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2014.11.23 (Sun)

高倉健のこと

 国民的スター高倉健が83歳で亡くなったが小生、高倉健のことを記事にすることにしてみようと思ったものの、ほとんど何も知らないのだ。観た映画も数えるほど。といっても高校の頃かな。任侠映画のファンが2人ほどいて、よくやくざ映画に付き合わされて観に行ったことがある。小生はやくざ映画が大嫌いでほとんど寝ていたかな。でも連中にしたら任侠映画の中の主人公が恰好よくてしょうがないのだろう。映画を観終わった後になると肩で風を切っていた。小生は莫迦じゃないのと思ったものが、連中の趣味まで口をはさむつもりはないので黙っていた。また,他にも高倉健にあこがれている者もいた。彼の家に行くと一枚の45回転のシングル・レコードがあって何時も彼はその曲をよく聴いていた。それが高倉健の唄う『唐獅子牡丹』だった。

 義理と人情を 秤にかけて
 義理が重たい 男の世界
 幼なじみの 観音様にゃ
 俺の心は お見通し
 背中で吠えてる 唐獅子牡丹

 彼の家に行けば何時も流れていた。おそらくレコード盤が擦り切れるほど聴きまくったのではないだろうか。とにかく高倉健のことをほとんど興味がなかった小生でも、周囲にそのような連中がいたので名前は知らぬ間に覚えていたかな。だが小生、ほとんど任侠映画を真剣に観てなかったし興味もなかったので高倉健には関心がなかったかな。もっとも小生、渥美清の『男はつらいよ』の寅さんシリーズも観たことがない。そのように言うと「日本人違うわ」と言われた。つまり義理と人情と浪花節的な世界観が苦手で敬遠していたというか、当時の日本映画で観たいと思うようなものはなかったのかもしれない。そういえば高校の頃、洋楽しか聴かないし洋画しか観ない小生を西洋かぶれだと仲間によく言われたものである。しかし、けして被れていたというのでもないが、当時、興味が注がれたもののほとんど欧米のものだった。いいかえれば当時、経済的には右肩上がりだった日本経済だが、こと文化に至ってはまだ西洋文化の輸入が続いていた時代だった。あと小生が30年遅く生まれていれば、趣味も少しは違っていたかもしれないが・・・・。
 そんなこんなで高倉健のファンは周囲には多かった。でも小生が高倉健の映画を初めて観たというよりも、存在感の大きさを感じたのは『幸福の黄色いハンカチ』を観てからだった。高倉健は、もうやくざ映画に出なくなっていた。もっとも高倉健の映画をその後に観たのも『ブラックレイン』『鉄道員』二作だけなので、大きなことは言えないが、確かに昭和の生き残りのような映画俳優であった。テレビにも殆どでなくて謎が多い。私生活が見えない。つまり銀幕のスターといわれた時代の人の生き残りである。謹んでお悔やみ申し上げます。

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