2010.06.01 (Tue)
デニス・ホッパー死去
デニス・ホッパーが29日、ロサンジェルスの自宅で亡くなったと報道されていた。昨年の10月に末期の前立腺癌であると公表し、これまで闘病生活を強いられていたが、とうとう前立腺癌による合併症で亡くなった。
デニス・ホッパーといっても最近の人はあまり認識がないだろう。74歳だからしかたがない。俳優で監督でプロデュサーであるといっても印象はうすいかもしれない。所謂、脇役俳優であるから、あまり主演をしなかった。でも過去の出演映画を見てみると驚かれると思う。デニス・ホッパーが19歳の時に出たのが『理由なき反抗』である。この時の主演がかのジェームス・ディーンであり、次に出たのが『ジャイアンツ』である。この時も主演はジェームス・ディーンであり、若き日のエリザベス・テイラーであった。若いときに一緒に映画に出た仲間がジェームス・ディーンであったというのは貴重な体験であろう。とにかくジェームス・ディーンはたったの三本の映画に出ただけで交通事故で死んでいった。その中の二本をジェームス・ディーンと共に出演したから、当然のようにジェームス・ディーンの影響を受けたという。
ジェームス・ディーンという役者も何かに訴えている目を絶えずしていたが、彼に影響を受けたデニス・ホッパーも、その後は監督やスタッフと何度も衝突し不遇の時代を送るしかなかった。彼は映画の都ハリウッドに居場所はなく、ニューヨークに行き、彼の地で独立プロの作品に幾つか出演しキャリアを積んでいった。でも知名度は上がらずにいた。そんな時代に彼は監督として俳優として脚本家として映画『イージー・ライダー』を生む。
1969年製作された『イージー・ライダー』は、今では反体制的なアメリカン・ニューシネマの代表的作品としてカルト的な人気を誇る作品となり、上映された映画は大ヒットして彼は一躍、有名になった。しかし、撮影開始当初、『イージー・ライダー』がこれほど評判になり、これはど人気が出るとは考えてなかっただろう。『イージー・ライダー』は単に麻薬とバイクとを結びつけたロードムービーを低予算で撮りたかっただけだと確か彼が言っていたように思う。それが思わず反響を呼び、当時のアメリカのバイクに跨ったヒッピー青年を通して権力を痛烈に批判したのだと、批評家やファンが一方的に解釈し、熱狂的に若者に支持される映画となってしまった。それ以来、デニス・ホッパーは反社会的なイメージが先行してしまい、再び映画出演に恵まれなくなる。私生活でも麻薬や酒に溺れる始末で、反社会的なシンボルも地に落ちたといわれたものである。
1980年代も後半になり、ようやく彼は映画出演に積極的になるが、若い頃の映画とも『イージー・ライダー』で監督・脚本・主演を演じた頃と違い、性格俳優としてスクリーンに帰って来た。もう反逆的な目はしてなくて、ハリウッドの役者の顔をしていた。『地獄の黙示録』『ブルー・ベルベット』『勝利への旅立ち』『ハートに火をつけて』『トゥルー・ロマンス』『逃げる天使』『スピード』『ウォーター・ワールド』『バスキア』『スペース・トラッカー』・・・・・今世紀に入っても精力的に映画出演していた。もっとも最近は私も映画を観なくなったから、デニス・ホッパーがどういった役で出ていたか知らない。彼は好んで出ていたのだとしたらいいが、若い時のような反抗的な目ではなくなり大衆に迎合してしまったかのように私は思えた。しかし、どんな役をしていようが、どんな心境の変化が起ころうが、何れもデニス・ホッパーであることに変りはない。
そこで最近、何気なく思っていることだが、デニス・ホッパーには他人が考えているほど反社会的人間ではなかったのでは?・・・・・・・。彼が真に反体制派の役者なら商業的に成功するような娯楽映画に出ただろうか。彼は若いときのような反体制の精神を貫いたら、とてもハリウッド大作に出ることは出来なかっただろうし、この20年の間の映画出演ラッシュという訳にはいかなかっただろう。
つまり『イージー・ライダー』で焼きついた彼に対するイメージが、なかなか壊れずにいて、そのことが彼には重荷になっていたのではないだろうか。つまり彼は映画人として悟ったのでは・・・・。反抗的でいるよりも体制派に迎合する。これで吹っ切れたとしたら彼の映画人としてのその後が決定づけられた『イージー・ライダー』は、彼としたら予想外の映画だったのかもしれない。大した意味もなく製作したのに、結果オーライで、映画は大反響。批評家が挙って持ち上げてしまったとしたら、これほど痛快なことはないが、そのことが彼には重荷になっていたのではないかと私は考えているのであるが・・・・。
映画『ジャイアンツ』の1シーン。デニス・ホッパーは若い頃、こんな役も演じていた。ロック・ハドソンとエリザベス・テイラーの息子役で出ていたが、ここではジェームス・ディーンに殴り倒される。
デニス・ホッパーといえば、やはりこの映画『イージー・ライダー』監督、主演、脚本と才能振りを発揮。映画ではピーター・フォンダの相棒的役柄だった。映画の冒頭。スッテペンウルフ『ワイルドで行こう(Born to be Wild)』の音楽にのって。
デニス・ホッパーといっても最近の人はあまり認識がないだろう。74歳だからしかたがない。俳優で監督でプロデュサーであるといっても印象はうすいかもしれない。所謂、脇役俳優であるから、あまり主演をしなかった。でも過去の出演映画を見てみると驚かれると思う。デニス・ホッパーが19歳の時に出たのが『理由なき反抗』である。この時の主演がかのジェームス・ディーンであり、次に出たのが『ジャイアンツ』である。この時も主演はジェームス・ディーンであり、若き日のエリザベス・テイラーであった。若いときに一緒に映画に出た仲間がジェームス・ディーンであったというのは貴重な体験であろう。とにかくジェームス・ディーンはたったの三本の映画に出ただけで交通事故で死んでいった。その中の二本をジェームス・ディーンと共に出演したから、当然のようにジェームス・ディーンの影響を受けたという。
ジェームス・ディーンという役者も何かに訴えている目を絶えずしていたが、彼に影響を受けたデニス・ホッパーも、その後は監督やスタッフと何度も衝突し不遇の時代を送るしかなかった。彼は映画の都ハリウッドに居場所はなく、ニューヨークに行き、彼の地で独立プロの作品に幾つか出演しキャリアを積んでいった。でも知名度は上がらずにいた。そんな時代に彼は監督として俳優として脚本家として映画『イージー・ライダー』を生む。
1969年製作された『イージー・ライダー』は、今では反体制的なアメリカン・ニューシネマの代表的作品としてカルト的な人気を誇る作品となり、上映された映画は大ヒットして彼は一躍、有名になった。しかし、撮影開始当初、『イージー・ライダー』がこれほど評判になり、これはど人気が出るとは考えてなかっただろう。『イージー・ライダー』は単に麻薬とバイクとを結びつけたロードムービーを低予算で撮りたかっただけだと確か彼が言っていたように思う。それが思わず反響を呼び、当時のアメリカのバイクに跨ったヒッピー青年を通して権力を痛烈に批判したのだと、批評家やファンが一方的に解釈し、熱狂的に若者に支持される映画となってしまった。それ以来、デニス・ホッパーは反社会的なイメージが先行してしまい、再び映画出演に恵まれなくなる。私生活でも麻薬や酒に溺れる始末で、反社会的なシンボルも地に落ちたといわれたものである。
1980年代も後半になり、ようやく彼は映画出演に積極的になるが、若い頃の映画とも『イージー・ライダー』で監督・脚本・主演を演じた頃と違い、性格俳優としてスクリーンに帰って来た。もう反逆的な目はしてなくて、ハリウッドの役者の顔をしていた。『地獄の黙示録』『ブルー・ベルベット』『勝利への旅立ち』『ハートに火をつけて』『トゥルー・ロマンス』『逃げる天使』『スピード』『ウォーター・ワールド』『バスキア』『スペース・トラッカー』・・・・・今世紀に入っても精力的に映画出演していた。もっとも最近は私も映画を観なくなったから、デニス・ホッパーがどういった役で出ていたか知らない。彼は好んで出ていたのだとしたらいいが、若い時のような反抗的な目ではなくなり大衆に迎合してしまったかのように私は思えた。しかし、どんな役をしていようが、どんな心境の変化が起ころうが、何れもデニス・ホッパーであることに変りはない。
そこで最近、何気なく思っていることだが、デニス・ホッパーには他人が考えているほど反社会的人間ではなかったのでは?・・・・・・・。彼が真に反体制派の役者なら商業的に成功するような娯楽映画に出ただろうか。彼は若いときのような反体制の精神を貫いたら、とてもハリウッド大作に出ることは出来なかっただろうし、この20年の間の映画出演ラッシュという訳にはいかなかっただろう。
つまり『イージー・ライダー』で焼きついた彼に対するイメージが、なかなか壊れずにいて、そのことが彼には重荷になっていたのではないだろうか。つまり彼は映画人として悟ったのでは・・・・。反抗的でいるよりも体制派に迎合する。これで吹っ切れたとしたら彼の映画人としてのその後が決定づけられた『イージー・ライダー』は、彼としたら予想外の映画だったのかもしれない。大した意味もなく製作したのに、結果オーライで、映画は大反響。批評家が挙って持ち上げてしまったとしたら、これほど痛快なことはないが、そのことが彼には重荷になっていたのではないかと私は考えているのであるが・・・・。
映画『ジャイアンツ』の1シーン。デニス・ホッパーは若い頃、こんな役も演じていた。ロック・ハドソンとエリザベス・テイラーの息子役で出ていたが、ここではジェームス・ディーンに殴り倒される。
デニス・ホッパーといえば、やはりこの映画『イージー・ライダー』監督、主演、脚本と才能振りを発揮。映画ではピーター・フォンダの相棒的役柄だった。映画の冒頭。スッテペンウルフ『ワイルドで行こう(Born to be Wild)』の音楽にのって。
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