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2009.06.17 (Wed)

ラフマニノフ 『ピアノ協奏曲第2番』を聴く

 セルゲイ・ラフマニノフ(ピアノ)
 レオポルド・ストコフスキー指揮
 フィラデルフィア管弦楽団演奏のCD(1929年録音)
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 ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のピアノ・パート譜面(共に第1楽章)・・・このような和音が多い。
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 このところヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで優勝した全盲のピアニスト辻井伸行青年の話題で持ちきりだ。生まれつき全盲で世界的に権威のある国際コンクールに優勝したということで、テレビが派手にこのことを採り上げ、新聞は新聞で一面に載せて快挙だと報道する。その甲斐があって辻井伸行のコンサートは一躍、チケットが完売し、今ではプラチナ・チケットだという。ウン、なるほど・・・・確かに快挙である。でも彼が4年前のヴァン・クライバーンよりも権威のあるショパン国際ピアノ・コンクールに出て批評家賞を受賞していた時は、誰も騒がなかったというのに・・・・・。あの時、既に全盲の少年ピアニストがショパン国際コンクールで賞を頂いたというぐらいは私は知っていた。とはいえ、新聞の記事は隅の方に僅かに載せられたぐらいである。それが今回の大騒ぎ、コンサートのチケットがバカ売れし、彼の演奏したCDまでが売れ出した。何ということか、もしマスメディアがこれほど採り上げなかったら、こんな現象にはおそらくならなかっただろう。如何に大衆はマスメディアに踊らされているかということだ。そして、一つ付け加えるならば、全盲のピアニストとしては既に梯剛之がいることをお忘れなく。梯剛之はヴァン・クライバーンよりも歴史と伝統のあるロン・ティボー国際コンクールで2位になっているし、ショパン国際ピアノ・コンクールでもワルシャワ市長賞を頂いている。それでいて今回のような大きな報道にはならなかったのだ。つまり報道姿勢の偏重を感じたのである。だから今回の全盲の日本人ピアニストが、ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールを優勝したからといって、その関連の記事は敢えて書かなかったのだ。それなら何故、辻井伸行青年の話から入ったかというと、彼がピアノ・コンクールの決勝で弾いていた曲がラフマニノフのピアノ協奏曲第2番ハ短調Op.18だったからである。

 セルゲイ・ラフマニノフという人は大柄で身長が2m近くあったという。それでいてあの甘いメロディを生み出すは、ピアノを弾けば超絶技巧ときている。そこへ大きな体に大きな手。普通のピアニストなら届かないような12度の音程、和音を左手で軽く押さえることが出来て曲を楽々弾きこなしたといわれる。オクターヴなどは普通の人の5度、6度ぐらいのかっこうで弾いたと伝えられている。こんなラフマニノフが作った曲なので、ピアノ協奏曲2番は難曲でもある。おそらく並みのピアニストでは運指、和音をこなすのが困難である。こういった大男が作った当曲は難曲でありながらラフマニノフの曲の中では、最も有名で通俗的といえるだろう。そもそもはロンドン・フィルハーモニー協会からの委嘱で作られた曲であるが、かつては映画音楽としてよく使われたというのも頷けるほど甘美的なメロディが鏤めてあるぐらいだ。今から60年以上も前の映画だが、私が敬愛する映画監督デヴィッド・リーンの恋愛名作『逢びき』(1945年、イギリス)の中では頻繁にラフマニノフのピアノ協奏曲第2番が流れていた。

 この曲はラフマニノフの出世作といってもよく、彼が28歳の時であった1901年に完成した。1901年11月10日、ラフマニノフ自身を独奏者としてモスクワで初演され成功を収めたのである。全3楽章から成り、演奏時間は30分から35分はかかるが、ラフマニノフ自身がピアノを弾いた場合は演奏時間が短いことが多い。とにかく冒頭から手を思い切り広げなくてはならない和音で始まり、ロマン的な旋律が彷徨うように展開して行く。まさに20世紀初頭に現れた名曲であろう。


ラフマニノフの映像


  ピアノ協奏曲第2番ハ短調の演奏の映像
 アレクシス・ワイセンベルク(ピアノ)
 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

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