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2007.12.17 (Mon)

古い映画を観る・・・・・『チャップリンの独裁者』

 『チャップリンの独裁者』1940年製作、アメリカ映画

 監督 チャールズ・チャップリン
 出演 チャールズ・チャップリン
    ジャック・オーキー
    ポーレット・ゴダード
    チェスター・コンクリン

 【あらすじ】第一次世界大戦の末期の1918年、トメニア帝国の敗戦が濃厚であった。そんなトメニアに革命が起こり、窮地に追い込まれた政府は平和交渉に務めていた。ですが前線の兵士は自軍を信じ国のために戦っていた。そんな前線に兵隊のユダヤ人床屋がいた。彼は何をやってもヘマばかりで、兵隊としては役に立たなかった。そんな最中、負傷した政府の高官シュルツを飛行機に乗せて脱出する。だが、飛行機操縦の出来ない床屋は、シュルツと共に不時着する。シュルツは平和交渉のための文章を託されていたが、戦争は終わったと聞かされる。

 終戦後、大不況になりトメニアに反乱が起き、ユダヤ人床屋とそっくりのヒンケルが政権を握り、独裁のもとに社会は統制され、基本的人権は認められず、体制を固めていくのであった。ラジオからは独裁者ヒンケルの演説が流れる「民主主義は無用だ。自由は不快だ。言論の自由は必要なし。トメニアは最強だ。海軍も最強だ。現状維持には犠牲が必要だ」

 ユダヤ人街に戻った床屋は、不時着のショックで記憶喪失になり、何も知らなかった。やがてヒンケルの突撃隊が街にやって来ては窓にユダヤと書いて立ち去る。床屋は、それを消そうとして突撃隊ともみ合いになり、捕らえられ街灯の柱に吊るされるところをシュルツ高官に助けられる。かつて床屋にシュルツ高官は救出されたからだ。

 独裁者ヒンケルは、ユダヤ人を抹殺してアリアン人だけの国を作らねばならないと考えていた。そして、まずは隣国オスタリッチに進駐して世界征服する野望を持っていた。ヒンケルはユダヤ人街の襲撃を部下に命じ、穏健派のシュルツを失脚させる。

 ユダヤ人街に逃げ延びて来たシュルツは、床屋や勇敢な女性ハンナらがいる大家ジェケルの地下室に逃げのびた。まもなくシュルツの捜索で突撃隊がやって来て、屋根裏に逃げ込んだ床屋とシュルツを捕まえ、収容所送りとなる。その間、ハンナとジェケルはオスタリッチへ亡命し、農園を営み大自然に囲まれた束の間の平和な生活を送っていた。一方、ヒンケルはオスタリッチ進駐を巡りバクテリア国の独裁者ナバロニと会談を持つことになる。だがお互いミエの張り合いになり話が進展しない。その頃、床屋とシュルツ士官は軍服を奪って収容所から脱出した。同じ頃、オスタリッチ国境の湖で鴨猟を装いボートに乗っていたヒンケルは転覆したボートから落ち、岸に上がったところを脱走した床屋と間違えられてトメニア兵に捕らえられてしまう。

 ヒンケルのと瓜二つの床屋は軍服を着ていたおかけで、捕らえられたヒンケルと間違われ、入れ代って無事トメニア軍に潜り込むことに成功する。だが、床屋は侵攻したオスタリッチにおいて、民衆とラジオを聞く国民の前で演説することになる。一介の床屋が民衆の前で演説など出来る筈がないが、ユダヤ人を救うには演説するしか方法がなかった。そして、床屋は一世一代の名演説を見事に繰り広げる。

 『チャップリンの独裁者』という映画は、チャップリン初のトーキー映画で、チャップリンの肉声が初めて銀幕で披露されたのである。サイレント映画に拘っていたチャップリンが、何故トーキー映画を撮ったのだろうか。疑問に思うがトーキー映画でしか表現しきれない何かがあったのだろう。科白によって表現出来るトーキーとサイレントでは、そこには大きな壁がある。そこでサイレント映画に限界を感じたチャップリンがとうとうトーキー映画に手を染めたのだと考えられる。何故なら、この映画は全編、ナチズム、ファシズムへの皮肉、風刺の連続で、チャップリンと誕生日が数日しか違わないヒトラーへの痛烈な罵倒である。既に世の中の映画人がトーキーに目を向けている時代にあって、サイレントに拘り続けたチャップリンが、山高帽、ドタ靴、ステッキというトレードマークを捨ててまでトーキー映画に取り掛かったのは、最後の演説シーンでチャップリンの思いを是非、伝えたかったからだろう。

 この最後の演説で何を語るべきか・・・・チャップリンはトーキーという音が出る長所を充分活用して、ヒトラー批判をやりたかったという以外ないと思う。全てが最後の演説シーンに集約されているように、チャップリンは世相の不穏な動きに危機感を抱き、是非、自分の肉声で世に訴えるべきであると使命感に囚われていたのかもしれない。

 ところで、そんな事、世の映画人なら誰でもやっていると思わないで欲しい。ナチズム、ファシズムへの批判なんて、1940年当時に、いったいどれだけの人が堂々と行っていただろうか。第二次世界大戦終結後、ナチス・ドイツの蛮行が明るみに出て、ニュールンベルク裁判で裁かれてから、世の中はヒトラーを独裁者として徹底的に悪人扱いにしているが、これも現在を生きる人間からの見地で物事を片付けるからであって、ナチスが政権を掌握しだした頃は、ドイツ国内は勿論のことドイツ国外でもヒトラーを推す人が少なくなかった筈だ。

 そんな時代に、ヒトラーを悪しき独裁者として訴え、皮肉ったチャップリンの先見性と平和を愛する豊な心が、この映画を撮らせたのである。従って、現在の今、観ても立派な反戦映画として観ることが出来るし、その時代を先取りする卓越した感覚にチャップリンの凄さを垣間見るのである。

 地球儀を模った風船を手玉に取る独裁者ヒンケル。
 ワーグナーの『ローエングリン』第一幕への前奏曲が流れるところは、ワーグナーの音楽が好きだったヒトラーを見事に風刺している。この映画を観たヒトラーは激怒したという・・・。


 最後にはヒンケルに間違われた床屋が世紀の名演説を繰り広げる。

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