2010.02.11 (Thu)
トルストイ・・・・・『クロイツェル・ソナタ』を読む

トルストイというとなんか『戦争と平和』に代表されるように、長編で理屈っぽい小説が多いように思うが、この『クロイツェル・ソナタ』はさほど長くはないし、読みやすい作品である。
早春の頃、汽車に乗っている数名の乗客がいた。彼らは職業もバラバラなら年齢も様々である。語り手である私を含め車内にいる老紳士、婦人、商人、弁護士等が離婚について意見をいいあっていた。ただ一人だけ会話に加わろうとしない紳士がいた。彼は話しかけられても加わろうとせず、態度もどこかぎこちなかった。
列車は進み会話は弾む、みんなそれぞれの意見をたたかわすがこれといって決め手のある意見はない。ある婦人は停車した駅で立ち去った老紳士が言った意見に対し「ああいう人は本当に大切なことが判ってないのです」と言って、結婚は愛によってきよめられる神聖なものだとと唱える。するとそれまで会話に参加しなかったぎこちない態度の紳士が口を開いたのである。「いったいどんな愛が結婚を清めてくれるというのだ」。婦人は「真実の愛です」という。すると紳士は「真実の愛とは何だ」と問い返し、そこから彼の持論が展開していくのである。結局、話の終結は彼が妻を殺してしまったということで、一同は沈黙してしまったのだが・・・・。列車が次の駅にて停車し、婦人と弁護士は別の車両に移ってしまい車内はそれまでの熱い会話が途絶え静寂していた。そのとき、語り手の私とぎこちない紳士と目が合い、彼が自身を延々と語り始めるのである。
彼は妻を殺すにまでに至った半生を語りだす。彼は公爵ポズドヌイシェフといい、ロシアの貴族生活は退廃していて、正装して舞踏会で若い貴婦人との出会いや物色することが立派なことだと考えていた。でもやがて、こんな社交界の女も商売女も所詮は同じと思うようになり、ドレスを着て着飾る上流階級の女も売春宿の女も男の前では同じだと言い放つのである。そして、上流階級の令嬢が大はしゃぎする両親の手で、梅毒男と結婚させられた例をいくつも知っているといい、自分は他の連中とは違うのだと、心に言い聞かせ自分に相応しい純潔な娘を見初めて結婚して、結婚後は愛人を作らず、妻との愛を育むのだと語るのだった。
ポズドヌイシェフは、妻が友人トルハチェフスキーと浮気していることに気が付き婦喧嘩の末に妻を刺してしまった。そして妻は平常心を失い、やがて死亡してしまうのであるが、トルストイはいったい、ポズドヌイシェフの語りから何を訴えたかったのか・・・・・・。ただ禁欲的な愛を説いているのだとしたら、あまりにも常套的な展開でありすぎると思えし、いささか短絡的過ぎる。もっとも19世紀の帝政ロシアという時代背景を考えるよりも、これは男女間にある普遍的なテーマであるかもしれないが、現在でも通用しそうな道徳的なものを説いている。
紳士は妻を殺してしまった今の心境と真実の愛を求めて苦悩し、挙句の果てに妻を殺すことに至るまでの深層心理が複雑に交錯し、それが列車内でも絶えず態度に表れていたのかもしれないが、彼の告白で女性の見方が徐々に変わっていくという描写でも判るが、トルストイ考える男女の性的関係は極めてストイックであり純潔であるということが披歴してある。男女間の性的な関係は大別して三つあり、まず女性は男性の性欲に支配され絶対的貞操を要求される。次は女性も権利の平等を要求し性欲を自由に満たす。最後は男女間に精神的結びつきはなく、惰性による醜悪な性欲の満足があうだけという。それでトルストイは性的欲望こそ、人間の生活の様々な悪や不幸、悲劇の源であると考えているようだ。
・・・・・・あまりこの作品に対して深く追求するのはよそう。男女間の性的関係に関する考えは、時代、土地柄、職業、身分、意識、それぞれで違うだろうし、トルストイが説くような事象も多く存在するだろうが、あれから100年以上が経過、社会がより複雑化してしまった。だからすべては適用されないだろう。でも彼が指摘した男女間の情念というものは、現在でも立派に通用するだろう。
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