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2008.12.09 (Tue)

三億円事件から40年

 今から40年前の1968年(昭和43年)12月10日午前9時半頃、東京の府中刑務所の側の道路で三億円強奪事件が起こった。

 日本信託銀行国分寺支店から東芝府中工場の従業員に支給するボーナスを運ぶ行員達を乗せた現金輸送車が、東京都府中市の府中刑務所裏の道路にさしっかっかた頃である。後ろから追ってきた白バイに乗った若い制服姿の警察官が、輸送車の前に出て立ち塞がった。すると警察官は「貴方の銀行の巣鴨支店長宅が爆破され、この輸送車にもダイナマイトが仕掛けられているという連絡があったので調べさせてくれ」と言って行員を輸送車から降ろさせた。しぶしぶ降りた行員の前で警察官は突然、車の下に潜り込み「爆発するぞ! 早く逃げろ!」と避難させ、その直後に輸送車に乗り込んで、白バイをその場に残したまま逃走した。この時行員は、警察官(犯人)が爆弾を遠ざけるために輸送車を運転したと勘違いし、「勇敢な人だ」と思ったという。しかし、バイクに詳しい行員が残された白バイが偽物と判断できたことから偽警察官による現金強奪事件であることが早くも判明した。こうして、まんまと三億円は怪我人一人出すこともなく強奪されたのである。これが所謂、昭和犯罪史に名を残す三億円強奪事件である。

  今から40年前というと高度経済成長期の真っ只中、昭和元禄とかいわれ好景気で日本人が浮かれていた。サラリーマンの給料は毎年のように上がり、まさに日本という国の勢いが最もあった頃の話である。

 この事件が起こった当時、中学生だった私は、国内で起こった事件という気がしないで、どこか外国で起こった事件であるかのような感覚でとらえていた。あの頃の三億円、正確には2億9430万7500円。ジェラルミンのトランク3個に振り分けて入れられていた。当時の時代を反映しているのか500円札が多かったものである。また、今なら銀行の口座に振り込まれるが、ボーナスが現金で渡されていた時代の名残をとどめる事件でもある。

 ところがこの事件、当初、すぐに犯人が捕まるだろうという意見が強かったように思う。目撃者には銀行員のほか府中刑務所の職員や、近くには航空自衛隊員などもいたからである。しかし、これらの目撃者の証言は曖昧であり、また勘違いだった可能性もあり、なかなか捜査が進まなかった。それで警視庁は直ちに緊急配備を敷き、要所要所で検問が実施されたところ、杉並区内の検問所で銀色のトランクを積んだ灰色ライトバンを捕捉したが突破された。これが最後に目撃された犯人の姿といわれる。

 こうして直ぐに解決されるものだと思われた三億円事件は、意外にも捜査が二転三転、結局、1975年(昭和50年)12月10日、公訴時効が成立(時効期間7年)。1988年(昭和63年)12月10日、民事時効成立(時効期間20年)・・・・・捜査は打ち切られた。被害金額の約3億円(2億9430万7500円)は現金強奪事件としては最高金額であり、当時の3億円は現在の貨幣価値に直すと約80億円にあたる(計算方法によっては30億円とする意見もある)。捜査には9億円が投じられた。

 その後、この事件ほど本になり、ドラマに成り、犯人像をありとあらゆる角度から検証されたこと他に例がない。あれから40年、あの真犯人は、今、何処に・・・・・・。今さらながら気になる事件である。あの大金はどうしたのだろうか・・・・・・・・・・。もう、三億円事件も風化されようとしている。時代の流れは余りにも残酷だ・・・・・。
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