2007.11.30 (Fri)
初めて買ったコンパクトディスク・・・・・・ベルリオーズ『幻想交響曲』
ユージン・オーマンディ指揮 フィラデルフィア管絃楽団
ベルリオーズ 『幻想交響曲』のCD
今年の10月で、コンパクトディスクが売り出されて、25年になるらしい。私はアナログ世代の人間なのでデジタル・オーディオ・ソフトという物が売り出されたとき、いったいそれは何だと思った。でも、その実物を見たのは、発売されてから1年ほど経ってからのことである。何故かというと、学生の頃までよく聴いていた音楽を、社会に出てからさっぱりと聴かなくなってしまい、レコード店からすっかり足が遠ざかってしまったからである。それというのも社会に出てから毎日、残業の連続で、帰宅が何時も深夜であり、日曜日も出勤していることがあった。そんな状態で、音楽なんか聴けるものではなく、テレビを観ることもなくラジオの電源を入れることもなくなった。
音楽とは絶縁状態で、世の中のヒット曲ともご無沙汰で、どんな歌手がいるやらチンプンカンブン。唯一、流行の音楽を聴くときというのは、出勤途中に毎朝、寄る喫茶店で流れていた曲を聴くときぐらいであった。だからレコード店に行くことも無くなり、CDソフトなる代物が世に出回っていることも知らず、ある日、何気なく入ったレコード店で見つけたドーナツ盤よりも小さなコンパクトディスク。私は何だこれはと思った。私が音楽から程遠い生活を強いられている間に、世の中はレコード盤からコンパクトディスクへと変わりつつあったのである。早速、視聴してみた時の印象は、とにかく音が鮮明で雑音が無い。そして曲の頭出しが簡単。長時間演奏も出来、それに小さくて持ち運びに便利で、音質も劣化しないという。私はすっかり気に入ってしまい。それから半年後には、CDプレーヤーを買ってしまった。
CDプレーヤーを買ってしまったが、肝心のソフトが無い。それで、何を聴こうかと迷った挙句、買ったのがユージン・オーマンデイ指揮、フィラデルフィア管弦楽団演奏のベルリオーズの『幻想交響曲』である。
何でクラシック音楽だと問われそうであるが、CDだからクラシック音楽にしようとブレーヤーを買った時から考えていたのである。お前はこのブログで、クラシック音楽のことを今まで一つも書いてないぞ! と言われると言葉が無いが、私は子供の頃から、ロックやポップスに混ざってクラシックも聴いていたのである。でもレコード盤だと、表、裏とひっくり返さなくてはならない。こんな面倒なことは無い。それに長時間演奏の曲だとLP2枚組みというのが珍しくなかった。だから最大74分まで連続して聴けるCDは、クラシック音楽を聴くのにもってこいだと思ったまでである。
さて、クラシック音楽と言っても実に幅広い。何を最初に聴こうかと悩んだ。当時のCDは高価(1枚約3000円)だったから何枚も買えない。そんな時、NHKのFM放送でベルリオーズの『幻想交響曲』が流れていた。誰の演奏かも知らず3楽章の終盤を私は聴いていた。すると突如としてティンパニーが連打された。ゴロゴロゴロゴロと打ち鳴らされる雷鳴。まさに稲光と雷鳴が轟いているかのような、そんな衝撃な音に酔いしれた。私は「これだ、これにしよう」と閃いた。
そんな訳で、最初に買ったCDがユージン・オーマンディ指揮によるフィライデルフィア管弦楽団演奏の『幻想』だったのである。このベルリオーズの『幻想交響曲』にはシャルル・ミュンシュ指揮の盤やモントゥー指揮の名盤もある筈なのにと思われがちだが、この時は、何の躊躇も無くオーマンディ盤を選んでしまったのである。ユージン・オーマンディというと、玄人には受けが悪く、ゴージャスな音だが、中身が空虚だとか、表面的な演奏だと評価は低い。でも私はオーマンディは嫌いではない。確かに録音過多で、どんな曲にでも手を出すきらいはあるが、音色は派手で艶やか、色彩豊な重苦しさの無い演奏である。でも、これがミーハーの好む音楽だと、口の煩い通には嫌われているようだ。でも音楽にあまり理屈を捏ねたくない私は、ただ聴いて自分が納得すればいいことであって、人がどのように評価しようが自分の耳しか信じない。一般的に日本人のクラシック通というのは、ベルリン・フィルやウィーン・フィルの評価が高くて、アメリカのオケに対する評価は低い。指揮者においてもフルトヴェングラーやワインガルトナー、メンゲルベルク、ブルーノ・ワルター、クナッパーツブッシュ、カール・ベームを好きな人は多かった。それに反してアメリカのオケに、トスカニーニ、ストコフスキー、ライナー、セル、オーマンディといった指揮者は無視されがちだった。でも私は、そんな通の評価に関係なく自分で好きな物は好きで嫌いな物は嫌いという性格なので、全て自分で聴きたいものは選んでいた。
それでこのアルバムであるが、ミュンシュ指揮、パリ管弦楽団演奏の名盤といわれるものと比較すると、テンポがゆったりしていて、意外にもあまりオーマンディらしくない音色であり、ラジオで聴いていた時の演奏とは少し違っていた。どうもそのあたりは、プレーヤーの機材に問題があるのかもしれないが、3楽章のティンパニーが連打されるところは、何人で叩いているのだろうかと、兎に角、ラジオで初めて聞いたときの印象そのものであった。そして、5楽章の『魔女の祝日の夜の夢』の中で鐘が打ち鳴らされるが、この鐘がまた渋くていい。ミュンシュ盤のような甲高い鐘の音色ではなく、そこへチューバの重低音が重苦しいメロディを奏でる。
いささか派手なオーマンディの演奏も、この曲にいたっては意外と大人しい演奏であるが、このような伝統的『幻想交響曲』らしくない『幻想交響曲』もいいのではないかと思った。このアルバムは1976年の録音で。当然のようにアナログ録音である。最近はデジタル録音が当たり前だが、曲自体がデジタル化で栄える『幻想交響曲』でアナログ録音によるCDもあまりない。そんなアナログ時代の最後の『幻想交響曲』ともいえるオーマンディの当アルバムである。実は、私はデジタルよりもアナログ演奏の方が好きであり、音質も柔らかい。たがら、デジタル録音のキンキンした硬質な音が苦手なのかもしれないが、最近の『幻想交響曲』のCDを聴いても、再び聴きたくなるような演奏にあまりお目にかかれない。それは曖昧さの必要なアナログに対して区切りが明確なデジタルによって作られた音楽というのは、どこか機械的だと思えるからかもしれない。
この演奏は1976年で、オーマンディ77歳の時の録音である。つまりオーマンディ最晩年の指揮ということになる。ストコフスキーが率いたフィラデルフィア管弦楽団を引き継ぎ、1980年にリッカルド・ムーティに譲るまで、42年間もフィラデルフィア管弦楽団常任指揮者として君臨していたが、1985年にオーマンディは亡くなった。
今はオーマンディの指揮で演奏を生で聴けることは無くなったが、大量に録音されたマスターテープが残っており、オーマンディ指揮のCDが安くで売っていたりする。でも人気が無く、カラヤンやアバード、ラトルといった王道の指揮者のCDが良く売れるだろう。でも私は、人の評価は低かったが、ゴージャスな音色のオーマンディ指揮、フィラデルフィア管弦楽団の演奏が好きだった。
ベルリオーズ 『幻想交響曲』のCD
今年の10月で、コンパクトディスクが売り出されて、25年になるらしい。私はアナログ世代の人間なのでデジタル・オーディオ・ソフトという物が売り出されたとき、いったいそれは何だと思った。でも、その実物を見たのは、発売されてから1年ほど経ってからのことである。何故かというと、学生の頃までよく聴いていた音楽を、社会に出てからさっぱりと聴かなくなってしまい、レコード店からすっかり足が遠ざかってしまったからである。それというのも社会に出てから毎日、残業の連続で、帰宅が何時も深夜であり、日曜日も出勤していることがあった。そんな状態で、音楽なんか聴けるものではなく、テレビを観ることもなくラジオの電源を入れることもなくなった。
音楽とは絶縁状態で、世の中のヒット曲ともご無沙汰で、どんな歌手がいるやらチンプンカンブン。唯一、流行の音楽を聴くときというのは、出勤途中に毎朝、寄る喫茶店で流れていた曲を聴くときぐらいであった。だからレコード店に行くことも無くなり、CDソフトなる代物が世に出回っていることも知らず、ある日、何気なく入ったレコード店で見つけたドーナツ盤よりも小さなコンパクトディスク。私は何だこれはと思った。私が音楽から程遠い生活を強いられている間に、世の中はレコード盤からコンパクトディスクへと変わりつつあったのである。早速、視聴してみた時の印象は、とにかく音が鮮明で雑音が無い。そして曲の頭出しが簡単。長時間演奏も出来、それに小さくて持ち運びに便利で、音質も劣化しないという。私はすっかり気に入ってしまい。それから半年後には、CDプレーヤーを買ってしまった。
CDプレーヤーを買ってしまったが、肝心のソフトが無い。それで、何を聴こうかと迷った挙句、買ったのがユージン・オーマンデイ指揮、フィラデルフィア管弦楽団演奏のベルリオーズの『幻想交響曲』である。
何でクラシック音楽だと問われそうであるが、CDだからクラシック音楽にしようとブレーヤーを買った時から考えていたのである。お前はこのブログで、クラシック音楽のことを今まで一つも書いてないぞ! と言われると言葉が無いが、私は子供の頃から、ロックやポップスに混ざってクラシックも聴いていたのである。でもレコード盤だと、表、裏とひっくり返さなくてはならない。こんな面倒なことは無い。それに長時間演奏の曲だとLP2枚組みというのが珍しくなかった。だから最大74分まで連続して聴けるCDは、クラシック音楽を聴くのにもってこいだと思ったまでである。
さて、クラシック音楽と言っても実に幅広い。何を最初に聴こうかと悩んだ。当時のCDは高価(1枚約3000円)だったから何枚も買えない。そんな時、NHKのFM放送でベルリオーズの『幻想交響曲』が流れていた。誰の演奏かも知らず3楽章の終盤を私は聴いていた。すると突如としてティンパニーが連打された。ゴロゴロゴロゴロと打ち鳴らされる雷鳴。まさに稲光と雷鳴が轟いているかのような、そんな衝撃な音に酔いしれた。私は「これだ、これにしよう」と閃いた。
そんな訳で、最初に買ったCDがユージン・オーマンディ指揮によるフィライデルフィア管弦楽団演奏の『幻想』だったのである。このベルリオーズの『幻想交響曲』にはシャルル・ミュンシュ指揮の盤やモントゥー指揮の名盤もある筈なのにと思われがちだが、この時は、何の躊躇も無くオーマンディ盤を選んでしまったのである。ユージン・オーマンディというと、玄人には受けが悪く、ゴージャスな音だが、中身が空虚だとか、表面的な演奏だと評価は低い。でも私はオーマンディは嫌いではない。確かに録音過多で、どんな曲にでも手を出すきらいはあるが、音色は派手で艶やか、色彩豊な重苦しさの無い演奏である。でも、これがミーハーの好む音楽だと、口の煩い通には嫌われているようだ。でも音楽にあまり理屈を捏ねたくない私は、ただ聴いて自分が納得すればいいことであって、人がどのように評価しようが自分の耳しか信じない。一般的に日本人のクラシック通というのは、ベルリン・フィルやウィーン・フィルの評価が高くて、アメリカのオケに対する評価は低い。指揮者においてもフルトヴェングラーやワインガルトナー、メンゲルベルク、ブルーノ・ワルター、クナッパーツブッシュ、カール・ベームを好きな人は多かった。それに反してアメリカのオケに、トスカニーニ、ストコフスキー、ライナー、セル、オーマンディといった指揮者は無視されがちだった。でも私は、そんな通の評価に関係なく自分で好きな物は好きで嫌いな物は嫌いという性格なので、全て自分で聴きたいものは選んでいた。
それでこのアルバムであるが、ミュンシュ指揮、パリ管弦楽団演奏の名盤といわれるものと比較すると、テンポがゆったりしていて、意外にもあまりオーマンディらしくない音色であり、ラジオで聴いていた時の演奏とは少し違っていた。どうもそのあたりは、プレーヤーの機材に問題があるのかもしれないが、3楽章のティンパニーが連打されるところは、何人で叩いているのだろうかと、兎に角、ラジオで初めて聞いたときの印象そのものであった。そして、5楽章の『魔女の祝日の夜の夢』の中で鐘が打ち鳴らされるが、この鐘がまた渋くていい。ミュンシュ盤のような甲高い鐘の音色ではなく、そこへチューバの重低音が重苦しいメロディを奏でる。
いささか派手なオーマンディの演奏も、この曲にいたっては意外と大人しい演奏であるが、このような伝統的『幻想交響曲』らしくない『幻想交響曲』もいいのではないかと思った。このアルバムは1976年の録音で。当然のようにアナログ録音である。最近はデジタル録音が当たり前だが、曲自体がデジタル化で栄える『幻想交響曲』でアナログ録音によるCDもあまりない。そんなアナログ時代の最後の『幻想交響曲』ともいえるオーマンディの当アルバムである。実は、私はデジタルよりもアナログ演奏の方が好きであり、音質も柔らかい。たがら、デジタル録音のキンキンした硬質な音が苦手なのかもしれないが、最近の『幻想交響曲』のCDを聴いても、再び聴きたくなるような演奏にあまりお目にかかれない。それは曖昧さの必要なアナログに対して区切りが明確なデジタルによって作られた音楽というのは、どこか機械的だと思えるからかもしれない。
この演奏は1976年で、オーマンディ77歳の時の録音である。つまりオーマンディ最晩年の指揮ということになる。ストコフスキーが率いたフィラデルフィア管弦楽団を引き継ぎ、1980年にリッカルド・ムーティに譲るまで、42年間もフィラデルフィア管弦楽団常任指揮者として君臨していたが、1985年にオーマンディは亡くなった。
今はオーマンディの指揮で演奏を生で聴けることは無くなったが、大量に録音されたマスターテープが残っており、オーマンディ指揮のCDが安くで売っていたりする。でも人気が無く、カラヤンやアバード、ラトルといった王道の指揮者のCDが良く売れるだろう。でも私は、人の評価は低かったが、ゴージャスな音色のオーマンディ指揮、フィラデルフィア管弦楽団の演奏が好きだった。
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