2008.02.17 (Sun)
ホーギー・カーマイケルを聴く
ホーギー・カーマイケルというとジャズに分類されるのかかどうか判らないが、とりあえずジャズということにしておくとしよう。
今から40年以上前のことであるが、リーダーズ・ダイジェストという雑誌がアメリカ国民に対して、1番好きな曲は何かという投票を試みたことがある。それによると1番好きな外国の曲が『枯葉』で、アメリカの曲は確か『スターダスト』であった。これは昭和40年頃の投票なので、今となっては古すぎるけども、とにかく今から40年ぐらい前はアメリカ人の好きな曲の№1に選ばれていたのが『スターダスト』だったのである。
私は『スターダスト』という曲を知らなかったが、当時、人気のあったテレビ番組『シャボン玉ホリデー』で、ザ・ピーナッツがエンディングで唄っていた曲であると姉に教えてもらって知った。ところで、来日したホーギー・カーマイケルが、ホテルで、その『シャボン玉ホリデー』を観て、自分の曲が日本で唄われていることを知って驚いたという話を何かの本で読んだことがある。つまりホーギー・カーマイケルというのは『スターダスト』の作曲者として我々は認識しているのである。
ホーギー・カーマイケルは1899年、インディアナ州ブルーミントで生まれる。やがて弁護士になるつもりでインディアナ大学の法科に入る。この時、友人とバンドを結成し、ビックス・バイダーベック(白人ジャズを確立したコルネット奏者)との縁で作曲を始めた。この頃は1920年代で、カーマイケルはトミー・ドーシー、ルイ・アームストロング等とも一緒に仕事をしたというから、若くしてジャズに目覚めたのであろう。またカーマイケルは作曲した曲がミルズ楽譜出版社から出されるという幸運を得た。
カーマイケルは、1926年に大学を卒業し音楽の道に進むか、法律の道に進むか悩んだ挙句、当初はフロリダの法律事務所に就職し弁護士になる道を選んだのである。しかし、好きな音楽の方も捨てきれず、間もなく音楽で食べることを決意する。そんな矢先の1927年夏、ホーギー・カーマイケルは出身校のインディアナ大学を訪れる。ここで彼は夜空にくっきりと散りばめたように煌く星屑を見て、かつての恋人のことを思い出し、浮かんだ旋律を曲にした。それが『スターダスト』だったのである。
この曲は名旋律であるが故に1930年代にアメリカで最も愛された曲となった。その後、歌詞がミッシェル・パリッシュによって加えられスタンダード曲として、後年、多くのアーティストに唄われる事となった。
Sometimes I wonder why I spend the lonely nights
Dreaming of a song the melody haunts my reverie
And I am once again with you when our love was new
And each kiss and inspiration・・・・・
この曲はジャズ、ポップス問わず唄い続けられ、作曲した本人の名前は伝わらなくても、世界中に知れ渡ることとなった典型的な例だろう。こうしてホーギー・カーマイケルは音楽の世界で知れ渡るようになるが、その後も『ロッキン・チェアー』『ジョージア・オン・マイ・マインド』『ニアネス・オブ・ユー』『スカイラーク』等を世に出す。でもホーギー・カーマイケルは、ただ作曲者としてだけでなく、レコーディング・オーケストラを結成し、自らピアノを演奏していたし、ビクターに当時の録音が多数残っている。それで、その後にテレビ、ラジオ、映画のパーソナリティや役者として出演していたという経緯もある。そういえばテレビ西部劇『ローハイド』にウィッシュボーン爺さんの役で出ていたり、かつて日本で一世を風媚した『ララミー牧場』にもウィリー爺さんとして出ていたという。
このテレビ西部劇『ララミー牧場』は、1950年代末期から1960年代初頭にかけて日本のテレビでも放映されていた人気ドラマで、私もよく覚えている。
草は青く 山遠く ここは西部の 大草原
たそがれの 牧場に のぼる煙り なつかしや
俺はカウボーイ ラー ララミー ララミー ララミー
若い人には何のことか判らないと思うけども、50代の人には判る筈です。『ララミー牧場』の主題歌で、この歌詞と旋律は我々の年代以上の人間にとってはとても懐かしいものである。主演はジェス役のロバート・フラーで、悲しいかな日本でしか人気が出なかったというドラマである。また、この番組のナビゲーターが若き日の淀川長治だったことも思い出される。
何故に映画評論家の淀川長治が『ララミー牧場』のナビケーターを引き受けたかというと、実はホーギー・カーマイケルのファンであったからというのは、後年知ることになる訳だが、これで顔が売れた淀川長治は、日曜洋画劇場で一躍サヨナラおじさんとして有名になるのだから、世の中、何がきっかけとなるか判らない・・・・・。
こうしてホーギー・カーマイケルは日本人にとっても、馴染みある人なのであるが、意外にも知られてない。つまり曲だけが一人歩きし、本人以外の人が唄って、彼の多くの曲が知れ渡ったという稀有な人なのである。『スターダスト』『ジョージア・オン・マイ・マインド』なんてスタンダード曲もナット・キング・コールやレイ・チャールズで知れ渡っている。でもホーギー・カーマイケルは知られていない。でも永遠に作曲者として、ホーギー・カーマイケルの名は残るのだ・・・。しか、最近は『スターダスト』を知る人も少なくなった。曲にも流行廃りがあるのだから仕方ないとしても、良い曲は何時までも残って欲しいとは思う・・・。
ホーギー・カーマイケルのピアノ演奏で聴く『スターダスト』(動画はなし)
ナット・キング・コールが唄う『スターダスト』
『ジョージア・オン・マイ・マインド』を唄うレイ・チャールズ
ドラマの中でピアノを弾いて唄うホーギー・カーマイケル
今から40年以上前のことであるが、リーダーズ・ダイジェストという雑誌がアメリカ国民に対して、1番好きな曲は何かという投票を試みたことがある。それによると1番好きな外国の曲が『枯葉』で、アメリカの曲は確か『スターダスト』であった。これは昭和40年頃の投票なので、今となっては古すぎるけども、とにかく今から40年ぐらい前はアメリカ人の好きな曲の№1に選ばれていたのが『スターダスト』だったのである。
私は『スターダスト』という曲を知らなかったが、当時、人気のあったテレビ番組『シャボン玉ホリデー』で、ザ・ピーナッツがエンディングで唄っていた曲であると姉に教えてもらって知った。ところで、来日したホーギー・カーマイケルが、ホテルで、その『シャボン玉ホリデー』を観て、自分の曲が日本で唄われていることを知って驚いたという話を何かの本で読んだことがある。つまりホーギー・カーマイケルというのは『スターダスト』の作曲者として我々は認識しているのである。
ホーギー・カーマイケルは1899年、インディアナ州ブルーミントで生まれる。やがて弁護士になるつもりでインディアナ大学の法科に入る。この時、友人とバンドを結成し、ビックス・バイダーベック(白人ジャズを確立したコルネット奏者)との縁で作曲を始めた。この頃は1920年代で、カーマイケルはトミー・ドーシー、ルイ・アームストロング等とも一緒に仕事をしたというから、若くしてジャズに目覚めたのであろう。またカーマイケルは作曲した曲がミルズ楽譜出版社から出されるという幸運を得た。
カーマイケルは、1926年に大学を卒業し音楽の道に進むか、法律の道に進むか悩んだ挙句、当初はフロリダの法律事務所に就職し弁護士になる道を選んだのである。しかし、好きな音楽の方も捨てきれず、間もなく音楽で食べることを決意する。そんな矢先の1927年夏、ホーギー・カーマイケルは出身校のインディアナ大学を訪れる。ここで彼は夜空にくっきりと散りばめたように煌く星屑を見て、かつての恋人のことを思い出し、浮かんだ旋律を曲にした。それが『スターダスト』だったのである。
この曲は名旋律であるが故に1930年代にアメリカで最も愛された曲となった。その後、歌詞がミッシェル・パリッシュによって加えられスタンダード曲として、後年、多くのアーティストに唄われる事となった。
Sometimes I wonder why I spend the lonely nights
Dreaming of a song the melody haunts my reverie
And I am once again with you when our love was new
And each kiss and inspiration・・・・・
この曲はジャズ、ポップス問わず唄い続けられ、作曲した本人の名前は伝わらなくても、世界中に知れ渡ることとなった典型的な例だろう。こうしてホーギー・カーマイケルは音楽の世界で知れ渡るようになるが、その後も『ロッキン・チェアー』『ジョージア・オン・マイ・マインド』『ニアネス・オブ・ユー』『スカイラーク』等を世に出す。でもホーギー・カーマイケルは、ただ作曲者としてだけでなく、レコーディング・オーケストラを結成し、自らピアノを演奏していたし、ビクターに当時の録音が多数残っている。それで、その後にテレビ、ラジオ、映画のパーソナリティや役者として出演していたという経緯もある。そういえばテレビ西部劇『ローハイド』にウィッシュボーン爺さんの役で出ていたり、かつて日本で一世を風媚した『ララミー牧場』にもウィリー爺さんとして出ていたという。
このテレビ西部劇『ララミー牧場』は、1950年代末期から1960年代初頭にかけて日本のテレビでも放映されていた人気ドラマで、私もよく覚えている。
草は青く 山遠く ここは西部の 大草原
たそがれの 牧場に のぼる煙り なつかしや
俺はカウボーイ ラー ララミー ララミー ララミー
若い人には何のことか判らないと思うけども、50代の人には判る筈です。『ララミー牧場』の主題歌で、この歌詞と旋律は我々の年代以上の人間にとってはとても懐かしいものである。主演はジェス役のロバート・フラーで、悲しいかな日本でしか人気が出なかったというドラマである。また、この番組のナビゲーターが若き日の淀川長治だったことも思い出される。
何故に映画評論家の淀川長治が『ララミー牧場』のナビケーターを引き受けたかというと、実はホーギー・カーマイケルのファンであったからというのは、後年知ることになる訳だが、これで顔が売れた淀川長治は、日曜洋画劇場で一躍サヨナラおじさんとして有名になるのだから、世の中、何がきっかけとなるか判らない・・・・・。
こうしてホーギー・カーマイケルは日本人にとっても、馴染みある人なのであるが、意外にも知られてない。つまり曲だけが一人歩きし、本人以外の人が唄って、彼の多くの曲が知れ渡ったという稀有な人なのである。『スターダスト』『ジョージア・オン・マイ・マインド』なんてスタンダード曲もナット・キング・コールやレイ・チャールズで知れ渡っている。でもホーギー・カーマイケルは知られていない。でも永遠に作曲者として、ホーギー・カーマイケルの名は残るのだ・・・。しか、最近は『スターダスト』を知る人も少なくなった。曲にも流行廃りがあるのだから仕方ないとしても、良い曲は何時までも残って欲しいとは思う・・・。
ホーギー・カーマイケルのピアノ演奏で聴く『スターダスト』(動画はなし)
ナット・キング・コールが唄う『スターダスト』
『ジョージア・オン・マイ・マインド』を唄うレイ・チャールズ
ドラマの中でピアノを弾いて唄うホーギー・カーマイケル
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