼き。
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