2010.01.11 (Mon)
今日は成人の日らしい・・・
今日は祝日だが何の日だったのかとカレンダーを見たら成人の日であった。でも1月の中頃の祝日というと成人の日しかない筈なんだが、このところ成人の日が毎年違うので、つい何の日だったのかと考えてしまうのである。何時から祝日が日曜日の翌日にくるようになったのかなあ。もう何年も前のことだが、未だに成人の日は1月15日というのが私の記憶の中から離れない。でも、この日が来るたびに思う事だが成人の日なんて必要あるのかなあ。
昔は元服といたものがあったらしいが、現在のような複雑な構造社会においては意味をなさないだろうし、現在の成人年齢というのは、まだ独り立ちしていない人が多く江戸時代の社会とは大きく異なっているから成人というものも何を持って成人とするのかよく判らないところが多い。一応、大人として認めるということになるのだろうが、これは社会人として独り立ちするということと自己責任を持つということ、またそれには社会的責任を持つということも含まれるのだが、とてもそれに見合うことが出来てない大人が多くて困ってしまうのだが。所謂、子供大人が多いという現実があって、最近はその割合が増しているように思う。
最近の成人式で式の最中に大騒ぎする者や、酒を飲んで警察に検挙される者が日本の何処かで必ずいるが、こんなの昔では考えられなかったことだ。それが7、8年ぐらい前から成人式となるとこういったことがニュースになる。やはり全体的に精神年齢が昔より低くなっていることは確かなようだ。成人というのは個人の責任で何をやってもいいことになっている。親の承諾もいらないし、酒も飲めるし煙草も解禁、その他、何でも自由になる。でも一方で自分の行動に責任も持たなければならない。それは当然のことである。それを自由だから公式の場で暴れるやら酒を飲んで騒ぐというのは、意味を穿き違えているとしか思えない。彼らはもっと本当の意味での大人にならなくてはならないだろう。あんなことをやっている間は、まだまだ子供としかいえないね。それに成人式が嫌なら成人式に行かなければいい。それともみんなが集まる場で、目立ちたいだけなのか・・・・・・。
私なんか成人式に参加しなかった。私の成人式というと、かれこれ30何年も前のことだったが、あんなもの行く必要あるのかと思ったし、成人式を行なう意味もないと考えていた。だからその日は、前日の夜勤明けから帰ってきて、昼間はひたすら眠っていた(大学生だったんだが)。何だか振袖着たりスーツ着たりで着飾りすぎだろ。それに卒業した学校の友人達と再会する意味でみんな行っていたのだと思う。要は同窓会のようなものだった。だから私は行かなかった。
もっとも20歳といっても充分、精神的にも経済的にも社会的にも大人の人がいるかと思えば、30歳なっても一向に大人に成りきれない人がいる以上、地方自治体が税金をつぎ込んで、こういった公の式を行なう意味もないだろう。もうやめてしまえばどうかと思う。その結果、酒を飲んで騒ぐ連中のパーフォーマンスの見せ場に成り下がっている。彼らは人に迷惑をかけても平然と行いを遂行しようとする暴走族とやっていることはあまり変わらない。こんな彼らも大人の仲間入りするのだから困ったものだが、騒ぐことを目的にしてしまっている連中がいるのも確かなことだから、成人式もそろそろやめてしまってもいいのでは・・・・・・・。
それにしても新成人の数が減ったものである。今年は127万人しかいないという。それも今後、減り続けるというから少子化の問題は大きい。我々の頃では180万人前後だと思うが、私より上の団塊の世代では220万人~250万人の人が新成人になっていた。つまり団塊の世代に比べると今は半分の人しか新成人にならないのか・・・・・。今後、日本が老人大国へ移行していく過程において、若者の持つ意味はだんだんと大きくなっていくというのに、これだけ若者が少なくなっていくと日本の未来も明るくはないなあと意を強く持ってしまった。どうせ私は、あと30年生きているかどうか判らないが、若者が老人になる頃の日本はと見渡すにつれ暗い話題しか出てこないというのでは、少子化になるのも無理はないなあ・・・・・・。
昔は元服といたものがあったらしいが、現在のような複雑な構造社会においては意味をなさないだろうし、現在の成人年齢というのは、まだ独り立ちしていない人が多く江戸時代の社会とは大きく異なっているから成人というものも何を持って成人とするのかよく判らないところが多い。一応、大人として認めるということになるのだろうが、これは社会人として独り立ちするということと自己責任を持つということ、またそれには社会的責任を持つということも含まれるのだが、とてもそれに見合うことが出来てない大人が多くて困ってしまうのだが。所謂、子供大人が多いという現実があって、最近はその割合が増しているように思う。
最近の成人式で式の最中に大騒ぎする者や、酒を飲んで警察に検挙される者が日本の何処かで必ずいるが、こんなの昔では考えられなかったことだ。それが7、8年ぐらい前から成人式となるとこういったことがニュースになる。やはり全体的に精神年齢が昔より低くなっていることは確かなようだ。成人というのは個人の責任で何をやってもいいことになっている。親の承諾もいらないし、酒も飲めるし煙草も解禁、その他、何でも自由になる。でも一方で自分の行動に責任も持たなければならない。それは当然のことである。それを自由だから公式の場で暴れるやら酒を飲んで騒ぐというのは、意味を穿き違えているとしか思えない。彼らはもっと本当の意味での大人にならなくてはならないだろう。あんなことをやっている間は、まだまだ子供としかいえないね。それに成人式が嫌なら成人式に行かなければいい。それともみんなが集まる場で、目立ちたいだけなのか・・・・・・。
私なんか成人式に参加しなかった。私の成人式というと、かれこれ30何年も前のことだったが、あんなもの行く必要あるのかと思ったし、成人式を行なう意味もないと考えていた。だからその日は、前日の夜勤明けから帰ってきて、昼間はひたすら眠っていた(大学生だったんだが)。何だか振袖着たりスーツ着たりで着飾りすぎだろ。それに卒業した学校の友人達と再会する意味でみんな行っていたのだと思う。要は同窓会のようなものだった。だから私は行かなかった。
もっとも20歳といっても充分、精神的にも経済的にも社会的にも大人の人がいるかと思えば、30歳なっても一向に大人に成りきれない人がいる以上、地方自治体が税金をつぎ込んで、こういった公の式を行なう意味もないだろう。もうやめてしまえばどうかと思う。その結果、酒を飲んで騒ぐ連中のパーフォーマンスの見せ場に成り下がっている。彼らは人に迷惑をかけても平然と行いを遂行しようとする暴走族とやっていることはあまり変わらない。こんな彼らも大人の仲間入りするのだから困ったものだが、騒ぐことを目的にしてしまっている連中がいるのも確かなことだから、成人式もそろそろやめてしまってもいいのでは・・・・・・・。
それにしても新成人の数が減ったものである。今年は127万人しかいないという。それも今後、減り続けるというから少子化の問題は大きい。我々の頃では180万人前後だと思うが、私より上の団塊の世代では220万人~250万人の人が新成人になっていた。つまり団塊の世代に比べると今は半分の人しか新成人にならないのか・・・・・。今後、日本が老人大国へ移行していく過程において、若者の持つ意味はだんだんと大きくなっていくというのに、これだけ若者が少なくなっていくと日本の未来も明るくはないなあと意を強く持ってしまった。どうせ私は、あと30年生きているかどうか判らないが、若者が老人になる頃の日本はと見渡すにつれ暗い話題しか出てこないというのでは、少子化になるのも無理はないなあ・・・・・・。
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