2010.12.15 (Wed)
ブリティッシュ・ビートを聴く
先日、タワーレコードの洋楽コーナーにおいて、オールディーズの棚を物色していたら、『British Beat 1963---1970』と書かれたオムニバスCDを発見。早速、購入して聴いてみた。感想から言うと実に懐かしい。所謂、60年代ポップス。私が洋楽に目覚め、最も熱心に耳を傾けていた時代である。ポップスがポップスらしい最後の時代であり、まだヴォーカルが中心だった頃の話である。この後、1970年代に入るとより高度な音楽性が求められ音楽のジャンルも細分化していき、ギターテクニックがどうのドラムスが巧いだの、ソロにもアドリブが要求されるようになり、演奏時間が飛躍的に長くなる。当然、素人では真似が難しく、また鼻歌で歌えなくなる楽曲が増えていく。そんな過渡期といえるのが1960年代の終盤だったと思うが、このCDに収められているのは、それ以前のブリティッシュ・ビートといわれるビート・グループのオムニバスである。
1960年代初頭まで世界のビート音楽の主流はアメリカだった。それがアメリカのロックンローラーの影響を受けたイギリスの多くの若者達。彼らが電気ギターを持ちグループを作り、その多くの中からビート・グループが生まれた。イギリスのビート・グループ達、彼らはアメリカのグループとは一味違った独自のサウンドを生み出し後にアメリカへ進出しだす。その先鞭となったのがザ・ビートルズである。それまでイギリスのポップスはアメリカでなかなかヒットせず辛酸をなめていた。それがビートルズのアメリカでの成功、世界的大ヒットからイギリス勢の世界的進出が始まった。そして今回、一発屋も含めて、このCDに収録されているビート・グループ達の紹介と楽曲を紹介してみようと思う(数回に亘ると思う)。
小生は基本的にはオムニバスは嫌いなのだが、多くのイギリスのビート・グループは何曲もヒット曲を出してなくてアルバムが手に入らないので、その名も忘れてしまったグループも多い。それが、こうして一発屋の唯一のヒット曲を、こうして他の多くのグループと一緒に収録されていると、かつて忘れていたグループ名と共に曲を思い出してしまい懐かしくもある。そういった意味ではオムニバスは有り難くもある。
ところでイギリスのビート・ポップスはアメリカン・サウンドの泥臭さがなく当時から洗練されているところがあったと記憶している。もっともブリティッシュ・ビートとは異なるローリング・ストーンズのようなブラックぽいサウンドもあったが、相対的にアメリカのビート・ポップスとは違っていたこと確かである。それで小生はそんなブリティッシュ・ビートが、あの当時好きだった。そして俗称でリバプール・サウンドとも言われた(ビートルズがリバプール出身だったことに端を発する)。その後、日本のエレキバンドがリバプール・サウンドに憧れて、日本にエレキブームが到来した(何もヴェンチャーズだけがエレキブームの一因ではない)ことは言うまでもない。それでは話が長くなるので、この辺りで一つずつグループ名と楽曲を紹介していくとする。
●ジェリー&ザ・ペースメイカーズ
リバプール出身のグループでビートルズの弟分といわれた。マネージャーもビートルズを世に出したブライアン・エプスタインで、プロデュサーもジョージ・マーティンというまさにビートルズ・ファミリー。
ヒット曲はビートルズでもお馴染みの『恋のテクニック(How Do You Do It)』『ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン』『マージー河のフェリー・ポート(Ferry Cross The Marsey)』等。63年から65年までヒットチャートに顔を出していたと思う。その後は知らないが、今でも彼らの曲を思い出す時がある。
●ビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタス
こちらはマンチェスター出身のグループ。彼らもマネージャー、プロデュサーがエプスタインとジョージ・マーティン。エプスタインはソロで歌っていたイケメンのビリー・J・クレイマーのバックバンドにザ・ダコタスをくっつけた。いわばクリフ・リチャード&シャドウズのようなもの。
デビュー曲はビートルズ・ナンバーの『Do You Want To Know A Secret』で英チャート1位になった最初の曲が『バッド・トゥ・ミー』、3枚目のシングルが『アイル・キープ・ユー・サティスファイド』で何れもビートルズのレノン・マッカートニー作品というのも期待の現われだった模様。彼らは今どうしてのかな。
●フレディ&ザ・ドリーマーズ
あまり覚えていないが63年から65年にかけてヒット曲があった。代表曲『心の傷(If You Gotta Make A Fool Of Somebody)』『好きなんだ(I’m Telling You Now)』『君はぼくの君(You Were Made For Me)』
●フォアモスト
このグループもエプスタイン、G・マーティンの手により売り出されたリバプール出身のグループ。最もヒットしたのが『ハロー・リトル・ガール』というレノン・マッカートニー作品。しかしヒットしていたという記憶がない。
●ザ・スウィンギング・ブルージーンズ
ここもリバプール出身のグループ。かの有名なキャヴァーン・クラブでアマチュア時代のビートルズと何度も共演したという。しかし、彼らのヒット曲というのは『ヒッピー・ヒッピー・シェイク』ぐらいなもの。この曲もチャン・ロメロのナンバーで、ビートルズがよく歌っていたから彼らも取り上げたという。
●ピーター&ゴードン
『愛なき世界(A World Without Love)』で一躍有名になった。この曲、いい曲だなあって流行っている頃、思っていたが後で聞いたらポール・マッカートニーの作品であった。それというのもピーターの妹ジェーン・アッシャーとポール・マッカートニーが交際していたという事実があり、小生はこの2人が結婚するものと思っていた。その後はパッとせず消えていったが、ピーター・アッシャーは後にジェームス・テイラーのプロデュサーとして活躍する。
●マンフレッド・マン
ポール・ジョーンズとマンフレッド・マン、マイク・ハグを中心に他2人を加えた音楽性の高いグループだったが、最初のヒット曲は『ドゥ・ワ・デイデイ・デイデイ』を彼らの本懐にあらず。次のヒット曲は『プリティ・フラミンゴ』後年にエルヴィス・コステロ、ブルース・スプリングスティーンの愛唱歌として知られるようになる。このグループには、かつてクリームのジャック・ブルースも在籍した音楽集団だった。
『恋のテクニック(How Do Toy Do It)』を歌うジェリー&ザ・ペースメイカーズ。この曲はビートルズも歌っているから聴いてみるべし。
『アイル・キープ・ユー・サテスファイド』を歌うビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタス この曲はレノン・マッカートニー作品である。
『愛なき世界(A World Without Love)』を歌うピーターとゴードン。この親しみやすいメロディとハーモニーは如何にもポール・マッカートニー作品らしいところである。
『ドゥ・ワ・ディディ・ディディ』を歌うマンフレッド・マン。
つづく・・・・・
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