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2009.08.04 (Tue)

フジヤマのトビウオ

 フジヤマのトビウオと称された日本水泳界の重鎮であう古橋広之進さんが亡くなられたと聞いて、昨日の間に記事にしておくべきだったのだが、あいにくの残業で、帰宅が遅くなりとてもパソコンなんか立ち上げられる状況ではなかった。だから1日遅れで書く事にする。

 ところでフジヤマのトビウオって何だ? といっても知らない世代の人がだんだんと増えてきている今日では、古橋広之進なんて名前を初めて聞く人も多いのだろうあな・・・・・・・。

 古橋広之進・・・・・水泳選手。昭和3年(1928年)9月16日、静岡県浜名郡雄踏町(現・浜松市)出身。自由形の種目で世界記録を33回も更新。・・・これだけ書くだけで嘘! と言われるほどの凄い選手であった。

 昭和20年、日本は敗戦した。その敗戦ショックから立ち直れない日本人達に勇気を奮い立たせた最初の人が古橋広之進だったといえばいいだろうか。最も橋爪四郎という古橋の同僚もいるが、取り敢えずは古橋広之進の話をする。

 子供の頃から泳ぎが得意な古橋広之進は、戦後に浜松二中から日本大学へ進学し、競泳の自由形種目・主に400m~1500mで記録を次から次へと更新。この時、いつも2位が橋爪四郎であった。そして1948年ロンドン・オリンピックが開かれる・・・・・・・が、日本は戦争責任国で、ドイツと共にオリンピックへの参加が許されなかった。そこで日本水連は、ロンドン・オリンピックの競泳決勝が行なわれる種目と同じ日に、競技日程を合わせるように日本選手権水泳を開催した。その結果、古橋広之進は自由形の400mと1500mの両種目で、オリンピックの優勝者よりも速いタイムで泳ぎ、共に世界新記録であり、ことに1500mにいたっては世界記録を20秒以上も更新していた。

 だが彼の記録は当然、公認されるはずもなく、それどころかアメリカ側は、日本のプールは50mもないだろうだとか、日本の計測時計は遅く廻るのだとか、言いがかりをつけたのである。こうして翌年の1949年に日本の水泳選手団がアメリカの全米選手権に遠征することになった。

 こうして古橋広之進、橋爪四郎以下、6人の日本選手団がロサンゼルスで行なわれた全米選手権に出場する。そして日本勢は大暴れ、200m自由形で浜口喜博が優勝。400m自由形では古橋広之進、橋爪四郎、村山修一、田中純夫と上位4位までを独占。800m自由形も古橋、橋爪、田中と3位までを独占。800mリレーでも世界新記録で日本がアメリカに圧勝。

 そんな中で圧巻は1500m自由形であった。予選から大きなアメリカ選手に混ざって日本選手たちは参加。まずA組に出場した橋爪は18分35秒7の世界新記録で決勝進出。続いてB組出場の古橋広之進は橋爪の記録を破る18分19秒0という驚異的な世界新記録で決勝進出。この時、2番手を泳ぐアメリカ選手を一往復以上引き離していたという。つまり古橋がゴールしても、2番手を泳ぐ選手はまだ1400mをターンしていなかったのである。アメリカの審判員は古橋らがあまりに大差をつけるので、どの選手が何往復したのか判らなくなってしまい、時計が狂ったのではないかと真剣に悩んだそうだ。

 引き続き決勝も古橋、橋爪、田中の順でゴール。完全にアメリカ選手を問題としなかった。この結果は、選手達の記録から見て、判っていたことなのにアメリカ側は同じ土俵で対決するまで信用しなかったのである。日本水練公認のプールで出した記録を、50mに満たないプールなのかと疑わせるほど古橋たちの記録は当時の外国選手よりも出色だったということであろう。まあ、今となってはそんなに日本の水泳が強い頃もあったのだと驚くことしか出来ないが、アメリカのマスコミは、とうとう古橋に『フジヤマのトビウオ』というニックネームをつけて敬意を表したのである。

 結局、この古橋たちの活躍ぶりはラジオや新聞、ニュース映画で大きく紹介され、敗戦直後でうちひしがれていた日本人に大きな希望と光明を与えたのである。こうして古橋たちは日本人なら誰もが知る存在となったのである。また水泳という一スポーツ競技が、これほどまでに国民的熱狂をもって迎えられた例は、後にも先にもこの時だけであろう。おそらく古橋の偉業は、現在の北島がオリンピックで連覇しようが、とても及びつかないほどのものだったのだろう。

 でも残念ながら、古橋はオリンピックではメダルを取れなかったのである。4年後のヘルシンキ・オリンピックに古橋は出場した。だがその前年、南米遠征でアメーバ赤痢に罹り、調子を落とした古橋は2度と復活することなく、オリンピックの決勝で8位に終わってしまった。この時、ラジオのアナウンサーが「古橋を責めないでください。古橋を責めないでください」を連呼したという。

 以上、私が知っている範囲での古橋広之進のお話でした。実際に古橋の現役時代は知らないが、エピソードとしては上記のようなものである。現実に私が知っている競泳の日本人選手は、山中毅が最初だから、古橋広之進は私も名前だけしか知らない。でもフジヤマのトビウオとして、後代まで語られる偉大なスイマーだったのである。・・・・ご冥福をお祈りします。
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