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2009.05.25 (Mon)

高見山大五郎引退

 高見山大五郎こと東関親方が来月の16日で65歳の定年年齢に達し相撲界を引退される。高見山大五郎といっても若い人にはピンとこないかもしれない。で元横綱・曙の師匠といえば判るだろう。

 高見山大五郎・・・・1944年6月16日、ハワイのマウイ島に生まれる。本名ジェシー・ジェームズ・ワイラニ・クハウルア。19歳の時、当時の高砂親方(元横綱・前田山)に連れてこられて来日。東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の春場所初土俵、夏場所で序の口優勝、1967年(昭和42年)春場所で新十両。そして1968年(昭和43年)初場所で親入幕、この場所は9勝6敗で敢闘賞。1972年(昭和47年)名古屋場所で幕内初優勝。1980年(昭和55年)日本に帰化、日本名は渡辺大五郎。1982年(昭和57年)名古屋場所で自らスカウトした小錦が初土俵。1984年(昭和59年)夏場所、39歳11ヶ月で現役引退、東関襲名。1986年(昭和61年)2月、独立して東関部屋を興す。1993年(平成5年)1月、弟子の曙が外国出身初の横綱昇進。2001年(平成13年)1月、弟子の曙が引退。2009年(平成21年)6月、65歳定年で相撲協会を退職の予定。

 以上、高見山こと東関親方の簡単な略歴を記した。・・・・ジェシー高見山大五郎で親しまれた東関親方は、外国出身の力士のパイオニアとして言葉も文化もしきたりも何もかも違うハワイから単身来日し、日々、尽力し今日を築き上げ、相撲界に多大な功績を残し引退されることとなったので、私はここで簡単な記事を書くに至ったのである。

 いわば現在の外国人力士が角界で大活躍するようになったのも、高見山がいたからであり、彼がレールを敷かなければ、後から続く者などいなかった筈である。思えば高見山が新入幕で初土俵を踏んだ時の騒がれようといえば半端じゃなかった。外国人初の幕内誕生で、本場所の土俵におけるテレビ中継を凝視するように観ていたのが昨日のようである。あれから40年以上も経つのだなと、驚いている次第である。ただ巨漢力士ゆえに足元が弱く、型にはまったときの強さは本物で、横綱でさえ簡単に押し切られたが、組まれたときの脆さも同居していて、成績が伸び悩んだのもそのためである。

 身長192cm、体重205㎏という当時の関取としては図抜けた大型力士であった。でも小さな力士に組まれては簡単に転がされていたりして、負けるときの弱さが面白くて私は高見山の相撲を観ていたところがある。だが、そんな高見山が一度だけ13勝2敗で優勝したときは非常に嬉しく感じた。長い間、異国の地に来て、とうとう幕内の優勝まで成し遂げて、外国人初の優勝とは・・・・・・・・。今なら、なんら珍しくはないが、何でも最初に道を切り開いた人は偉いのである。彼がいたからこそ、後進の外国人力士はついていけたのである。彼が中途で投げ出せば、今日の外国人力士全盛に繋がっていたかどうか・・・。

 日本人にとっても耐え難いほどの特殊な世界である相撲界へ、外国人が飛び込んだときの気苦労、息苦しさ、辛さは想像を絶していたのではないだろうか。でも高見山はそれらの壁を乗り越え、日本人以上に日本人らしくなり、この度、45年間の長きに亘って在籍した相撲界から去られることになった。通算812勝842敗、97場所幕内在位、1430回幕内出場は何れも史上第1位である。怪我をしても休場せずに、何時までも愛嬌を絶やさず、相撲人気の隆盛に大きく貢献した力士、高見山大五郎よ本当に有難う・・・・・。たとえ偉大な関取でなくとも、人の記憶に永遠に残るだろう。高見山大五郎、本当にあなたは立派な関取でした。
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