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2007.10.28 (Sun)

ボブ・ディランのアルバムを聴く・・・・・『フリーホイーリン』

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 今やフォーク・ソング界、いや20世紀後半の商業音楽のカリスマであるボブ・ディランの若い頃のアルバムを聴くと当時のことを思い出す。このホブ・ディランの2枚目のアルバム゜『フリーホイーリン』が世に出たのは1963年のことである。既にイギリスではビートルズがデビューしていたが、日本にはまだその影響はなかった。そんな頃、アメリカでデビューした若きフォーク歌手がボブ・ディランである。

 ボブ・ディランは1941年にミネソタ州で生まれたユダヤ人である。本名をロバート・アレン・ジンマーマンといい、現在は改名してボブ・ディランと名乗っているが、その名は詩人のディラン・トーマスから取ったとか、叔父のディロンから取ったともいわれる。幼少から独学でピアノを習得し、エルヴィス・プレスリーにあこがれ、ランボー、ヴェルレーヌ等の詩人の影響を受けて育つ。やがて大学を中退しニューヨークにやって来た彼は、フォーク・ソングの大御所ウッディ・ガスリーに出会い、この頃、コーヒー・ハウスで弾き語りを始めたという。そんな時、才能を見出され1962年にファースト・アルバム『ボブ・ディラン』でレコード・デビューする。このアルバムは評判にもならずあまり売れなかったが、この2枚目のアルバム『フリーホイーリン』で一躍、有名になる。

 この1963年というのは、悩むアメリカの問題が噴出していた時期で、キューバ危機の直後でもあったが、この年にジョン・F・ケネディ大統領の暗殺があったり、黒人の公民権運動が盛んになり、やがて泥沼化するベトナム戦争等、栄光の50年代から時を経てアメリカの暗黒部分が表面化していた60年代の初頭であった。そんな頃に、颯爽と若きプロテスト・ソングのシンガー・ソング・ライター、ボブ・ディランが登場する。

 『フリーホイーリン』は全部で13曲収録されていて、曲目は次の通りである。『風に吹かれて』『北国の少女』『戦争の親玉』『ダウン・ザ・ハイウエイ』『ボフ・ディランのブルース』『はげしい雨が降る』『くよくよするな』『ボブ・ディランの夢』『オックスフォード・タウン』『第3次世界大戦を語るブルース』『コリーナ、コリーナ』『ワン・モア・チャンス』『アイ・シャル・ビー・フリー』

 残念ながら、このアルバムがリリースされた頃というのは私は小学校の低学年で、ボブ・ディランの名も知らないし、当然のように、このアルバムの存在も知るはずが無い。だから後年にボブ・ディランの名を知ることになる訳であるが、何時の頃にボブ・ディランの名を耳にしたかというと、それから数年後のことで、『ライク・ア・ローリング・ストーン』が世に出た頃だと思う。それから間もなく私は中学生になり、本格的に洋楽というか海外のポップスを聴くために、ラジオにかじりつく毎日であった。ちょうど日本では和製フォークというものが流行りだし、ピーター・ポール&マリー、ブラザース・フォア、キングストン・トリオとかいった辺りのコピーを大学生がやっていた。そんな中でピーター・ポール&マリーの唄う『風に吹かれて(Blowin' in the Wind)』を聴いて、私はフォーク・ソングに目覚めた世代である。

How many roads must a man walk down
Before you call him a man ?
Yes,'n'how many seas must a white dove sall
Before she sleeps in the sand ?
Yes 'n'how many times must the cannot balls fly
Before they're foever banned ?
The answer my friend, is blowin' in the wind
The answer is blowin' in the wind.

 とろこがPPMがオリジナルでないということを知り、当時から原典主義的なところが私にはあったので、本家のボブ・ディランの『風に吹かれて』を聴いて驚いた。それは、独特のしわがれ声に何とも癖のある唄い方で、PPMを聴いて馴染んでいた耳には違和感があった。 でも当時から、ボブ・ディランは21歳でレコード・デビューしたにもかかわらず悪声で有名だったという。この辺りが、日本のフォーク・ソングを唄う学生には不向きで、ソフトなフォーク・ソングを当時の学生達はコピーしたそうである。

 こんなボフ・ディランであるが、その影響力は大きく、『戦争の親玉』が死の商人を告発した歌詞が籠められている事でも判るように、ブロテスト・ソング色が強かった。それが何時の間にかプロテスト・ソングを唄わなくなり、フォークロックな色がだんだんと強くなり、より活躍の場は拡がって行く。やがてボブ・ディランはビートルズと共に時代の寵児となり、カリスマとして現在まで君臨し続けるのである。ところでボブ・ディランは何度も来日しているが、今でも現役であり、最近は彼の曲を耳にすることも極めて少なくなったが、後年のポップス界に与えた影響というのは非常に大きいと思える。

『風に吹かれて』を唄うホブ・ディラン

                                
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*Comment

♪こんばんは

JAckさん、こんばんは。
古い話題ばかりで恐縮ですが、私は最近の流行の音楽を皆目、知らないのでどうしても古い話ばかりになります。でも私より年輩の人でブログを書いている人が少ないから、私の書く話題についていける人はあまりいないと思います。若い人にとっては、おそらく何のことか判らない内容ばかりでしょう・・・・。
ただ、良い音楽というのは時代を超越すると思います。過去にはこのようなアーチストや曲があったのだと知ることは大切だと思います。私なんか若い頃、ビング・クロスビーやフランク・シナトラ、ナット・キング・コール等の曲に興味を持ったものです。しかし、最近の子は、自分達の時代の音楽しか受け入れない傾向があるようです。それはそれでいいのですが、過去の偉大なるアーチストが何らかの形で、今のミュージシャンに影響を与えていることは、必至なのですから、無視するというのは如何なものかと思い、出来る限りここで紹介しようと考えています。

 ところでジョン・レノンの『God』ですが、確かに次のような歌詞があります。

I don't believe in Zimmerman

ジンマーマンというのは、ボブ・ディランの元の名前ですから、私はボブ・ディランを信じないということになります。でも、ジミ・ヘンドリックスの名前が出てくるなんて、60年代ロックにかなり傾倒していますね。
 
uncleyie |  2007.10.29(月) 20:20 |  URL |  【コメント編集】

♪古い話ばかりですが

こんばんは。お久しぶりです。ジャックです。

このアルバムは、私が生まれる3年くらい前の作品です。

私が、ポブ・ディランの名を知ったのは、小学生の頃です。ガロの『学生街の喫茶店』の歌詞からでした。
学生でにぎやかなこの店の♪
片隅で聴いていたボブ・ディラン♪

松岡計井子さんが日本語で歌ったジョン・レノンの『カミ』にも『信じますか?ボブ・ディラン』という一節があります。

他にも、『ディランⅡ』『ホフディラン』など、彼の影響を感じるグループ名が幾つかあります。
内外ともに、彼の影響を受けたアーティストは大勢います。

私は来日公演も見ましたが、あまり本家の曲を聞かずに過ごしました。原曲よりもカバーの聴き比べが好きでした。『ジミー・ヘンドリックス・アンド・ヒズ・エクスピアリエンス』の『ライク・ア・ローリング・ストーン』が特にお気に入りでした。

彼の歌に普遍性を感じるのは、冷戦終結後も、世の中がちっともよくならないからのようにも思えます。

でも、機会があれば歌詞カードを見ながら、彼の原曲をちゃんと聴いてみようと思いました。

JACK |  2007.10.28(日) 21:36 |  URL |  【コメント編集】

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