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2009.02.05 (Thu)

アバを聴く

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アバの曲がヒットして盛んに聴かれるようになったのは、何時ごろだろうか。もう私がポップスというものを熱心に聴かなくなっていた頃だろうか、その頃『ダンシング・クイーン』が巷でよく流れていた。透明感の或る印象的な声だった。初めて聴いたとき私は、女性のコーラス・グループかと当初は思った。それで詳細を知りたくてレコード屋に行き、シングル盤のジャケットを見て男2人、女2人の4人グループであることを知る。

 間もなく彼らはスウェーデン出身で、メンバーはアグネッタ・フォルツコグ、ビョルン・ウルヴァース、ベニー・アンダーソン、アンニ=フリッド・リングスタッドの4人で、4人の頭文字をとってグループ名がABBAになったという経緯を聞いたのである。最初はビョルン&ベニー、アグネッタ&アンニ=フリッドという長ったらしいグループ名だったという。でもアバという名の方がインパクトは強く、『ダンシング・クイーン』のヒットで世界的に名が知れることとなったようである。

 アバは1974年のユーロビジョン・ソング・コンテストで優勝。間もなく『ウォータールー』がヨーロッパでヒットし、一般的に知られるようになったが、その頃、既に私は洋楽もポップスも流行音楽というものを皆目、聴かなくなっていた。理由は色々あるが、この頃は音楽と無縁の生活を送っていたので、あれほど聴きまくった洋楽とも遠ざかっていた。ただ一方で、よくパチンコ屋に通っていた頃だったから、その頃のヒット曲というものは、パチンコ屋で流れていたので、どんな曲が流行っているのかは大方、判っていたが、ただ洋楽に関しては疎かったと言わざるを得ない。

 そんな頃、アバの歌っている姿を、友人の家のテレビで観た。これがアバかという程度の印象であった。残念ながら1960年代の洋楽は好きだったが、この頃の洋楽の曲の傾向からして、あまり好きにはなれなかった。アバを最初に聴いたときの印象は、軽快なダンス・ミュージックといったような気がして、私の聴いていた時代のポップスとは少し違うなあというぐらいのものであった。おそらく、アバを熱心に聴いた人たちというのは、私よりも10年ぐらい下の世代になるのだろうか。だから私はアバのことを書こうと思っても詳しくはない。だから付け焼刃のような知識で、この記事を書いているのだが、それでも幾つかの曲は知っている。『テイク・ア・チャンス』『マンマ・ミーア』『マネー、マネー、マネー』『SOS』『チキチータ』『ギミー、ギミー、ギミー』・・・・・・さほど詳しい訳ではないものの、曲を聴けば思い出す。私にとってアバというと、その程度の思い出しかないが、『マンマ・ミーア!』というアバの曲ばかり22曲で構成されたミュージカルがヒットし、最近は映画化もされた。舞台の方は全世界170都市で観客動員3000万を突破する大ヒットとなった。つまり、私には熱中した音楽というのでもなく、ファンというのでもないものの、これだけ時代が経っていてもアバの曲が、これだけ流れるというのは、やはり時代を超越した普遍性があるということであり、良いものは何時の時代でも良いということなのである。・・・・・だからアバという世界的グループは、今でも人々の心の中に生き続けているのである。

『ダンシング・クイーン』を歌うアバ。(1976年、inオーストラリア)


『チキチータ』を歌うアバ。

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