2008.08.31 (Sun)
ガーシュウィン 『キャットフィッシュ・ロウ』を聴く
ジョージ・ガーシュウィンというと浮かぶ曲はなんだろうか・・・・・。最近は『ラプソディ・イン・ブルー』の人気が高く、その曲を連想する人が多いかもしれない。またミュージカル好きな人は『パリのアメリカ人』だと答える人がいるかもしれない。でも衆目の一致するところ、おそらく『サマータイム』が最も知れ渡ってるのではないだろうか。でも『サマータイム』という曲はオペラ『ポーギーとベス』の中の一曲である。
1920年代半ばにジョージ・ガーシュウィンは、デュ・ボス・ヘイワードによって書かれた小説『ポーギー』その物語をオペラ化することした。そして、1934年から1935年に亘って作曲し、1935年ボストンのコロニアル劇場で初演されたのである。でも初演の直後、ニューヨークで上演された時には賛否両論あり、その後の地方公演に失敗し、あまり上演されなくなったという。現在では人気演目なので信じられない気がするが、ガーシュウィンもそのことが気になっていたのか、『ポーギーとベス』の管弦楽組曲の編曲に取り組んだ。そして、完成した組曲が『キャットフィッシュ・ロウ(なまず横丁)』で、1936年1月21日、アレクサンダー・スモーレンス指揮、フィラデルフィア管弦楽団によって初演されたのである。
組曲は『キャットフィッシュ・ロウ』『ポーギーは歌う』『フーガ』『ハリケーン』『グッド・モーニング・シスター』の5曲からなっており、当然のようにオペラと違って全曲歌の入らない管弦楽曲である。その中で『サマータイム』は第1曲『キャット・フィッシュ・ロウ』の中の一部で、オペラの最初の部分にあたり、序奏、『ジャズボー・ブラウン』のピアノに続いて『サマータイム』が演奏される。
さて、この『サマータイム』は、オペラの中の1曲にしか過ぎないが、この曲だけが飛び抜けて人気を呼んで、数々の演奏家、歌手によって演奏されたり、歌われたりするようになった。そもそもガーシュウィンは、ミュージカルではなくオペラの手法で作曲しているのだが、題材も音楽もアメリカ黒人のものに根差しているとの理由からフォーク・オペラと人は呼んだのである。曲の原典としては古い黒人霊歌『時には母のない子のように』のメロディにインスパイアされたとジョージ・ガーシュウィンが語っている。オペラ『ポーギーとベス』では、第1幕の第1場、若い漁師の妻マララが子守唄として歌う。
Summertime and the livin' is easy
Fish are jumpin' an' the cotton is high
この冒頭のところは1小節メロディが現れただけで、ああ、あの曲かと誰もが今や知っている。すっかりスタンダード曲となってしまい、特にジャズの名曲として知れ渡っていて多くのアーティストが演奏している。シドニー・ベシェ、ルイ・アームストロング、エラ・フィッツジェラルド、ギル・エヴァンス、マイルス・デイヴィス、ビリー・ホリデイ、ヘレン・メリル、チャーリー・パーカー、そして日本のザ・ピーナツまで歌っていた。とにかくポピュラー音楽における『サマータイム』の浸透度は凄いものがある。でも本来はオペラの中の歌曲だということを忘れないで欲しいと思う。
映画『アメリカ交響楽』での1シーン。『サマータイム』を歌う。
今年の5月であったか、御堂筋でオープン・フェスタという催しがあって、そこで大阪にある高校生のジャズ・バンドが『サマータイム』を演奏していた。最近は高校生もジャズをやるのかと驚いた。それもメンバーの半分は女生徒である。時代は変わった・・・・・
*Comment
♪Someone to watch over meも名曲です
uncleyieさん、こんばんは。
私が初めてサマータイムを聞いたのは、ジャニス・ジョプリンの歌でした。
その後、エラ&ルイ、サム・クック、憂歌團など様々な演奏を聴きました。
『ポーギーとベス』は出演者のほとんどが黒人であるためキャスティングが難しく、日本では十年ほど前にようやく初演されました。
この組曲には、上演回数の少ないオペラを補う意味あいもあったのでしょう。
あるいは、音楽の良さについては相当に自信があったのかも知れません。
ガーシュウィンの作品を盛り込んだ劇団四季の『クレイジー・フォ・ユー』も 見ました。そのパンフレットで、ジョージを支えたアイラ・ガーシュウィンのことを知りました。
ジョージ・ガーシュウィンは、20世紀のクラシックの作曲者の中で、最も親しまれている一人だと思います。ですがもっと長生きしていたら、映画やミュージカル作品なども手掛けていたのかもしれません。
それが実現しなかったことが惜しまれます。
私が初めてサマータイムを聞いたのは、ジャニス・ジョプリンの歌でした。
その後、エラ&ルイ、サム・クック、憂歌團など様々な演奏を聴きました。
『ポーギーとベス』は出演者のほとんどが黒人であるためキャスティングが難しく、日本では十年ほど前にようやく初演されました。
この組曲には、上演回数の少ないオペラを補う意味あいもあったのでしょう。
あるいは、音楽の良さについては相当に自信があったのかも知れません。
ガーシュウィンの作品を盛り込んだ劇団四季の『クレイジー・フォ・ユー』も 見ました。そのパンフレットで、ジョージを支えたアイラ・ガーシュウィンのことを知りました。
ジョージ・ガーシュウィンは、20世紀のクラシックの作曲者の中で、最も親しまれている一人だと思います。ですがもっと長生きしていたら、映画やミュージカル作品なども手掛けていたのかもしれません。
それが実現しなかったことが惜しまれます。
JACK |
2008.09.02(火) 00:28 | URL |
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最初に世に出た曲『スワニー』以来、実に多くの曲を世に出していますが、短命で倒れなければ、その後のアメリカの音楽界に与える影響は絶大であったと想像できます。兄のアイラとのコンビでも、色んな曲を出しましたが・・・・・・。ガーシュウィンがいなければ、はたてしてクラシック音楽とジャズの垣根は越えられていたのか、といった疑問も生じます。おそにく20世紀という時代が生んだ、時代の寵児というべき人物かもしれません。