2009.01.17 (Sat)
モーツァルトのレクイエムを聴く
モーツァルト 『レクイエム』ニ短調 K.626
ブルーノ・ワルター指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
イルムガルト・ゼーフリート(ソプラノ)、ジェニー・トゥーレル(アルト)、レオポルド・シモーノ(テノール)、 ウィリアム・ウォーフィールド(バス)
ウェストミンスター合唱団 1956年録音

今日は阪神淡路大震災から14年目にあたる日である。6000人以上の尊い命が失われてから、何時の間にかそれだけの時間が経過してしまった。あの頃に生まれた赤ん坊も今や中学生になったという。本当に時間の経過は残酷だと思う。あれから未だに立ち直れない人がいるし、震災が過去のものではけしてないということを何時までも記憶に留める必要があるだろう。それで今日は、鎮魂の意味もこめてモーツァルトのレクイエムを聴くことにした。
モーツァルトのレクイエムというと未完成品である。モーツァルトがこの作品に取り掛かっている最中に亡くなっているから完成しなかったのだが・・・・・。オペラ『魔笛』の完成も近付いた1791年の夏の晩、異様な風采の灰色のマントをまとった男がモーツァルトのところに現れた。彼は『死者のためのミサ曲』(鎮魂曲・レクイエム)の作曲を依頼した署名のない手紙をモーツァルトに手渡し、前金として大金を置いて、何処とも知れず立ち去ったという。当時、モーツァルトは病状に蝕まれていて、作曲依頼の手紙を持参した男が、灰色の服を着ていたこともあって死神の使者かと思い込み、自分に死が迫りつつあるとの予感に打たれ、また自身が貧窮のドン底にあり、この依頼主の判らない不思議な作曲依頼を引き受けたといわれている。
ところが、この頃のモーツァルトは『魔笛』や『皇帝ティトゥスの仁慈』等の仕上げにも追われていて、なかなか『レクイエム』は完成しなかった。またモーツァルトの精神状態も散々で、あて先の判らないモーツァルトが書いた当時の手紙にこういうのがある。
「小生はもう頭も混乱し、気力も尽きてしまい、例の見知らぬ男の姿が眼の前から追い払えないのです。懇願し、催促し、じりじり待ち遠しがりながら小生の仕事をせきたてる彼の姿が、絶えず見えるのです。僕も休息している時よりも疲れないので、仕事を続けています。それだけでなく、僕はもう何者も気にしたくないのです。時にふれ、小生はもう自分の終わりの鐘が鳴っているなと、ふと気づかせられるような感じがします。僕はもう息も絶え絶えです。自分の才能を楽しむ前に死んでしまうのです」
(吉田秀和訳)
この手紙のあと2ヶ月後にモーツァルトは病状が悪化し、レクイエムの第3曲第6部(ラグリモーザ)を8小節書いたところで、不帰の客となるのである。
おのれの死期を覚ったモーツァルトは、愛弟子であったジェスマイヤーを枕元に呼んで、この曲の完成方法について指示を与えたおかげで、彼の手で4曲が追加作曲され、演奏時間約1時間ほどの『レクイエム』が完成するのである。この『レクイエム』の作曲の部分は映画『アマデウス』の中では、サリエリが手伝っていることになっているが、史実と照らしあわしてみると、あんなことはまず有り得ない。でもフィクションとしては、あの方が面白いということはいえるであろう。
結局、この曲の依頼主はヴァルゼック伯爵で、妻の命日に新作の『レクイエム』を演奏させ、それを自分の作として世に発表しようとしたことから、依頼主の名を厳しく秘密にしたことが後に明らかになり、例の灰色のマントの男は、伯爵の忠実な使いライトゲプという男だったのである。でも人の書いた曲を自分の曲として紹介しようなんていう邪な伯爵の依頼により、モーツァルトの死期が早まったとするなら、何とも罪深き者ではないだろうか。
ところで、この『レクイエム』は、第1曲『レクイエム・エテルナム』と第2曲『キリエ』全部、6曲からなる『セクエンツィア』と2曲からなる『オッフェルトリウム』の声楽パートとオーケストラのバス・パート、これらがモーツァルト自身の作曲によるものであり、未亡人となったコンスタンツェが、ウィーンの宮廷楽長アイブラーに補筆完成を頼むが、彼は『ディエス・イレ』『コンフターティス』のオーケストレーションを完成させただけで、その後は弟子のジェスマイヤーが全曲を完成させたという。
それではモーツァルトの絶筆となった『ラグリモーザ(涙の日)』の歌詞を読んで、黙祷しましょう。
Lacrymosa dies illa,
Qua resurget ex favilla
Judicandus homo resus,
Huic ergo parce, Deus,
Pie Jesu Domine,
Dona eis requiem, Amen.
(対訳)
かの日こそ涙の日なり、罪あるもの裁きを受けんため
灰より甦れ
さらば神よ、彼を惜しみたまえ
あわれみ深き主イエズスよ、彼らに安息を与えたまえ
アーメン
『レクイエム』~ラグリモーザの演奏
カール・ベーム指揮 ウィーン・フィル及び合唱団
ブルーノ・ワルター指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
イルムガルト・ゼーフリート(ソプラノ)、ジェニー・トゥーレル(アルト)、レオポルド・シモーノ(テノール)、 ウィリアム・ウォーフィールド(バス)
ウェストミンスター合唱団 1956年録音

今日は阪神淡路大震災から14年目にあたる日である。6000人以上の尊い命が失われてから、何時の間にかそれだけの時間が経過してしまった。あの頃に生まれた赤ん坊も今や中学生になったという。本当に時間の経過は残酷だと思う。あれから未だに立ち直れない人がいるし、震災が過去のものではけしてないということを何時までも記憶に留める必要があるだろう。それで今日は、鎮魂の意味もこめてモーツァルトのレクイエムを聴くことにした。
モーツァルトのレクイエムというと未完成品である。モーツァルトがこの作品に取り掛かっている最中に亡くなっているから完成しなかったのだが・・・・・。オペラ『魔笛』の完成も近付いた1791年の夏の晩、異様な風采の灰色のマントをまとった男がモーツァルトのところに現れた。彼は『死者のためのミサ曲』(鎮魂曲・レクイエム)の作曲を依頼した署名のない手紙をモーツァルトに手渡し、前金として大金を置いて、何処とも知れず立ち去ったという。当時、モーツァルトは病状に蝕まれていて、作曲依頼の手紙を持参した男が、灰色の服を着ていたこともあって死神の使者かと思い込み、自分に死が迫りつつあるとの予感に打たれ、また自身が貧窮のドン底にあり、この依頼主の判らない不思議な作曲依頼を引き受けたといわれている。
ところが、この頃のモーツァルトは『魔笛』や『皇帝ティトゥスの仁慈』等の仕上げにも追われていて、なかなか『レクイエム』は完成しなかった。またモーツァルトの精神状態も散々で、あて先の判らないモーツァルトが書いた当時の手紙にこういうのがある。
「小生はもう頭も混乱し、気力も尽きてしまい、例の見知らぬ男の姿が眼の前から追い払えないのです。懇願し、催促し、じりじり待ち遠しがりながら小生の仕事をせきたてる彼の姿が、絶えず見えるのです。僕も休息している時よりも疲れないので、仕事を続けています。それだけでなく、僕はもう何者も気にしたくないのです。時にふれ、小生はもう自分の終わりの鐘が鳴っているなと、ふと気づかせられるような感じがします。僕はもう息も絶え絶えです。自分の才能を楽しむ前に死んでしまうのです」
(吉田秀和訳)
この手紙のあと2ヶ月後にモーツァルトは病状が悪化し、レクイエムの第3曲第6部(ラグリモーザ)を8小節書いたところで、不帰の客となるのである。
おのれの死期を覚ったモーツァルトは、愛弟子であったジェスマイヤーを枕元に呼んで、この曲の完成方法について指示を与えたおかげで、彼の手で4曲が追加作曲され、演奏時間約1時間ほどの『レクイエム』が完成するのである。この『レクイエム』の作曲の部分は映画『アマデウス』の中では、サリエリが手伝っていることになっているが、史実と照らしあわしてみると、あんなことはまず有り得ない。でもフィクションとしては、あの方が面白いということはいえるであろう。
結局、この曲の依頼主はヴァルゼック伯爵で、妻の命日に新作の『レクイエム』を演奏させ、それを自分の作として世に発表しようとしたことから、依頼主の名を厳しく秘密にしたことが後に明らかになり、例の灰色のマントの男は、伯爵の忠実な使いライトゲプという男だったのである。でも人の書いた曲を自分の曲として紹介しようなんていう邪な伯爵の依頼により、モーツァルトの死期が早まったとするなら、何とも罪深き者ではないだろうか。
ところで、この『レクイエム』は、第1曲『レクイエム・エテルナム』と第2曲『キリエ』全部、6曲からなる『セクエンツィア』と2曲からなる『オッフェルトリウム』の声楽パートとオーケストラのバス・パート、これらがモーツァルト自身の作曲によるものであり、未亡人となったコンスタンツェが、ウィーンの宮廷楽長アイブラーに補筆完成を頼むが、彼は『ディエス・イレ』『コンフターティス』のオーケストレーションを完成させただけで、その後は弟子のジェスマイヤーが全曲を完成させたという。
それではモーツァルトの絶筆となった『ラグリモーザ(涙の日)』の歌詞を読んで、黙祷しましょう。
Lacrymosa dies illa,
Qua resurget ex favilla
Judicandus homo resus,
Huic ergo parce, Deus,
Pie Jesu Domine,
Dona eis requiem, Amen.
(対訳)
かの日こそ涙の日なり、罪あるもの裁きを受けんため
灰より甦れ
さらば神よ、彼を惜しみたまえ
あわれみ深き主イエズスよ、彼らに安息を与えたまえ
アーメン
『レクイエム』~ラグリモーザの演奏
カール・ベーム指揮 ウィーン・フィル及び合唱団
*Comment
uncleyie |
2009.01.24(土) 18:49 | URL |
【コメント編集】
uncleyieさん、こんばんは。
モーツァルトは、レクイエムの作曲には、かなり力を注いでいたようです。謎の使者にも作品の完成までの期間延期を頼んでいます。
それは、作曲中にこれが最後の作品になると予感していたせいかもしれません。彼はこの作品を、自分自身のために書いている、とも語っています。
この曲からは、モーツァルトが演奏形態を選ばない、希有な作曲家であったことも、よくわかります。
謎の使者や、宛先不明の手紙以外にも、この頃のモーツァルトにまつわる話が幾つか伝えられています。
彼をを訪ねた友人と、レクイエムの書き上げた部分を歌った時に、それが未完成であったために曲の途中で終わり、泣き出してしまった話、彼が死の床でティンパニのパートを口ずさんでいた、という話(実際は尿毒症特有の症状だったようです)葬儀の後、協同墓地に埋葬され、その場所がどこか今ではわからなくなったこと、また死因についても病死ではなく、毒殺説、フリーメイソンによる暗殺説などの仮説が流布されています。
死者のためのミサ曲には、作者がこの曲の完成に賭ける意気込みが感じられ、命の炎が燃え尽きる寸前のきらめきのような美しさがあります。亡くなった方を悼むだけでなく、残された人に命の大切さ、生きる意味を感じさせてくれます。
この時代には著作権や印税はありませんでした。彼の作品がもっと早く評価されていれば彼の生活も安定し、この曲を含めて、より多くの作品を完成していたかもしれません。彼がもしこの曲を完成していたらどのように仕上げていたのか、少し気になります。
モーツァルトは、レクイエムの作曲には、かなり力を注いでいたようです。謎の使者にも作品の完成までの期間延期を頼んでいます。
それは、作曲中にこれが最後の作品になると予感していたせいかもしれません。彼はこの作品を、自分自身のために書いている、とも語っています。
この曲からは、モーツァルトが演奏形態を選ばない、希有な作曲家であったことも、よくわかります。
謎の使者や、宛先不明の手紙以外にも、この頃のモーツァルトにまつわる話が幾つか伝えられています。
彼をを訪ねた友人と、レクイエムの書き上げた部分を歌った時に、それが未完成であったために曲の途中で終わり、泣き出してしまった話、彼が死の床でティンパニのパートを口ずさんでいた、という話(実際は尿毒症特有の症状だったようです)葬儀の後、協同墓地に埋葬され、その場所がどこか今ではわからなくなったこと、また死因についても病死ではなく、毒殺説、フリーメイソンによる暗殺説などの仮説が流布されています。
死者のためのミサ曲には、作者がこの曲の完成に賭ける意気込みが感じられ、命の炎が燃え尽きる寸前のきらめきのような美しさがあります。亡くなった方を悼むだけでなく、残された人に命の大切さ、生きる意味を感じさせてくれます。
この時代には著作権や印税はありませんでした。彼の作品がもっと早く評価されていれば彼の生活も安定し、この曲を含めて、より多くの作品を完成していたかもしれません。彼がもしこの曲を完成していたらどのように仕上げていたのか、少し気になります。
JACK |
2009.01.19(月) 23:40 | URL |
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レクイエムというのは、曲そのものよりも曲にまつわるエピソードの方が遥かに面白いのですが、モーツァルト自身では未完に終わっています。その後、他人の手によって完成していますが、はたしてモーツァルトが最後まで曲を書いたとしたら、どのような曲になったのでしょうか、大いに興味があるところです。
もしこの時代に著作権や印税というものがあったとするならば、モーツァルトも金銭的に不遇を被ることもなく、もっと作曲に専念出来たとも思いますが、モーツァルトを作曲に駆り立てた要因は絶えず金に困っていたからだともいえます。フリーメイスンンのメンバーであったともいわれたり、あれだけ膨大な名曲を残した人が絶えず金に困り、何処にそのお金が流れていたのか不明な部分もあり、何かとモーツァルトは謎が多いですが、それがモーツァルトらしいといえば、そうかもしれません。でももっと長生きしてもらい、ベートーヴェンと張り合っているモーツァルトというのも面白かったかもしれませんえね。