2008.10.08 (Wed)
ノーベル賞受賞者が4人
昨日、日本人の科学者3人がノーベル物理学賞受賞の栄誉に輝いたと思った今日、また新たに下村脩・ボストン大学名誉教授にノーベル化学賞が授与されることが発表された。
これで同じ年に、4人のノーベル賞受賞者を日本人が受賞することになったが、何と言っていいのだろうか快挙というべきであろうか、とにかく素晴らしいとしかいいようがない。こんなニュースを聞くと、近年、斜陽の一途を辿っているように感じた日本人の知力、能力、技術力、まだまだ誇ってもいいと意を強くした。
今回ノーベル物理学賞に輝いた南部陽一郎さん、益川敏英さん、小林誠さん、そしてノーベル化学賞に輝いた下村脩さん、まことにおめでとうございます。そういえば私が子供の頃、学校で成績の良い子がいると、「末は博士か大臣か」と大人たちが、よく囃し立てていたことを思い出すが、天才・秀才といわれる子供達に対しては、最高の褒め言葉だったように思う。つまり出世する、偉くなるといった職業として大臣や博士を持ち出しているのだが、現在の糞大臣達はひとつも偉いとは思わないが、博士というのは今でも私は偉い存在だと思う。何故なら、誰も判らない未知の領域に飛び込んで、新たな発見、発明に挑んでいるから、それはそれでたいへん素晴らしいことだと考えるからである。
そのような研究というのは労力と時間を要し、またそれが必ずしも報われるとは限らない。ただ日頃の研鑽と努力の繰り返しである。まさに1%のインスピレーションに99%のパースピレーションであろう。とにかく私のような凡人から見ると、遥か雲の上の人である。あんな才能の欠片でも持ち合わせていればいいなあと思いながら、なんやら「素粒子物理学と核物理学における自発的対称性の破れ・・・・・・」「クォークの世代数を予言する対称性の破れの起源の発見」といった受賞理由の意味を聞いてもさっぱり何のことか判らない。
これで日本人のノーベル賞受賞者が計16人になったが、アメリカの約300人、イギリスの約100人、ドイツ80人、フランスの約50人と比較するとずいぶんと少ないように思う。でもノーベル賞というのは、そもそも白人しか受賞対象に考えてなかったようなところがあって、東洋人はほとんど貰えない。日本の16人なんて数字は、アジアでは断トツに多いはずだ。確かその次がインドの4人だったように思う。思えばその昔、北里柴三郎がノーベル医学賞の候補に上がり、エントリーされたことがあるらしいが、結局、共同研究者のエミール・アドルフ・フォン・ベーリングが受賞しているのに、北里は貰えなかった。選から漏れた理由は判らないが、その後、彼は黄色人種であるかという理由だけで選ばれなかったようなことを物の本で読んだときは、怒りがこみ上げてきたものだ。つまりノーベル賞といっても、受賞者に対して人種差別を秘密裏に行なっていたのである。戦後はそのように馬鹿げた差別を撤廃したらしいが、ノーベル賞受賞はやはり欧米人に有利なように思える。何故ならほとんどの発見や発明も、論文を英語で書かないといけないし、小説家にしても書いた小説が英語やフランス語に翻訳されていて、向こうの人に読まれ、なお評価されなくてはいけないからである。そういった意味で、なにかとアジア人には逆風が吹いているノーベル賞である。それでいて一挙に4人も受賞なんて、日本人にとっては久々、溜飲の下がる出来事であったように思う。
ところで日本人で最初にノーベル賞を貰った人は湯川秀樹である。それは1949年というから戦後間もない頃のことである。中間子理論を発表した人として我々は教わっているが、それから16年後の1965年のことだった。朝永振一郎がノーベル物理学賞を授与した。その時、私は小学生だったのでよく覚えているが、とにかく大騒ぎだった。この時はくりこみ理論の手法を発明したというのが受賞理由であったが、理系に弱い小生なんかは何のことかさっぱり判らない・・・・・・。それで、その後に私は中学校に進んだのであるが、その時の学級担任が京都の洛北高校出身で、よく湯川秀樹、朝永振一郎の話をしていたのを思い出す。それで「みんなも偉くなれ」と盛んに言っていた。こちらとしては大きなお世話であるが、その担任の教師は、洛北高校(旧制・京都府立一中)の先輩に偉大なるノーベル賞受賞者が2人いるということを自慢したかっただけなのかもしれないが・・・・・・。湯川、朝永両名は確かに京都府立第一中学校の同期だったらしい。でもデモシカ先生にそんなこと言われたくないと私は不愉快だった覚えがある・・・・・・・。
それからまもなく、今度はノーベル文学賞を川端康成が受賞した。これで日本人のノーベル賞受賞者は3人となったが、中学生だった私は川端康成の本を当時、一冊も読んだことが無かった。すると、また例の洛北高校出身の教師が、今度は「川端康成さんは大阪の茨木中学出身だから、みんなも頑張るように・・・・・」だとさ。
川端康成は旧制の茨木中学校、現在の大阪府立茨木高校出身である。私は京都の洛西地域の中学校だったので、大阪の茨木高校も大阪に向う電車からよく見えていたので知ってはいたが、川端康成の出身校だとまでは知らなかった。
でも茨木高校は、今でも秀才の集まる高校として付近では知られているが、ノーベル物理学賞を2人も出した京都の洛北高校は今でも秀才や天才が集まる高校かどうかは知らない。とにかく京都市街の北部にある高校なので、京都の大阪寄りに住む私は、その周辺に近付くことさえないのでよく知らない。何れにせよ昭和20年代、30年代は京都で1番の名門校だったとは聞いている・・・・・・。でも私は、人が何処の学校を出ようが、出まいが、学歴がどうのこうのというよりも、人物本位で判断する性質なので、そんな事どうでもいいが・・・・・・・・・。それに出身校で、その人の人間性から能力まで全てを判断してしまう愚かな考えの人がこの世には多すぎると思うから、私は人の学歴を敢えて聞かないことにしているのだが・・・・・・・・・。人は人物を見ないで、その人の肩書きや略歴だけを見て、その人の先入観を働かせすぎているとしか思えないが・・・・・。
これで同じ年に、4人のノーベル賞受賞者を日本人が受賞することになったが、何と言っていいのだろうか快挙というべきであろうか、とにかく素晴らしいとしかいいようがない。こんなニュースを聞くと、近年、斜陽の一途を辿っているように感じた日本人の知力、能力、技術力、まだまだ誇ってもいいと意を強くした。
今回ノーベル物理学賞に輝いた南部陽一郎さん、益川敏英さん、小林誠さん、そしてノーベル化学賞に輝いた下村脩さん、まことにおめでとうございます。そういえば私が子供の頃、学校で成績の良い子がいると、「末は博士か大臣か」と大人たちが、よく囃し立てていたことを思い出すが、天才・秀才といわれる子供達に対しては、最高の褒め言葉だったように思う。つまり出世する、偉くなるといった職業として大臣や博士を持ち出しているのだが、現在の糞大臣達はひとつも偉いとは思わないが、博士というのは今でも私は偉い存在だと思う。何故なら、誰も判らない未知の領域に飛び込んで、新たな発見、発明に挑んでいるから、それはそれでたいへん素晴らしいことだと考えるからである。
そのような研究というのは労力と時間を要し、またそれが必ずしも報われるとは限らない。ただ日頃の研鑽と努力の繰り返しである。まさに1%のインスピレーションに99%のパースピレーションであろう。とにかく私のような凡人から見ると、遥か雲の上の人である。あんな才能の欠片でも持ち合わせていればいいなあと思いながら、なんやら「素粒子物理学と核物理学における自発的対称性の破れ・・・・・・」「クォークの世代数を予言する対称性の破れの起源の発見」といった受賞理由の意味を聞いてもさっぱり何のことか判らない。
これで日本人のノーベル賞受賞者が計16人になったが、アメリカの約300人、イギリスの約100人、ドイツ80人、フランスの約50人と比較するとずいぶんと少ないように思う。でもノーベル賞というのは、そもそも白人しか受賞対象に考えてなかったようなところがあって、東洋人はほとんど貰えない。日本の16人なんて数字は、アジアでは断トツに多いはずだ。確かその次がインドの4人だったように思う。思えばその昔、北里柴三郎がノーベル医学賞の候補に上がり、エントリーされたことがあるらしいが、結局、共同研究者のエミール・アドルフ・フォン・ベーリングが受賞しているのに、北里は貰えなかった。選から漏れた理由は判らないが、その後、彼は黄色人種であるかという理由だけで選ばれなかったようなことを物の本で読んだときは、怒りがこみ上げてきたものだ。つまりノーベル賞といっても、受賞者に対して人種差別を秘密裏に行なっていたのである。戦後はそのように馬鹿げた差別を撤廃したらしいが、ノーベル賞受賞はやはり欧米人に有利なように思える。何故ならほとんどの発見や発明も、論文を英語で書かないといけないし、小説家にしても書いた小説が英語やフランス語に翻訳されていて、向こうの人に読まれ、なお評価されなくてはいけないからである。そういった意味で、なにかとアジア人には逆風が吹いているノーベル賞である。それでいて一挙に4人も受賞なんて、日本人にとっては久々、溜飲の下がる出来事であったように思う。
ところで日本人で最初にノーベル賞を貰った人は湯川秀樹である。それは1949年というから戦後間もない頃のことである。中間子理論を発表した人として我々は教わっているが、それから16年後の1965年のことだった。朝永振一郎がノーベル物理学賞を授与した。その時、私は小学生だったのでよく覚えているが、とにかく大騒ぎだった。この時はくりこみ理論の手法を発明したというのが受賞理由であったが、理系に弱い小生なんかは何のことかさっぱり判らない・・・・・・。それで、その後に私は中学校に進んだのであるが、その時の学級担任が京都の洛北高校出身で、よく湯川秀樹、朝永振一郎の話をしていたのを思い出す。それで「みんなも偉くなれ」と盛んに言っていた。こちらとしては大きなお世話であるが、その担任の教師は、洛北高校(旧制・京都府立一中)の先輩に偉大なるノーベル賞受賞者が2人いるということを自慢したかっただけなのかもしれないが・・・・・・。湯川、朝永両名は確かに京都府立第一中学校の同期だったらしい。でもデモシカ先生にそんなこと言われたくないと私は不愉快だった覚えがある・・・・・・・。
それからまもなく、今度はノーベル文学賞を川端康成が受賞した。これで日本人のノーベル賞受賞者は3人となったが、中学生だった私は川端康成の本を当時、一冊も読んだことが無かった。すると、また例の洛北高校出身の教師が、今度は「川端康成さんは大阪の茨木中学出身だから、みんなも頑張るように・・・・・」だとさ。
川端康成は旧制の茨木中学校、現在の大阪府立茨木高校出身である。私は京都の洛西地域の中学校だったので、大阪の茨木高校も大阪に向う電車からよく見えていたので知ってはいたが、川端康成の出身校だとまでは知らなかった。
でも茨木高校は、今でも秀才の集まる高校として付近では知られているが、ノーベル物理学賞を2人も出した京都の洛北高校は今でも秀才や天才が集まる高校かどうかは知らない。とにかく京都市街の北部にある高校なので、京都の大阪寄りに住む私は、その周辺に近付くことさえないのでよく知らない。何れにせよ昭和20年代、30年代は京都で1番の名門校だったとは聞いている・・・・・・。でも私は、人が何処の学校を出ようが、出まいが、学歴がどうのこうのというよりも、人物本位で判断する性質なので、そんな事どうでもいいが・・・・・・・・・。それに出身校で、その人の人間性から能力まで全てを判断してしまう愚かな考えの人がこの世には多すぎると思うから、私は人の学歴を敢えて聞かないことにしているのだが・・・・・・・・・。人は人物を見ないで、その人の肩書きや略歴だけを見て、その人の先入観を働かせすぎているとしか思えないが・・・・・。
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