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2008.01.25 (Fri)

古典文学を読む・・・・・E・ブロンテ『嵐ヶ丘』

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 私の中学生の頃というのは、文学少女と呼ばれる子がクラスの中に数人は必ずいたものである。そんな彼女達は決まって、成績がよく品行方正で世界文学全集たるものを読んでいた。私はそんな本の何処が面白いのかと、よくからかっていたりしたが、とにかく彼女達は毎日のように本を読んでいた。

 何時だったか、その中の一人の女の子が百科事典のような分厚いハードカバーで綴じられた文学作品を読んでいた。私は何を読んでいるのか確認したくて、近付いて取り上げるように題名を確認した。すると彼女は「何するの!」と私を睨みながら、「嵐ヶ丘・・・」と呟いた。その時に、私は『嵐ヶ丘』という文学作品があることを初めて知ったのであるが、私自身、その作品を読破するのは、それから5年も6年も後のことだった。

 最近、その頃のことを思い出すが、彼女たちは私に比べて、ませていたのか大人だったのか判らないが、単純に読書量だけを比較してみると、私とは比較にはならなかった。それでまた彼女達は、大方の子が『風と共に去りぬ』や『嵐ヶ丘』を読んでいたように思う。『風と共に去りぬ』も『嵐ヶ丘』も女性が書いた作品なので、女の子に受けるのかもしれないが、どちらが作品として優れているかというと、『嵐ヶ丘』であることは間違いない。『風と共に去りぬ』は映画化され、大ヒット映画となったが、文学作品としては物足りなさがあるのに対し、『嵐が丘』は女性らしい繊細さもあるが、見方によっては男性が書いたのではないかと思える部分もある小説なのだ。

 それでは簡単にあらすじを追ってみることにする。・・・・・イギリスのヨークシャーにある農場は嵐ヶ丘と呼ばれていた。或る日、農場主のアーンショーは一人の孤児を連れて帰る。アーンショーは、その子にヒースクリフと名付け、実の子のヒンドリー、キャサリンと一緒に育てるることになった。だが、ヒンドリーはヒースクリフを敵視するが、キャサリンとはある種の絆のようなものが出来上がっていた。でもヒンドリーはヒースクリフを虐待する。

 アーンショーが亡くなるとヒンドリーの暴挙はさらに増す。そのためヒースクリフとキャサリンの関係はより強くなる。一方、ヒンドリーは結婚してヘアトンが生まれる。

 キャサリンは裕福な地主リントン家の息子エドガーの求愛を受け、ヒースクリフを愛しながらも結婚する。それを知ったヒースクリフは突然姿を消す。キャサリンはヒースクリフを探すが見つからない。

 3年後、嵐ヶ丘に帰ってきたヒースクリフは外見は裕福な紳士であるものの、中身は復讐の鬼と化していた。彼はヒンドリーを、賭博に誘って財産を奪い、ヒンドリーの息子ヘアトンに虐待を加える。さらに憎悪からエドガーの妹イザベラを誘惑して妻とし、ついでにキャサリンに詰め寄ってエドガーを苦しめる。キャサリンはヒースクリフの妄執に耐え切れず女児を生んで死んでしまう。また妻のイザベラはヒースクリフとの生活に耐え切れず家を出てリントンを生むが、その後に死んでしまう。またヒンドリーも失意のうちに世を去る。

 ヒースクリフはリントン家の財産手に入れるため、リントンとキャサリンの娘を強引に結婚させるが、リントンは直後に病死する。そして、エドガーも死に、復讐の念が衰えたヒースクリフもキャサリンの幻を追うように死んでいく。そして、最後に残ったヘアトンと母と同じ名のキャサリンが結婚して話が終わる。

 こうしてあらすじを書いているだけで、人間関係が複雑に入り乱れ、最後には誰がどうなってどのように死んでいったのか、さっぱり判らなくなってしまう。私は、この小説を読んだ時、ヒースクリフの執念深さと共に、ヒースクリフに絡む人間関係の複雑さに戸惑いを隠せなかった。ヒースクリフはアーンショーに連れてこられて、その子供達と生活を始めるものの、虐待から復讐の鬼と化し、ヒンドリーを始め次から次へと不幸に陥れようとするが、あまりにも異常性を帯びた復讐の悪魔に背筋がゾッとした覚えがある。おそらく男が書いたとしたら、ここまで執念深い憎悪の塊のような性格を持たせることなど出来なかっただろう。だから、よくぞここまでの復讐劇を書いたものだとあきれ返ったものだ。でも、これも作者が女性だからと言ってしまうと、語弊があるだろうが、男性が書いた物語だとしたら、はたしてここまでの復讐鬼が登場しただろうか。『風と共に去りぬ』の物語にもいえるが、男よりも女の方が、もしかして粘着質な性質を内包しているのではないかと思える。日頃、男尊女卑だと言って威張っている男でも、いざとなったらオロオロして何も出来なくて案外だらしないものだ。その点において、土壇場では女の方が逞しいものであると私は考えているのである。一見、か弱き姿に見える女性でも、実は男以上に怖ろしい。だから、私は何時までたっても女心は判らないのである。
                                 
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