2009.12.10 (Thu)
映画『風と共に去りぬ』を観る
『風と共に去りぬ』1939年製作、アメリカ映画
監督 ヴィクター・フレミング
出演 ヴィヴィアン・リー
クラーク・ゲイブル
レスリー・ハワード
オリヴィア・デ・ハビラント
トーマス・ミッチェル
バーバラ・オニール
ハティ・マクダニエル
【あらすじ】1860年代のアメリカ南部ジョージア州。南北戦争の最中である。アイルランド系移民から一代で成功した農園主の娘スカーレット・オハラは勝気で野生的な気性と個性的な顔の持ち主であるが、同じ上流階級の青年アシュレー・ウィルクスに恋していた。だがアシュレーはスカーレットを嫌ってアシュレーの従姉妹メラニーと婚約していた。あるパーティーで2人が婚約していることを知ったスカーレットは癇癪を起こしてアシュレーの家の壺を投げつけて壊してしまう。それを見ていたレット・バトラーは、そんなスカーレットに好意を抱いてしまう。スカーレットは友人たちの陰口を聞き、メラニーへのあてつけのためにメラニーの兄チャールズが自分に求婚するように仕向け、結局、スカーレットはチャールズと結婚してしまう。だがチャールズは戦場に赴き死亡。スカーレットは戦火にもかかわらず17歳で長男ウェードを出産して未亡人となる。スカーレットは息子を連れてアトランタで新生活を始める。南北戦争は南軍の惨敗に終わり、農場は略奪によって荒らされ、母は死に父はショックのため廃人同然であった。スカーレットは金のため仕方なくケネディと結婚し製材所を営む。だがケネディも死に、やがて闇ブローカーで小金をためたレッド・バトラーがとうとうスカーレットの前に現れる。
この映画が作られたのは1939年(昭和14年)である。まさに第2次世界大戦が勃発した年であり、太平洋戦争の始まる2年前のことである。それでいて、これだけ大掛かりで、贅沢な映画を作ることが出来たアメリカという国の強大さに畏れ入るが、残念ながら『風と共に去りぬ』が日本で上映されたのは戦争が終わって7年後のことである。ということは戦時中の日本人は、この映画を観ることは出来なかったのである。それは敵国の映画であるという理由で、観ることは勿論のこと、上映することも禁じられていたからである。でも、もし戦時中に、この映画を観た日本人がいたとするならば(淀川長治は観たらしいが)、おそらく日本がアメリカと戦って勝てるなんて思わないだろう。
そもそも女流作家マーガレット・ミッチェルが書いて1936年に出版され、翌年にピュリッツアー賞を受賞した長編小説の映画化である。小説は作者が急死した1949年までに原作380万部、21ヶ国に翻訳されたもの200万部という大ベストセラーとなり、すぐに映画化の話が進み、映画も世界的ヒットとなるのだが・・・・・・・。とにかく贅沢を極めた映画で、撮影を始める前から、また撮影が始まってからも順調にいったことがなく、スカーレット・オハラ役が決まってないのに撮影が始まっていたり、撮影中に監督が何度も変えられたりして、話題には事欠かない映画である。でも作者自身は、『風と共に去りぬ』書いている間から映画化されることを念頭においていたのかもしれず、レット・バトラーはクラーク・ゲイブルを意識して書いたという。計らずともその通りになってしまったが、主人公のスカーレット役が皆目、決まらなかったのでは撮影が進まなかっただろう。南北戦争前後のアトランタ、またその近郊の町タラを舞台にした、炎のような女スカーレット・オハラの半生を完璧なまでの配役と豪華なセットと衣装でスクリーン狭しとばかりに展開する映画である。それで、今まで語りつくされ続けた映画であるということは判っているが、何度観ても豪華絢爛でスケールの大きさを感じないわけにはいかない映画でもある。出演者選びから困難を極め、脚本家と監督が何度も差し替えられ、主人公が決まらずでいながら結局、艱難辛苦の末、映画が完成したというのは、製作者のデヴィッド・O・セルズニックの執念と熱意であると言われている。セルズニックは10数人にも及ぶ脚本家の陣頭指揮を取り、その頃、まだ実験中だったテクニカラーを導入するなど事実上の監督といわれたが、とにかく彼の執念なくしては、この超大作は完成しなかったであろう。
とにかく何時完成するのか判らない中、セルズニックにとっては、それこそ映画のラストシーンでスカーレットが言う台詞ではないけども・・・・
After all, tomorrow is another day(明日には明日の風が吹くと訳された)
といった気持ちでいただろう。また、ヴィヴィアン・リーがローレンス・オリヴィエの後を追ってアメリカに来なかったら、スカーレットはいったい誰に決まっていたのだろうか、色々と話が尽きない映画である。結局、興行的にも大成功し、アカデミー賞9部門(作品、主演女優、助演女優、監督、脚色、撮影、室内装置、編集、タールバーグ記念賞)を受賞した『風と共に去りぬ』は、好き嫌いは別にしてハリウッド映画史に残る映画であることに間違いはない。
"タラのテーマ"の音楽にのって『風と共に去りぬ』のハイライト・シーンをどうぞ・・・・・
監督 ヴィクター・フレミング
出演 ヴィヴィアン・リー
クラーク・ゲイブル
レスリー・ハワード
オリヴィア・デ・ハビラント
トーマス・ミッチェル
バーバラ・オニール
ハティ・マクダニエル
【あらすじ】1860年代のアメリカ南部ジョージア州。南北戦争の最中である。アイルランド系移民から一代で成功した農園主の娘スカーレット・オハラは勝気で野生的な気性と個性的な顔の持ち主であるが、同じ上流階級の青年アシュレー・ウィルクスに恋していた。だがアシュレーはスカーレットを嫌ってアシュレーの従姉妹メラニーと婚約していた。あるパーティーで2人が婚約していることを知ったスカーレットは癇癪を起こしてアシュレーの家の壺を投げつけて壊してしまう。それを見ていたレット・バトラーは、そんなスカーレットに好意を抱いてしまう。スカーレットは友人たちの陰口を聞き、メラニーへのあてつけのためにメラニーの兄チャールズが自分に求婚するように仕向け、結局、スカーレットはチャールズと結婚してしまう。だがチャールズは戦場に赴き死亡。スカーレットは戦火にもかかわらず17歳で長男ウェードを出産して未亡人となる。スカーレットは息子を連れてアトランタで新生活を始める。南北戦争は南軍の惨敗に終わり、農場は略奪によって荒らされ、母は死に父はショックのため廃人同然であった。スカーレットは金のため仕方なくケネディと結婚し製材所を営む。だがケネディも死に、やがて闇ブローカーで小金をためたレッド・バトラーがとうとうスカーレットの前に現れる。
この映画が作られたのは1939年(昭和14年)である。まさに第2次世界大戦が勃発した年であり、太平洋戦争の始まる2年前のことである。それでいて、これだけ大掛かりで、贅沢な映画を作ることが出来たアメリカという国の強大さに畏れ入るが、残念ながら『風と共に去りぬ』が日本で上映されたのは戦争が終わって7年後のことである。ということは戦時中の日本人は、この映画を観ることは出来なかったのである。それは敵国の映画であるという理由で、観ることは勿論のこと、上映することも禁じられていたからである。でも、もし戦時中に、この映画を観た日本人がいたとするならば(淀川長治は観たらしいが)、おそらく日本がアメリカと戦って勝てるなんて思わないだろう。
そもそも女流作家マーガレット・ミッチェルが書いて1936年に出版され、翌年にピュリッツアー賞を受賞した長編小説の映画化である。小説は作者が急死した1949年までに原作380万部、21ヶ国に翻訳されたもの200万部という大ベストセラーとなり、すぐに映画化の話が進み、映画も世界的ヒットとなるのだが・・・・・・・。とにかく贅沢を極めた映画で、撮影を始める前から、また撮影が始まってからも順調にいったことがなく、スカーレット・オハラ役が決まってないのに撮影が始まっていたり、撮影中に監督が何度も変えられたりして、話題には事欠かない映画である。でも作者自身は、『風と共に去りぬ』書いている間から映画化されることを念頭においていたのかもしれず、レット・バトラーはクラーク・ゲイブルを意識して書いたという。計らずともその通りになってしまったが、主人公のスカーレット役が皆目、決まらなかったのでは撮影が進まなかっただろう。南北戦争前後のアトランタ、またその近郊の町タラを舞台にした、炎のような女スカーレット・オハラの半生を完璧なまでの配役と豪華なセットと衣装でスクリーン狭しとばかりに展開する映画である。それで、今まで語りつくされ続けた映画であるということは判っているが、何度観ても豪華絢爛でスケールの大きさを感じないわけにはいかない映画でもある。出演者選びから困難を極め、脚本家と監督が何度も差し替えられ、主人公が決まらずでいながら結局、艱難辛苦の末、映画が完成したというのは、製作者のデヴィッド・O・セルズニックの執念と熱意であると言われている。セルズニックは10数人にも及ぶ脚本家の陣頭指揮を取り、その頃、まだ実験中だったテクニカラーを導入するなど事実上の監督といわれたが、とにかく彼の執念なくしては、この超大作は完成しなかったであろう。
とにかく何時完成するのか判らない中、セルズニックにとっては、それこそ映画のラストシーンでスカーレットが言う台詞ではないけども・・・・
After all, tomorrow is another day(明日には明日の風が吹くと訳された)
といった気持ちでいただろう。また、ヴィヴィアン・リーがローレンス・オリヴィエの後を追ってアメリカに来なかったら、スカーレットはいったい誰に決まっていたのだろうか、色々と話が尽きない映画である。結局、興行的にも大成功し、アカデミー賞9部門(作品、主演女優、助演女優、監督、脚色、撮影、室内装置、編集、タールバーグ記念賞)を受賞した『風と共に去りぬ』は、好き嫌いは別にしてハリウッド映画史に残る映画であることに間違いはない。
"タラのテーマ"の音楽にのって『風と共に去りぬ』のハイライト・シーンをどうぞ・・・・・
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