2009.12.28 (Mon)
スウィングル・シンガーズを聴く

どうも年末といっても不景気風が強くて気勢が上がらない。風も冷たいが懐も寂しいし心も寒い。もう21世紀も10年目に入ろうとするが一向に心が晴れるような話がない。給料は上がらない仕事は増える人間関係に疲れるといった諸氏も多かろうと思われる。でも、こればかりは個人の力ではどうすることも出来ない。せめて旨いのでも食って胃袋だけでも満腹にしたいと思っても、最近は食費もバカならない。なんか面白いことはありませんか・・・・・・といってみたが、ボヤいていてもしょうがない。こうなら爽やかで楽しい音楽でも聴いて気分を和らげたいものであると、取り出したのがスウィングル・シンガーズのアルバムである。
スウィングル・シンガーズって何?・・・なんて声が聞こえてきそうだ。スウィングル・シンガーズというのは、1960年代に活躍したフランスのジャズ・コーラズ・グループである。当時、言葉にもならない声だけで~ダバダバダバダバっとメロディを奏でるコーラスが流行った。思えばテレビの深夜番組『11PM』のタイトル曲なんていうのも、その影響をモロに受けているだろうし、由紀さおりの『夜明けのスキャット』なんて~ルールルルルールールルルルと出だしから歌詞の無い歌まで流行った時代である。そんな時代の渦中にいたコーラス・グループがスィングル・シンガーズであった。
確か唯一のアメリカ人ウォード・スウィングルをリーダーにしていた8人組だったと思う。つまりスウィングル・シンガーズはジャズのスウィングとは関係なく、リーダーの名前を冠したグループであったということである。ウォード・スウィングルはシンシナティ音楽院ピアノ科を首席で卒業し、その後にワルター・ギーゼキングに師事したというクラシック畑の音楽科であったが、渡仏後はジャズにも力を入れていた。ちょうどその頃、フランスにはバッハをジャズ風に演奏するジャック・ルーシェ・トリオがいた関係もあり、またウォード・スィングルはダブル・シックス・オブ・パリスというジャズ・コーラスのメンバーだったこともあり、ジャズのスキャットを用いてバッハの曲を演奏してみてはどうかと思いついたのだろう。こうして結成されたのが、男4人、女4人からなるスウィングル・シンガーズ(Les Swingle Singers)である。
スウィングル・シンガーズは1963年にデビュー・アルバム『Jazz Sebastien Bach』を出す。これはヨハン・セバスティアン・バッハのフランス表記であるJean Sebastien Bachを捩ったものであることはいうまでもない。ところが、このアルバムは大評判になりありとあらゆる音楽のジャンルに影響を与えてしまい一躍、バッハ・ブームの立役者の一翼となった。
その後にスウィングル・シンガーズはバッハだけではなく、クラシック音楽全般をジャズ・コーラスでカバーするようになったが、当アルバムでも冒頭の『G線上のアリア』(バッハ)から始まって、『ソルチーコ』(アルベニス)、『スプリング・ソナタ~スケルツォ』(ベートーヴェン)、『アランフェス協奏曲~アダージオ』(ロドリーゴ)、『ディドとエアネス~ホエン・アイ・アム・レイド・イン・アース』(パーセル)、『スペイン風タンゴ』(アルベニス)、『エチュード第14番』(ショパン)、『展覧会の絵~リモージュの市場』(ムソルグスキー)、『弦楽四重奏曲・作品40-1』(メンデルスゾーン)、『6声のリチェルカーレ』(バッハ)、『小さなプレリュードとフーガ』(シューマン)・・・・とクラシック音楽をスキャットでカバーしている。
ところで、このスウィングル・シンガーズで透明感のあるソプラノ・パートを担当している女性が、クリスティーヌ・ルグランである。彼女は映画『シェルブールの雨傘』でも出演者の声の吹き替えで歌を歌うなど定評の美声であるが、その楽曲を担当したのが実弟のミシェル・ルグランであることを付け加えておこう。
スィングル・シンガーズは1970年の大阪万博の時に来日し、コンサートを各地で行なったが、結局は1973年に解散してしまったが、その後もスウィングル・シンガーズの清涼感のあるスキャット・コーラスが聴かれることは聴かれるそうだが、メンバーがすっかり入れ替ってしまったしウォード・スィングルは活動に参加していないので、昔のスウィングル・シンガーズとは別グループといってもいいだろう。
バッハの小フーガを奏でるスウィングル・シンガーズ(音声のみ)
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