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2012.01.03 (Tue)

ソニー・クラークのアルバム『クール・ストラッティン』を聴く

IMG_0162.jpg

 ソニー・クラークの代表的アルバム『クール・ストラッティン』を初めて聴いたのは学生の頃だったろうか。当時から私の周囲にジャズを聴く人は少なかったが、1人だけジャズをよく聴いている友人がいた。今でこそ消息不明で会うこともないが、彼は当時、ジャズのアルバムを大量(中古が多かった)に持っていた。そんな大量のジャズのアルバムの中で最も印象的だったのが、ソニー・クラークの『クール・ストラッティン』だった。印象的というのは音楽ではなく、ジャケット・アルバムである。おそらくニューヨークの街だろう。如何にも1950年代を現すかのようなスカート丈の女性がハイヒールを履いて歩いているだけの写真のジャケットなのだが、膝が隠れたタイトスカートから見える足元が魅力的でソニー・クラークの名前と共にこのアルバム・ジャケットが必ず瞼の奥について離れない。それで演奏はというと、これまたモダン・ジャズの真髄である要素が鏤められていて見事だった。でも彼がいうには日本では評価されるが本国アメリカではソニー・クラークはあまり高く評価されないピアニストだといって、彼はアルバムを聴かせてくれたのはいいが「つまらんだろう」と吐き捨てるように言った。しかし、私のこのアルバムの印象はジャケットの写真と同様に見事な演奏だと思った。何故アメリカよりも日本で人気のあるピアニストなのかよく判らないが、彼の弾くピアノは地味ながらもどこか日本人が好む哀愁のある色調に包まれているからだろうか。これといって目立っているピアニストではないが、侮れない要素がそこかしこに含まれている。

 冒頭の曲『Cool Struttin』から魅力が満開で、ジャッキー・マクリーンのアルト・サックス、アート・ファーマーのトランペット、この金管2人の掛け合いが見事であり、、そこへポール・チェンバースのベースとフィリー・ジョー・ジョーンズのドラムスが時には正確に、時には小刻みにリズムを刻んでいて、ソニー・クラークのピアノが実にふくよかで魅力満載の演奏である。2曲目の『Bule Minor』アルト・サックス、トランペットが互いに交錯するように醸し出す音色が絶妙で、ここではソニー・クラークが脇役に徹してはいるが時折、彼の判りやすいソロが顔を出し、温もりのあるタッチでこの曲を引き締めている。

 アルバムの最初の2曲を聴いただけで人気のあるアルバムであることは判るが、残りの4曲『Sippin’ At Belles』『Deep Night』『Royal Flush』『Loves』も、それぞれに味わいがあっていい。アルバム全体を通してハード・バップの色が濃くモダン・ジャズ全盛期の黄金時代が偲ばれる1枚である。

 ところでソニー・クラークであるが、彼は1931年にペンシルベニア生まれている。4歳でピアノを習い始め、ピート・ジョンソンのピアノ演奏が好きで6歳のときにラジオの番組でブギ・ウギを披露したという。14歳の頃にはデューク・エリントン、カウント・ベイシーの演奏を聴いてジャズの世界に興味を持ち、高校時代にはヴィブラフォン、ベースも演奏した。彼は母子家庭だったため20歳で母が他界したので、既にピアニストだった兄と共にロサンゼルスの叔母のもとに身を寄せることとなる。ちょうどこのころ、彼は運がよくジャズ・シーンが西海岸に移りつつある時代でウエスト・コースト・ジャズが活況であった。この時代にソニー・クラークはワーデル・グレイ(テナー・サックス)、アート・ペッパー(アルト・サックス)、シェリー・マン(ドラムス)、バーニー・ケッセル(ギター)といったミュージシャンと共演したことが肥しとなる。

 1953年にベースのオスカー・ペティフォードのトリオに参加。翌年サンフランシスコに移りジャズUSAの一員としてヨーロッパへ演奏旅行に行く。56年ロスに戻り、ハワード・ラムゼー(ベース)のバンドでピアノを弾くが、白人中心のウエスト・コースト・ジャズに合わずソニー・クラークは抜けて1957年ニューヨークに移る。そして、この時代にサム・ジョーンズ(ベース)、アート・テイラー(ドラムス)とトリオを組む。そして1958年、当アルバムである『クール・ストラッティン』を録音。ブルーノート・レーベルの代表的名盤の多くの録音に参加。まさに1950年代後半にソニー・クラークは輝いていた。しかし、1962年、脚気、心臓病をといった病気を患い一度退院するが、麻薬のやり過ぎで心臓発作を起こし1963年早々に死去。まだ31歳の若さだった。まだこれからという年齢で逝ってしまったからアメリカでの評価は高くなかったが、日本では人気があったから何れアメリカでも長生きさえすれば、後に評価されたかもしれないゆえに誠に残念なピアニストである。

『クール・ストラッティン』の演奏(音声のみ)

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