2ntブログ
2025年03月 / 02月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫04月

--.--.-- (--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
EDIT  |  --:--  |  スポンサー広告  |  Top↑

2015.05.31 (Sun)

リストのピアノ協奏曲第1番を聴く



 ここのブログでフランツ・リストを採り上げるの初めてかな。あまりリストの曲で好きなのもないし、だからといって嫌いでもない。でもどちらかというと超絶的なピアニストであり社交界でも持て囃されたことばかりが話題になる。とにかくピアニストとしてのリストは大変な腕だったらしい。リストは1886年に亡くなっているので当然、録音は残ってないが、文献などを調べてみると称賛以外は見当たらない。ピアノの魔術師と言われどんな曲でも初見で弾きこなし、リストが亡くなって100年経っても彼を超えるピアニストは現れていないといわれ、指が6本あるのではないかという噂が広まっていたというから、その演奏技術は凄まじいものだったのだろう。その技術に同時代に活躍したピアノの詩人ショパンも認めていて、あのように弾いてみたい言っていた。グリーグも自身のピアノ協奏曲をリストに評価してもらいたく依頼したところ、リストは初見で完璧に弾きこなし、グリーグのピアノ協奏曲をほめたたえたという逸話も残っている。またリストの娘婿であったワーグナーの歌劇用のスコアを初見で、これまたピアノ用に編曲しながら即興で弾きこなし、メンデルスゾーンが作曲したピアノ協奏曲も本人の前で初見で完璧に弾き驚かせるなど、その卓越したピアニストとしての技術と能力は圧倒的であった。したがってリストの演奏会は評判を呼び、彼の演奏を聴いて衝撃のあまり気絶する観客がいたことは有名である。知れ渡っているところでは天才少女といわれたクララ・シューマンがリストの演奏を聴いて感動から号泣したというから、ピアニストとしての話題は書ききれないほどある。まさに奏者としてのリストはヴァイオリンのパガニーニと並び称される人物であろう。
 さて、ピアニストとしてのリストはあまりにも有名だが、いざ作曲家としてどうかとなると交響詩などの開拓者として知られるが、ピアニストとしてのリストの存在が大きすぎて作曲家としてのリストは影が薄い。でも有名な曲も幾つかはある。ハンガリー狂詩曲ていうのもあるし、ラ・カンパネラという超絶技巧を必要とする練習曲もある。愛の夢なんていう有名なピアノ曲もある。そしてピアノ協奏曲第1番がある。
 この曲は歴代の全ピアノ曲を含めても有名な部類に属する協奏曲で、初演は1855年で着想が1840年と言うから完成までに15年は擁している。でも聴いてみるとリストが作曲したピアの協奏曲とするには相応しい感じはない。技巧を聴衆に披露するといった協奏曲ではなく演奏時間も20分弱と短く、ピアノに関しては特筆すべきところの少ない協奏曲である。目を惹くのはピッコロとトライアングル。特にトライアングルがよく活躍する。過去にトライアングルを使用した協奏曲はあまり類をみない。しかし、これは彼の論敵であったフォルマリスト、ハンスリックの好餌となり、トライアングル協奏曲と異名を捧げられることとなった。しかし、あれほど多くのピアノ曲やオーケストラの作品を残しながら、彼の才能を最も発揮できるであろうピアノ協奏曲において大規模な作品をかけなかったというのは残念であったと思われる。
 当時、リストは演奏旅行に追われじっくりと曲をまとめ上げる時間もなく、また造型的な手法につたなかったともいわれている。リストはイタリア旅行後にこの協奏曲に着手し、ウィットゲンシュタイン公爵夫人カロリーヌと、ワイマール近郊のアルテンブルクの別荘に落ち着いた1846年頃から本格的に取りかかり1849年には完成している。しかし、すぐには発表せず1853年にペンを加え、1855年の初演後にも3度ペンを加えている。つまりあれだけピアニストとし超絶技巧で即興演奏や初見も楽々にこなし、最高の人気を博したリストも、こと作曲に関しては超人的とはいかなかったということだった。
EDIT  |  09:15  |  音楽(クラシック)  |  TB(0)  |  CM(0)  |  Top↑

*Comment

コメントを投稿する

URL
COMMENT
PASS  編集・削除するのに必要
SECRET  管理者だけにコメントを表示
 

*Trackback

この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック

 | BLOGTOP |