2014.01.02 (Thu)
ベートーヴェンの交響曲第3番『エロイカ』を聴く
上がフルトヴェングラー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のCD
下がブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団のCD

何時の頃から本格的にクラシック音楽を聴くようになったのかな。幼少の頃、姉が持っていたオルゴールのメロディはチャイコフスキーの『白鳥の湖』だったし、テレビで放映されていた『ローン・レンジャー』はロッシーニの『ウィリアム・テル序曲』を使っていたし、日本で最初のテレビ・アニメ『鉄腕アトム』第1回の放映の時は、ショスタコーヴィッチの交響曲第5番第1楽章、ベートーヴェン交響曲第5番の冒頭、ワーグナーの『ローエングリン』第1幕の前奏曲を立て続けに流していたし、吉永小百合主演の日活映画『キューポラのある町』ではブラームスの交響曲第4番の第1楽章を使っていた。これらは全て小学生の頃の思い出であるが、それで小学生の頃、学校から大阪にあるフェステイバル・ホールというところへ初めて行った。そして大きいホールなので唖然とした。その時は大阪フィルが小学生向けの短い曲ばかりを演奏していたが、今となっては何を演奏したのか、指揮者が誰だったのかも覚えてない。ただビゼーの『カルメン前奏曲』『アルルの女のファランドール』、メンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』から『結婚行進曲』、鉄腕アトムのテーマ曲等を演奏したのだけは覚えている。でも、当時聴いていたのはほとんど断片で、交響曲や協奏曲とかいった楽章が幾つかある曲は聴いた事がなかったように思う。それで中学に入ってからLP盤を1枚買ったのであるが、それがブルーノ・ワルター指揮、コロンビア交響楽団演奏のベートーヴェン交響曲第3番『英雄』変ホ長調 作品55というやつである。何故、この曲のLP盤を買ったのか記憶はない。確か、母が何かレコード盤を買ってあげるからということで、これを選んだという事だけは覚えている。ただし中学生当時、小生は洋楽のポップスに夢中で、それこそビートルズやローリング・ストーンス、アニマルズ、モンキーズ、その他大勢に夢中になっていて、クラシックを熱心に聴いていたのでもない。だが、小学生の時、ステレオ・プレーヤーと言う珍しい代物が家に入ってきたとき、その試聴盤をよく聴いていた。その試聴盤は小田急の特急が通過する音や、卓球の球が左右に跳ねていく音、ジェットコースターの音とかに混じってクラシックの曲も幾つか入っていた。それでベートーヴェンの5番(昔は運命なんていわれたが)の第1楽章(フリッツ・ライナー指揮、シカゴ交響楽団)は繰り返し聴いていたのである。そういった体験が過去にあったので、いつかクラシックの大曲を全て聴いてみたいという思いが心のどこかにあったのだろう。それで小学生の時にベートーヴェンの伝記を読んだことがあり、ナポレオンの偉業に触発されてこの交響曲3番を作曲したことを覚えていたので、当時、全曲聴いてみたいと思っていたのかもしれない。
ベートーヴェンの交響曲3番は通称『エロイカ』というが、ベートーヴェン自身が名付けたタイトルである。この曲の着想は1802年というからベートーヴェンがハイリゲンシュタットで自殺しようと思い遺書まで残した頃だとされる(何故、自殺まで考えたのかは謎。耳が聞こえなくなってきたというのも一因とされるが)。自殺まで考えたベートーヴェンであるが、一方でナポレオンが破竹の勢いで現れた。このナポレオンの偉業を英雄として曲にしようといった着想が出てきたのである。ベートーヴェンはやがて立ち直り『エロイカ』を作曲する。ベートーヴェンの無給秘書をもって自ら任じていたシントラーの書いた『ベートーヴェン伝』によると1804年の春に完成したこの交響曲の写しをベートーヴェンはフランス大使館を通じてパリに送ろうとしたそうである。それはナポレオンに献呈するつもりだったからだが、5月18日にナポレオンが皇帝に即位したという知らせがベートーヴェンの耳に入り表紙を破り捨て楽譜を床に叩きつけたという。「あの男も要するに俗人であった。あれも自分の野心を満足させるために、民衆の権利を踏みにじって、誰よりも暴君になるだろう」と叫んだらしい。
フランス革命は1789年に勃発、コルシカ島出身の砲兵士巻官、議会軍を指揮してこの大革命に登場、片っ端から敵を倒し国内最高司令官、イタリア遠征軍司令官、連戦連勝と言う超人ナポレオンに、ベートーヴェンは自由精神の旗手、人間解放の姿を見たのかもしれない。革命的英雄に対する讃歌としてこの交響曲は書かれたのであるが、皇帝に即位したということで裏切られたように思ったのかもしれない。結局、この大曲は『シンフォニア・エロイカ』とイタリア語で譜面に書かれ〈ある偉人の想い出をまつるために作曲された〉という言葉が添えられていた。
完成した当初は不評であった。長過ぎる。統一感がない。明るさと透明さがない。それまでのハイドン、モーツァルトが書いた交響曲に比べると倍ぐらい長い曲で、第2楽章が葬送行進曲で第3楽章がスケルツォというこれまでにない形式の新しい形の交響曲となった。それ故に革新的だったのだろう。当初は不評だったが、今思えばそれらの不評はこの曲の長所の裏返しであり、『エロイカ』が時代の先を行った素晴らしい曲であるということを指摘しているようなものだ。小生などはこの曲を回を重ねて聴くようになればなるほど、ベートーヴェンの『エロイカ』に愛着がわいていったほどだ。そして現在、小生の手元には『エロイカ』のCDだけで30枚以上ある。指揮者でいえばフルトヴェングラーからトスカニーニ、ワルター、E・クライバー、クレンペラー、モントゥー、カラヤン、ベーム、オーマンディ、クナッパーツブッシュ、バーンスタイン、ショルティ、アバド、H・S・イッセルシュテット、ホグウッド、マリナー等、フルトヴェングラーだけで何枚あるかな・・・・。とにかくこの曲を聴くと気分が鼓舞されるというか、べートーヴェンの交響曲の中では個人的に1番好きな曲である。それ故に聴きまくったという思いはある。とにかく、この曲を最初から最後まで聴いてから、クラシック音楽を本格的に聴くようになったのでもある。それだけに忘れられない曲でもある。
レナード・バーンスタイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
べートーヴェン 交響曲第3番『英雄』第1楽章
下がブルーノ・ワルター指揮 コロンビア交響楽団のCD

何時の頃から本格的にクラシック音楽を聴くようになったのかな。幼少の頃、姉が持っていたオルゴールのメロディはチャイコフスキーの『白鳥の湖』だったし、テレビで放映されていた『ローン・レンジャー』はロッシーニの『ウィリアム・テル序曲』を使っていたし、日本で最初のテレビ・アニメ『鉄腕アトム』第1回の放映の時は、ショスタコーヴィッチの交響曲第5番第1楽章、ベートーヴェン交響曲第5番の冒頭、ワーグナーの『ローエングリン』第1幕の前奏曲を立て続けに流していたし、吉永小百合主演の日活映画『キューポラのある町』ではブラームスの交響曲第4番の第1楽章を使っていた。これらは全て小学生の頃の思い出であるが、それで小学生の頃、学校から大阪にあるフェステイバル・ホールというところへ初めて行った。そして大きいホールなので唖然とした。その時は大阪フィルが小学生向けの短い曲ばかりを演奏していたが、今となっては何を演奏したのか、指揮者が誰だったのかも覚えてない。ただビゼーの『カルメン前奏曲』『アルルの女のファランドール』、メンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』から『結婚行進曲』、鉄腕アトムのテーマ曲等を演奏したのだけは覚えている。でも、当時聴いていたのはほとんど断片で、交響曲や協奏曲とかいった楽章が幾つかある曲は聴いた事がなかったように思う。それで中学に入ってからLP盤を1枚買ったのであるが、それがブルーノ・ワルター指揮、コロンビア交響楽団演奏のベートーヴェン交響曲第3番『英雄』変ホ長調 作品55というやつである。何故、この曲のLP盤を買ったのか記憶はない。確か、母が何かレコード盤を買ってあげるからということで、これを選んだという事だけは覚えている。ただし中学生当時、小生は洋楽のポップスに夢中で、それこそビートルズやローリング・ストーンス、アニマルズ、モンキーズ、その他大勢に夢中になっていて、クラシックを熱心に聴いていたのでもない。だが、小学生の時、ステレオ・プレーヤーと言う珍しい代物が家に入ってきたとき、その試聴盤をよく聴いていた。その試聴盤は小田急の特急が通過する音や、卓球の球が左右に跳ねていく音、ジェットコースターの音とかに混じってクラシックの曲も幾つか入っていた。それでベートーヴェンの5番(昔は運命なんていわれたが)の第1楽章(フリッツ・ライナー指揮、シカゴ交響楽団)は繰り返し聴いていたのである。そういった体験が過去にあったので、いつかクラシックの大曲を全て聴いてみたいという思いが心のどこかにあったのだろう。それで小学生の時にベートーヴェンの伝記を読んだことがあり、ナポレオンの偉業に触発されてこの交響曲3番を作曲したことを覚えていたので、当時、全曲聴いてみたいと思っていたのかもしれない。
ベートーヴェンの交響曲3番は通称『エロイカ』というが、ベートーヴェン自身が名付けたタイトルである。この曲の着想は1802年というからベートーヴェンがハイリゲンシュタットで自殺しようと思い遺書まで残した頃だとされる(何故、自殺まで考えたのかは謎。耳が聞こえなくなってきたというのも一因とされるが)。自殺まで考えたベートーヴェンであるが、一方でナポレオンが破竹の勢いで現れた。このナポレオンの偉業を英雄として曲にしようといった着想が出てきたのである。ベートーヴェンはやがて立ち直り『エロイカ』を作曲する。ベートーヴェンの無給秘書をもって自ら任じていたシントラーの書いた『ベートーヴェン伝』によると1804年の春に完成したこの交響曲の写しをベートーヴェンはフランス大使館を通じてパリに送ろうとしたそうである。それはナポレオンに献呈するつもりだったからだが、5月18日にナポレオンが皇帝に即位したという知らせがベートーヴェンの耳に入り表紙を破り捨て楽譜を床に叩きつけたという。「あの男も要するに俗人であった。あれも自分の野心を満足させるために、民衆の権利を踏みにじって、誰よりも暴君になるだろう」と叫んだらしい。
フランス革命は1789年に勃発、コルシカ島出身の砲兵士巻官、議会軍を指揮してこの大革命に登場、片っ端から敵を倒し国内最高司令官、イタリア遠征軍司令官、連戦連勝と言う超人ナポレオンに、ベートーヴェンは自由精神の旗手、人間解放の姿を見たのかもしれない。革命的英雄に対する讃歌としてこの交響曲は書かれたのであるが、皇帝に即位したということで裏切られたように思ったのかもしれない。結局、この大曲は『シンフォニア・エロイカ』とイタリア語で譜面に書かれ〈ある偉人の想い出をまつるために作曲された〉という言葉が添えられていた。
完成した当初は不評であった。長過ぎる。統一感がない。明るさと透明さがない。それまでのハイドン、モーツァルトが書いた交響曲に比べると倍ぐらい長い曲で、第2楽章が葬送行進曲で第3楽章がスケルツォというこれまでにない形式の新しい形の交響曲となった。それ故に革新的だったのだろう。当初は不評だったが、今思えばそれらの不評はこの曲の長所の裏返しであり、『エロイカ』が時代の先を行った素晴らしい曲であるということを指摘しているようなものだ。小生などはこの曲を回を重ねて聴くようになればなるほど、ベートーヴェンの『エロイカ』に愛着がわいていったほどだ。そして現在、小生の手元には『エロイカ』のCDだけで30枚以上ある。指揮者でいえばフルトヴェングラーからトスカニーニ、ワルター、E・クライバー、クレンペラー、モントゥー、カラヤン、ベーム、オーマンディ、クナッパーツブッシュ、バーンスタイン、ショルティ、アバド、H・S・イッセルシュテット、ホグウッド、マリナー等、フルトヴェングラーだけで何枚あるかな・・・・。とにかくこの曲を聴くと気分が鼓舞されるというか、べートーヴェンの交響曲の中では個人的に1番好きな曲である。それ故に聴きまくったという思いはある。とにかく、この曲を最初から最後まで聴いてから、クラシック音楽を本格的に聴くようになったのでもある。それだけに忘れられない曲でもある。
レナード・バーンスタイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
べートーヴェン 交響曲第3番『英雄』第1楽章
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