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2015.03.08 (Sun)

戦艦武蔵が見つかった

 第2次世界大戦の大日本帝国海軍の戦艦武蔵がフィリピンのシブヤン海の水深1000mの海底で発見されたと3月3日発表された。発見したのは何とマイクロソフトの共同創業者であるポール・アレン氏。この資産家は父親がアメリカ海軍に従軍したこともあり沈没した戦艦に興味を持っていたと言い、武蔵に関しては8年前から捜索を続けていたらしい。自身が所有するクルーザーOctopusでシブヤン海で探査を行っていて、このほど映像が公開されたのである。同型艦の大和のことは、これまで採り上げられ鹿児島の沖で沈んでいることは知られていて映像も残っているが、武蔵に関しては判らなかった。場所もフィリピンと言うこともあり徹底的な調査もされなかったし場所も確認されていなかった。今年はちょうど戦後70年目の節目の年。あの戦争とはいったい何だったのか考えるにおいてもいいタイミングで武蔵が発見されたものだ。
 戦艦武蔵は言うまでもなく大日本帝国海軍の巨大戦艦であり日本が建造した最後の戦艦でもある。三菱重工長崎造船所で大和型2番艦として1942年に建造された。まさに戦争の真っただ中。8月5日には就役につく。ところが1944年10月24日、レイテ沖海戦でアメリカ機の6回の攻撃を受け魚雷や爆弾を無数に被弾。それでも沈没まで4時間を要したという。基準排水量65000トン、満載排水量72800トン、全長263m、全幅38.9m、15万馬力のタービン機関で27ノットの速力を出す。主砲は46㎝砲9門と世界最大最強の戦艦と言われ今でも大和型戦艦以上の戦艦を作った国はない。というよりも当時でさえ戦艦と言う代物は無用の長物化していた。
 1941年12月10日。真珠湾奇襲から2日後にマレー沖海戦が起こった。この時、日本の攻撃機がイギリスの誇る戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを撃沈し戦艦よりも航空機戦力の威力の方が勝ることを、この時に証明していたが大和は完成したばかり。武蔵も既に秘密裏に建造されていたので途中で中止するわけにもいかなかったのだろう。したがって大和型戦艦の3番艦だった信濃は建造中途で航空母艦へと建造が変更されたのである。
 時の源田実海軍パイロットは日本の大艦巨砲主義を揶揄し、大和などはピラミッド、万里の長城と同じ世界の3大バカと酷評し、戦艦大和で飛行機が1000機造れとると言ったり艦隊の中で大和と武蔵が後ろからノロノロついてくるのを観て、戦艦ほど足手まといになるものはないと散々、こきおろしよく参謀と喧嘩になったというが、その発言は当たっていたということだ。
 大和型戦艦と零戦は太平洋戦争における日本の象徴であったが、零戦は獅子奮迅の活躍で戦果を挙げたが、大和と武蔵は確かにほとんど戦果らしい戦果もなかった。既に時代は戦艦同士で離れた位置から大砲を撃ちあう時代ではなく、航空機により制空圏を奪い合う時代になってた。つまり時代に取り残されていたのが大和と武蔵。でもこの巨大戦艦にはなんか日本人の切なさが込められていたように思える。でも武蔵を発見したのが当時の敵国のアメリカ人だというのが妙なところである。ポール・アレンは敵国の軍艦だといっても武蔵にはロマンを持っていたようだ。




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