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2009.07.04 (Sat)

続・野球場址を訪ねて

 先月、野球場址を訪ねると題し近鉄バファローズがフランチャイズにしていた日生、藤井寺の両球状をの址を訪ねて現在の姿を紹介したが、今日は阪急ブレーブスが本拠地としていた阪急西宮球場址を訪ねてみたので、その報告をしようと思う。

 阪急ブレーブス・・・・・今となっては懐かしい響きだ。かつてパシフィック・リーグに所属したプロ野球球団。創設は昭和11年というから古い。つまり日本のプロ野球リーグが発足した頃に、巨人、阪神などと共にスタートした老舗球団だった。そもそもは阪急電鉄生みの親である小林一三が、ライバル会社である阪神電鉄が大阪タイガース(現・阪神タイガース)を創設したのに対抗意識を燃やし、阪急軍として創設された。プロ野球発足当時は、阪神が中学出の選手を多く獲得したのに対し、阪急は大学出のスター選手を獲ったといわれた(山下実、宮武三郎など)。ただし阪神に対抗意識を燃やしたものの甲子園球場を持つ阪神に人気では及ばず、阪急は西宮北口駅の南東に立派な野球場を建設した。それが昭和12年5月に開場した阪急西宮球場である。日本で初の2階スタンドと内野を含めた全面天然芝の見事な野球場であった。収容人員こそ甲子園の6万人に及ばないが、5万人を収容し、豪華さでは西宮球場が優っていた。

 だが何故か、人気も実力も同じ関西の阪神の方が優り、阪急軍は巨人、阪神の軍門に降っていた。戦後まもなく、プロ野球が2リーグに分裂した時、阪急ブレーブスはパシフィック・リーグに所属しスタートした。だが弱く、低迷の時代が続いた。一方、2kmしか離れていない阪神甲子園球場は人気があり球場も活気があった。いつしか西宮球場は閑古鳥が鳴く始末。それが西本監督が就任してから、メキメキ頭角を現し昭和42年にパシフィック・リーグで初優勝。この辺りから常勝球団として阪急ブレーブスが君臨するのである。

 そういえば私が、初めて西宮球場に足を踏み入れたのは、ちょうどこの年であった。首位を突っ走っていた阪急ブレーブスと前年まで3年連続パ・リーグを制覇していた南海ホークスとの試合を観にいったのである。球場は満員で45000人入っていた。試合は序盤から捕手・岡村のホームランで先行した阪急が、スペンサー、長池などの活躍もあり、先発・足立の踏ん張りで南海の追撃を振り切って勝った。南海ファンであった私としては、もっと野村や広瀬、ハドリなどに奮起してもらいたかったが、勝負は時の運、敗戦も仕方なしであった。この時、以来、何度か西宮球場は訪れた。常勝・阪急ブレーブスの本拠地であり、立派な球場だと何時も思っていたが、観衆は何故か少なかったし、球団も人気がなかった。それでいて近くの甲子園球場は何時も観衆で埋るという矛盾を感じつつ、何時しか球団身売りの話が出始めていた。

 1988年、とうとう阪急ブレーブスが身売りされた。あれほど強かったのに人気がなく球場に観衆が来なかった。球団の親会社である阪急電鉄側としては、赤字が嵩む宝塚歌劇団と阪急ブレーブスの経営に苦心していた。でも宝塚歌劇団を潰すことは出来ず、仕方無しに球団を身売りしたのである。結局、阪急ブレーブスはオリックス・ブレーブスとなった。

 ところで阪急ブレーブスはどうして人気が出なかったのだろうか。原因は良く判らないが、やはり野球というスポーツそのものの持つイメージが庶民の娯楽というように捉えられていて、それが高級感のある阪急グループのイメージと合わないという声が多かったことを考えると、阪急ブレーブスは阪急グループのドラ息子として扱われていたのかもしれない。そのように考えると、庶民的な電鉄会社である阪神電鉄が持つ阪神タイガースが弱くても弱くても人気が衰えないというのは、日頃の鬱憤を晴らすがため、小市民ともいうべき平凡な大衆が支えているということかもしれない。それに比較すると、阪急電車の沿線は資産家層が多く住むことで知られ、このような人は野球に対する思い入れは薄いのかもしれない。

 まあ理屈を並べても仕方が無い。こうして阪急ブレーブスは西宮球場から何時しか立ち去り、オリックス・ブルーウェーブと名を変え、神戸グリーン・スタジアムを本拠地をするようになった。それで、残された西宮球場は阪急西宮スタジアムと名前を変え、大学のアメリカン・フットボールや競輪場として使用されてきた。だが、それも赤字を埋めることにはならず、とうとう2002年12月31日で閉場となった。

 球場は潰され、その場所に建ったのが阪急西宮ガーデンズである。阪急電鉄は西宮北口駅の側にあった西宮スタジアムの址に商業施設・阪急西宮ガーデンズを建て、2008年11月26日にオープンさせた。この施設は阪急百貨店、スーパーのイズミヤを中心に268のテナントを数える専門店街と12のスクリーンを持つシネマ・コンプレックスが入り、大阪、神戸の中心まで電車で20分以内という立地条件の良さも手伝って繁昌しているようだ。・・・・しかし、昔を知る者にとっては何か寂しい。


 阪急西宮ガーデンズの外観。ちょうどこの辺りがバックネット裏の2階スタンドだったと思う。
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 阪急西宮ガーデンズの屋上は緑豊な広場となっている。
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 建物の内部は、このような感じで、吹き抜けになっている。何階建てなのかな?
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 施設の中には阪急ブレーブス時代を偲ばせる資料館が設けてあって、色々と展示品が飾ってあった。これは1975年の日本シリーズを制したときのペナントである。
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 かつての西宮球場の模型である。米田が、梶本が、足立が、山田が、長池が、スペンサーが、加藤が、福本が、マルカーノが、ブーマーが・・・・・
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 西宮ガーデンズとは関係はないが、すぐ近くに兵庫県立芸術文化センターがある。この芸術文化センターは2005年10月にオープンし、大中小のホールがあり、クラシック音楽、オペラ、バレエ、ミュージカル、ポップス等の公演が頻繁に催されている。また、この芸術文化センターには専属の管弦楽団があり、音楽監督にはテレビ『題名のない音楽会』の司会で有名な佐渡裕が就任している。佐渡裕は、東京芸大、桐朋学園といったプロ音楽家養成機関のようなエリート学校卒ではなく、京都の下町・太秦で育った普通のオッサンであり、在野の指揮者でもあるから、一度、聴きに訪れたいものだが、なかなか暇と金がなく、実現できないでいる。
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 西宮北口駅周辺は大阪にも神戸に近く、有名大学、有名高校も多い文教地区であり、商業施設もあり、このような高層マンションが立ち並ぶ住宅地でもある。従って関西の人が住んでみたい地域として必ず名前の挙がるところでもある。
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 なお、まだこの野球場址を訪ねては続きます。
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