2014.01.18 (Sat)
ターナー展に行く
神戸市立博物館で開催中のターナー展に行ってきた。意外にもすいていてゆっくりと鑑賞できたかな。ターナーと言うとイギリスを代表する風景画家であるが、その名を聞くとすぐに小学生の頃の思い出が浮かび上がる。小学生の高学年だった時、家に何故か水彩画の画集があった。それがターナーの水彩画だったのだ。この画集はその後に芸大へ進学した姉が買ってきた物で、それを盛んに眺めていたものである。それで子供心にも水彩画でこんなに精密な物が描けるのだなと羨望の目で見ていたものである。それ以来、ターナーの絵が絶えず頭の中にあったのか、それ以来、図画の時間で絵を描くときは何時もターナーの絵のような風景画を描こうと心掛けていた想い出がある。でもその技法も判らない。水彩画と言うのは小学校の時なら誰でも描くが、とてもじゃないが水を使うので滲んでしまい、多めに水を使うと紙がフニャフニャになり、また上から別の色を使うと色が混ざってしまい思うような色が出ず、結局は思うような絵が描けず悪戦苦闘した印象しかない。なのでターナーの水彩画を見てこの描き方を少しでも見てみたいと当時、切実に感じていたのでもある。それだけターナーと言うのは水彩画家での画家という印象が強かった。ところが一般的には油彩画で知られている。風景画家である事に変わりはないが、小さな小品ばかりの水彩画と違い、油彩画になると巨大化して、より絵に迫力が増していく。描くテーマも海洋物が多く、嵐の風景や、難破船、そしてイタリアの風景。ローマやナポリ、ベニス等、そして晩年の蒸気機関車を描いた抽象的な作品。これ等の作品は肌理細やかであり勇壮であるが、時代により画風が微妙に変化していくの読み取れる。これはターナー自身に何らかの変化があったのかどうか判らないが、この画風の変遷は大いに興味が湧く。ちょうどクロード・モネの画風が変化して行ったのと同様な変化の仕方だなと個人的に感じたのだが、時代的にはターナーの方が60年以上古いのだな。
ターナーことジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーは1775年4月、ロンドンの中心部に近いロイヤル・オペラ・ハウスで有名なコヴェント・ガーデで生まれた。父は理髪店を営んでいたが母は精神疾患があったという。そういった事情もあり母親からの影響をほとんど受けず学校もほぼ行ってなかったという。それでいて絵を描くのが好きで、その頃から大人が感嘆するほどの絵を描いていて、父は理髪店の窓に息子の絵を飾っていたという。13歳になってトーマス・マートン(風景画家)に弟子入りして本格的に絵画をを学ぶ。そして1年後にはロイヤル・アカデミー美術学校に入学。作品を発表するや評判が広まり、1799年、24歳でロイヤル・アカデミー準会員、27歳で正会員となる。画家になった初期は水彩画ばかりを描いていて、1790年代半ばから油彩画を描くようになったのである。
それで今回展示されていた作品は油彩画が約30点で他はスケッチと水彩画で110点。数としてはそれほど大規模ではないが、『レグルス』『スピットヘッド・ポーツマス港に入る拿捕された二隻のデンマーク船』『チャイルド・ハロルドの巡礼』『ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ』『ヴェネツィア、嘆きの橋』といった見応えのある大作も何点か展示されていた。ただ晩年の作品である『雨、蒸気、スピードグレート・ウェスタン鉄道』は今回は来てなかったな。残念。まあ今回、展示されていた作品はテード・ギャラリー所蔵の物だからしょうがないが、まあターナーの作品は油彩画が有名なのであるが、私にとっては子供のころに触れた水彩画の多くにより感銘を受けたのである。流石にイギリス最高の巨匠と言われる画家であり、歴史画ではなく本格的な風景画を描き、風景画の地位を高めた最初の人といってもいいターナーである。フランスの多くのバルビゾン派、印象派を始めとした風景画家が出てくるのはターナーよりも半世紀後のこと。ターナーは時代の寵児であり先を行ってたのかもしれない。
| BLOGTOP |