2010.08.09 (Mon)
CT検査
昨日の日曜日は更新しなかった。更新しようと思えば出来たのだが、気が滅入ってしまい放置した。それというのも先日、耳鼻咽喉科でCT検査を受けてくれといわれ、その検査日が今日だったのである。したがってその検査が終わるまでブログ更新する気が皆目、起こらなくたってしまったというのが要因である。今まで鼻の治療を行なっているが、このところ医師が言うには気になる現象が起こっているから、一度、医院ではなく設備の整っている病院に行ってCT検査をやってくれといわれ、勝手に予約されていたのである。でも副鼻腔炎ということで治療を行なってきたもの、鼻腔の粘膜が弱いといわれ、頭の方に問題がないか、頭部も含めて検査をしてもらった方がいいということで検査を受けることになった次第である。
さて、今日は10時に検査を行なうからといって15分前には病院に入ってくれという指示だった。それで15分前には病院に到着。すると大勢の待合の患者が・・・・・。世の中これだけの人が一つの病院だけで毎日、病院に詰め掛けているということは、日本全国でいったいどれだけの患者がいることやらと驚くと共に、我が国は高齢者大国といいながらも実は、病気に罹らずにいる健康な老人が意外と少ないのかもしれないと痛感した。言わば日本の平均寿命というのは医学の発達と共に、医療施設が整った上で成り立っている。これだけの老人が毎日、医者にかかっているという現実を垣間見ると、如何に医療の力は大きいのだと認識を隠せない。だとすると無医村の村が仮にあったとして一生医者にかからず長寿を全うした人というのは極めて少ないのではないだろうかと考えてしまう。もし、これだけ医療技術が発達していなくて、医師の数も少ないとなると明らかに日本人の平均寿命は下がるだろう。それ故に日本の各地に点在している病院、医院、診療所の力は偉大なりということになる。日頃はこのようなことは考えないが、ふと、病院の待合室を見て考えさせられた。
ところで昨日の晩に食事を摂取してから、その後は何も口にしていない。今回のCT検査というのは頸部よりも上の造影検査というものであるから、食事をしないでくれといわれたが、腹が減ってしょうがない。それで造影検査の前に外科医の医師から問診を受けてから、左手の腕の太い血管に点滴をうたれ、点滴をした状態でCT検査機の上に寝転がるという。今までこのような検査を受けたことがないので気分がいいものではない。それに検査結果が悪ければ気分も晴れないだろう。でも覚悟を決めて検査を受けなけらば始まらない。
いざ寝転がって点滴で液を流し込んでいる管に造影剤という検査薬を投入された。この薬を注入することによりCT検査がやりやすいという。つまり写真にはっきりと影が写るからである。それで造影剤を流し込まれると身体が熱くなってきた。そして撮影が始まった。この間、5分位だが絶対に動かないでくれという。動くと画像がぶれて見難くなるからというからじっとしていたが、枕の位置がしっくりこなくて頸に力が入る。検査が終了した時にはホッとした。でも検査結果の写真を持って,この後、耳鼻咽喉科に直行しなくてはならない。でも結果は頭部に異常なしということで胸をなでおろしたのだが、この検査で鼻が良くなる訳ではない。結局、何時もより抗生物質を飲む回数を増やされてしまった。でも歳をとるとだんだんと身体もガタがくる。日本人は長生きといっても、医者にかからず健康であるならば歳がいっても嬉しいだろうが、動くのがやっとという人や寝たきり状態になると、どうなんだろうと考えてしまうのである。私事だが、父は脳梗塞で20年以上、身体が不自由であった。だから家族に頼って生きていかなければならなかった。結局は治療で長生きしただけである。本人だけでは何も出来ないので、家族の支えが必要であった。だから長寿っていったい何だと考えてしまうのである。
さて、今日は10時に検査を行なうからといって15分前には病院に入ってくれという指示だった。それで15分前には病院に到着。すると大勢の待合の患者が・・・・・。世の中これだけの人が一つの病院だけで毎日、病院に詰め掛けているということは、日本全国でいったいどれだけの患者がいることやらと驚くと共に、我が国は高齢者大国といいながらも実は、病気に罹らずにいる健康な老人が意外と少ないのかもしれないと痛感した。言わば日本の平均寿命というのは医学の発達と共に、医療施設が整った上で成り立っている。これだけの老人が毎日、医者にかかっているという現実を垣間見ると、如何に医療の力は大きいのだと認識を隠せない。だとすると無医村の村が仮にあったとして一生医者にかからず長寿を全うした人というのは極めて少ないのではないだろうかと考えてしまう。もし、これだけ医療技術が発達していなくて、医師の数も少ないとなると明らかに日本人の平均寿命は下がるだろう。それ故に日本の各地に点在している病院、医院、診療所の力は偉大なりということになる。日頃はこのようなことは考えないが、ふと、病院の待合室を見て考えさせられた。
ところで昨日の晩に食事を摂取してから、その後は何も口にしていない。今回のCT検査というのは頸部よりも上の造影検査というものであるから、食事をしないでくれといわれたが、腹が減ってしょうがない。それで造影検査の前に外科医の医師から問診を受けてから、左手の腕の太い血管に点滴をうたれ、点滴をした状態でCT検査機の上に寝転がるという。今までこのような検査を受けたことがないので気分がいいものではない。それに検査結果が悪ければ気分も晴れないだろう。でも覚悟を決めて検査を受けなけらば始まらない。
いざ寝転がって点滴で液を流し込んでいる管に造影剤という検査薬を投入された。この薬を注入することによりCT検査がやりやすいという。つまり写真にはっきりと影が写るからである。それで造影剤を流し込まれると身体が熱くなってきた。そして撮影が始まった。この間、5分位だが絶対に動かないでくれという。動くと画像がぶれて見難くなるからというからじっとしていたが、枕の位置がしっくりこなくて頸に力が入る。検査が終了した時にはホッとした。でも検査結果の写真を持って,この後、耳鼻咽喉科に直行しなくてはならない。でも結果は頭部に異常なしということで胸をなでおろしたのだが、この検査で鼻が良くなる訳ではない。結局、何時もより抗生物質を飲む回数を増やされてしまった。でも歳をとるとだんだんと身体もガタがくる。日本人は長生きといっても、医者にかからず健康であるならば歳がいっても嬉しいだろうが、動くのがやっとという人や寝たきり状態になると、どうなんだろうと考えてしまうのである。私事だが、父は脳梗塞で20年以上、身体が不自由であった。だから家族に頼って生きていかなければならなかった。結局は治療で長生きしただけである。本人だけでは何も出来ないので、家族の支えが必要であった。だから長寿っていったい何だと考えてしまうのである。
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