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2009.07.01 (Wed)

大江健三郎『われらの時代』を読む

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 ノーベル賞作家である大江健三郎が23歳の頃に書いた小説である。主人公の南靖男は肥った中年の娼婦と同棲していて、その女が客を取る間、部屋を出て暇つぶしに街を徘徊する。靖男は愛のない中年女との性的関係や全ての柵から嫌悪感を抱きつつも一向に抜け出せなく、ダラダラとしたふしだらな生活を送っている。また学生運動に奔走する仲間たちとも一線を画し、フランス政府が公募した論文が認められ留学することになる。この留学こそが現在の閉塞感から抜け出せると考えていたが、同棲中の女から妊娠したと言われフランス行きは残念する。

 話は変って、バンド『アンラッキー・ヤングメン』は若いバンドだった。メンバーは年長の高が20歳で、あとの2人は共に16歳である。彼らはクラブで演奏していたが、日頃から過激なことを望んでいた。或る日、天皇が渋谷の街を訪ねることになった。それを伝え聞いた3人は、日常の退屈さから逃れようと悪戯を計画する。それは朝鮮籍の高が隠し持っている爆弾を天皇の乗っている車の前で爆発させ、観衆が騒然とするのを眺めるという。実際には天皇の命を狙う訳ではないが、結局、臆病風に吹かれて計画は頓挫してしまう。それで、その計画を練ったがため3人は警察に追わ、やがて消滅していく。この2つの話は交互に進行していき、次第に一つの話として展開していくが、アンラッキー・ヤングメンのメンバーの1人南滋は、南靖男の弟ということで話しが繋がっていく。

 戦前、戦中を通過して戦後に変わり、イデオロギーの変化と共に、人生への価値観も大きく変化していった時代の中で翻弄される若者達、それが作者が描く『われらの時代』なのか・・・・・。所謂、戦後の日本人というものを常に意識させられる。

 大江健三郎は何を表現したかったのか・・・。彼は小学校入学の年に太平洋戦争が勃発し、中学校入学時は戦後で、ちょうど新憲法が公布されたという。謂わば戦前、戦中、戦後という大きな変革期を体験し、彼自身の葛藤も含め、戦後の民主主義へ移行しつつある時代の中で、戸惑う日本の若者達、それが『われらの時代』とも言うべき姿なのかもしれない。

 この小説は1959年に書かれた。もはや戦後ではないといわれていた。つまり当時、大江健三郎自身の身の上にあったことを含め、当時の現状認識が反映されたものとして考えるならば、主人公・南靖男の歯痒いばかりの非行動的な日常があって、そこには一切の行動の理由も存在しない。また政治運動が盛んであっても何の結果も生み出せない現実があって、あるいはその運動でさえ強大な権力の前では屈服せざるを得ない現状では、運動に一切、参加しないで絶望を叫ぶ南靖男という人物に象徴される若者がいて当然である。その一方で運動に手を染める若者がいる。そして、これらの相反する若者達の意図するところは似通っているかのように表現されている。つまり両者の根底にあるもの、結局は現状認識において停滞でしかなかったということなのか・・・・。どうもよく判らない。これが大江文学なのかといえば、そうなのかもしれないが、大江健三郎自身、従属国家となった日本という国へのあり方を考えた時、このような形式で政治や体制を語るしかなかったのかもしれない。とにかく小説からは、若者の行き詰まり閉塞感しか読み取れない。
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