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2009.06.25 (Thu)

ジョン・コルトレーンのアルバム『マイ・フェイヴァリット・シングス』を聴く

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 私は高校生の頃に、マイルス・デイヴィスとジョン・コルトレーンを聴いてジャズの世界に足を踏み入れた。ジャズの真髄を何処まで判っていたか甚だ疑問ではあるが、ジョン・コルトレーンの吹くサックスの音色に引き込まれ虜になっていたように思う。その頃に聴いた曲名なんて覚えてもいないが、とにかくジョン・コルトレーンがサックスを吹いてさえすれば何でも良かったのかもしれない。まあ、その後に有名なサックス奏者がコルトレーン以外にも大勢いるとことを知る羽目になるのだが、何故、コルトレーンだけを知っていたかというのは、当時、コルトレーンが亡くなってから、まだ数年しか経っていなかったのだろう。とにかくラジオのジャズ番組でコルトレーンばかりを流していたのだ。こういった経緯があって、トランペットのマイルス・デイヴィスとサックスのジョン・コルトレーンは少年時代に、よく聴いたのだ。でも聴いたというよりはジャズの持つ雰囲気に陶酔していたというべきかもしれない。とにかくロックを支持する当時の多くの若者たちとは一線を画する意味合いで、細々とジャズに接していただけかもしれないが・・・・。

 ジョン・コルトレーンは1926年にノース・カロライナで生まれ、12歳でクラリネット手にしたのが奏者としての出発点であるが、高校卒業後は働きながら音楽学校に通うなどあまり目立ったミュージシャンではなかったようだ。その後も酒場のバンドで食いつないでいたというから、若い時のコルトレーンは後の名声が嘘のような存在であった。20歳でプロとなり23歳でディジー・ガレスピーのバンドでテナー・サックスを吹いていたというから信じられない話である。1955年にはマイルス・デイヴィスのバンドに参加したものの、多くの聴衆からブーイングを浴びるなど散々で、マイルス・デイヴィス自身もコルトレーンは下手くそと言っていたほどである。それが1958年になって再びマイルス・デイヴィスのバンドに迎えられたときに、ようやく、これまでのジャズの理念を超えたモード・ジャズを方法論をして世間が理解するようになり、彼は一流ジャズ・ミュージシャンをして認知されるのである。1960年にコルトレーンは自分のバンドを組み、アヴァンギャルドな音楽要素を含んだフリー・ジャズへと傾向が移っていくが、この下地にあったのはインド哲学の傾倒、ジャズ原理主義への思いがあったものと考えられる。

 このアルバムはコルトレーンが自らのバンドを結成した頃の1960年秋に録音されたもので、メンバーはコルトレーン以外にはマッコイ・タイナー(ピアノ)、スティーヴ・デイヴィス(ベース)、エルヴィン・ジョーンズ(ドラムス)の4人である。曲は『マイ・フェイヴァリット・シングス』『エヴリタイム・ウイ・セイ・グッドバイ』『サマータイム』『バット・ノット・フォー・ミー』の4曲である。面白いことにジョン・コルトレーンのソプラノ・サックスが聴かれるのだ。コルトレーンは最初に持った楽器がクラリネットだったが、その後にアルト・サックス、テナー・サックスと移り、とうとうソプラノ・サックスまで演奏しだし晩年はフルートの演奏まで残しているほど多芸である。残念ながら1967年7月17日、肝臓癌のため僅か40歳で亡くなった。今ではチャーリー・パーカー、ソニー・ロリンズと並ぶサックス奏者として、その後のモダンジャズの世界での影響力は大きくて計り知れないほどである。


 1961年、西ドイツ・バーデンバーデンでのライヴ。『マイ・フェイヴァリット・シングス』の演奏。
 ジョン・コルトレーン(ソプラノ・サックス、テナー・サックス)、エリック・ドルフィー(フルート、アルト・サックッス)、マッコイ・タイナー(ピアノ)、レジー・ウォークマン(ベース)、エルヴィン・ジョーンズ(ドラムス)

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