2010.06.10 (Thu)
デイヴ・ディー・グループを聴く

ハーマンズ・ハーミッツに続いて、また訳の判らないグループを記事に登場させてしまったが、こちらの方はハーマンズ・ハーミッツ以上に知名度がないだろう。でも1960年代の後半、日本の商業音楽界に衝撃を与えたグループ・サウンズの曲をよく知っている人なら、このデイヴ・ディー・グループは聞き覚えのある名前だと思う。何故なら、彼らのヒット曲を日本のグループがカヴァーしていたからである。たとえば『オーケイ!』はカーナビーツが、『キサナドゥーの伝説』はジャガーズがカヴァーして日本語で唄っていた。だから当時の日本のファンはグループ・サウンズの曲だと今でも思っている人がいるぐらいだ。それほど1960年代の日本人の少年少女に馴染まれたサウンドということも言えそうであるが、そのデイヴ・ディー・グループとはいったいどんなグループだったのだろうか。
日本ではデイヴ・ディー・グループと呼ばれたが、正式にはデイヴ・ディー、ドジー、ビーキー、ミック&ティックという5人のニックネームを羅列しただけという変った名前のグループである。しかし、ややこしいので本国のイギリスでもデイヴ・ディー&カンパニーという名前で呼ばれ、日本ではデイヴ・ディー・グループという名前でレコードが出されたので、我々もこのような名前で覚えていた。
メンバーはヴォーカルのデイヴ・ディー、ベースのドジー、リズム・ギターのビーキー、ドラムスのミック、リード・ギターのティックである。そもそも彼らの活動は1958年、警察学校を出たばかりのデイヴ・ディーが、ソールズベリーの友人達とデイヴ・ディー&ザ・ボストンズを結成したことに始まる。彼らは1962年にドイツのハンブルグのクラブで長い間唄っていた。これはビートルズを始め、当時のイギリスの多くのグループがそうだったように彼らも倣ったのだろう。イギリスに帰国後、彼らは64年に正式にデビューする。
初のヒットは1965年に発売された『ユー・メイク・イット・ムーヴ』で、この曲はイギリスのヒット・チャートで26位となった。だが大ヒットには恵まれず、結局、彼らの名が知れ渡るようになった曲は1967年にイギリスで4位にまで上昇した『ホールド・タイト』である。でも日本では皆目、無名。それが同じ1967年に出した『オーケイ!』がイギリスで4位だったが、日本ではこの無国籍とも言える風変わりなサウンドが受けて大ヒット。日本でも有名になった。さらにカーナビーツがカヴァーしてヒット。日本の女の子がアイ高野の真似をして唄っていたという記憶が私の中にはある。そしてデイヴ・ディー・グループの最大のヒット曲が1968年に発売された『キサナドウーの伝説(The Legend of Xanadu)』である。この意味不明の題名と共に、どこの国の音楽か判らない無国籍(ラテン風ではあるが)ぶりがまたまた受けてイギリスで1位。日本でも大ヒット。グループサウンズのジャガーズもカヴァーして日本語で唄っていた。
おー 愛に生きて死のう あなたを連れてゆこう
はるかなキサナドゥー
でもこういった典型的なビート・ポップス・グループの人気は長続きせず、1969年にはリーダーのデイヴ・ディーが抜け、残りのメンバーで活動してみたものの、大ヒットまではいかず、だんだんと忘れ去られていった。1974年にデイヴ・ディー・グループは再結成されシングル盤を出したことも聞いている。でも話題にもならず、その後は何度かメンバーが集まってチャリティー・コンサート等を行なったりしているらしい。でも、彼らの無国籍、エキゾチックな音楽性は万人受けするものではなく、今となってはそんなグループもあったなあと昔のポップスを聴いていた連中との会話のネタに挙がるぐらいである。
『OKAY!』を唄うデイヴ・ディー・フループ。音声のみ。
『キサナドゥーの伝説』を唄うデイヴ・ディー・グループ。フラメンコのようであり鞭を打ってみたり、無国籍音楽というのが受けたのか。何だかジャガーズを思い出す。
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