2013.05.26 (Sun)
大阪の80年前の地下鉄車両が・・・
大阪の地下鉄が開通して今年で80年だと言う。というと昭和8年(1933年)のことである。日本では昭和2年の東京で開通したのに続き2番目の地下鉄と言うことになる。そもそも地下鉄は大都市における地上の交通混雑緩和のため建設された場合が多く、従ってモータリゼーションが進んだ20世紀において盛んに建設されるようになった。殊に道路に自動車が氾濫した近年になって各都市で地下鉄が敷かれたのである。ところで世界で最初の地下鉄は1863年に開通したというからまだ日本では江戸時代。産業革命がおこったイギリスはロンドンで最初の地下鉄が開通した。既にイギリスでは鉄道が沿線を延びていくように建設されていた。でも建物が密集しているロンドンの中心部では地上に鉄道が建設できなかった。それでパディントン~ファリンドンの間の6㎞を地下化したのである。しかし当時は地下鉄と言っても蒸気機関車。苦労も多かったであろうと思われる。それ以来、世界各地で地下鉄が建設されるようになったというこである。
さて、大阪で地下鉄が開通したのは1933年5月20日。ちょうで今年で80年になるという。大阪市営地下鉄の梅田~心斎橋間がその時に開通した。それは御堂筋拡張工事と共に行われ大規模な工事であったとされる。御堂筋を拡張しその地下に地下鉄を走らせるという当時の大阪市長関一の雄大な構想の下に計画され実現したのである。それで、それを記念してか当時に走っていた地下鉄の車両の中の1両が大阪市役所の前で展示されていたので見にいってきた。クリーム色と水色のツートンカラーの105号車両である。当時の車両といえばこげ茶、濃緑、黒と言うのが相場だったと思うが、この色で走っていたというから何とも斬新であったのか。
大阪の地下鉄は路線や車両に関してはニューヨークの地下鉄を参考にしたといわれ、6年先に開通した東京の現銀座線の車両よりも一回り大きく造られ、今では当たり前であるが自動列車停止装置を始め当時の最新設備を備えていた。さらに付け加えるなら車内に設置されていた電照式の駅名表示装置。駅名一覧表の裏側にはモーター付きの電球が仕込んであり、次の停車駅が照らし出されるなど、現在使われている装置が既にあったという現実に驚かされる。それと大阪の地下鉄御堂筋線の梅田駅に来て何時も思うことだが、駅の天井がアーチ形になっていて柱がない。天井からシャンデリアのような照明がぶら下がっている。実はこの御堂筋線の梅田~心斎橋間は昭和8年からほとんど変わってないという。(梅田駅だけはホームが増設された)。何とも贅沢な造りだったんだなと納得せずにはいられない。その後は何処にもあるような低い天井の低コストの地下駅ばかり造ることとなるのだが、昭和8年に造った時、12両の車両が停まれるように建設されたというではないか。まだ開通当時は1両か2両で運行していた時代にである。まあ、昔の大阪の人は将来を見越して何と壮大な駅を建設したものだろうか。今じゃ考えられない。
当時使用された100型車両10両のうちの1両。先に開通した東京の地下鉄1000型車両より一回り大きく、最大10両編成までも増結を考え、電車電圧も将来の1500Vを想定s、750Vとするなど雄大な構想のもとに製作された。
定員120人。座席48人。最大長17.7m、最大幅2.89m、最大高3.65m。自重40t。田中車輛KK昭和8年5月製造。
ところで、この車両、昭和45年の大阪万博開催直前まで、クリーム色とオレンジ色のカラーで現役として走っていたので乗ったことがある。なので懐かしかった。
さて、大阪で地下鉄が開通したのは1933年5月20日。ちょうで今年で80年になるという。大阪市営地下鉄の梅田~心斎橋間がその時に開通した。それは御堂筋拡張工事と共に行われ大規模な工事であったとされる。御堂筋を拡張しその地下に地下鉄を走らせるという当時の大阪市長関一の雄大な構想の下に計画され実現したのである。それで、それを記念してか当時に走っていた地下鉄の車両の中の1両が大阪市役所の前で展示されていたので見にいってきた。クリーム色と水色のツートンカラーの105号車両である。当時の車両といえばこげ茶、濃緑、黒と言うのが相場だったと思うが、この色で走っていたというから何とも斬新であったのか。
大阪の地下鉄は路線や車両に関してはニューヨークの地下鉄を参考にしたといわれ、6年先に開通した東京の現銀座線の車両よりも一回り大きく造られ、今では当たり前であるが自動列車停止装置を始め当時の最新設備を備えていた。さらに付け加えるなら車内に設置されていた電照式の駅名表示装置。駅名一覧表の裏側にはモーター付きの電球が仕込んであり、次の停車駅が照らし出されるなど、現在使われている装置が既にあったという現実に驚かされる。それと大阪の地下鉄御堂筋線の梅田駅に来て何時も思うことだが、駅の天井がアーチ形になっていて柱がない。天井からシャンデリアのような照明がぶら下がっている。実はこの御堂筋線の梅田~心斎橋間は昭和8年からほとんど変わってないという。(梅田駅だけはホームが増設された)。何とも贅沢な造りだったんだなと納得せずにはいられない。その後は何処にもあるような低い天井の低コストの地下駅ばかり造ることとなるのだが、昭和8年に造った時、12両の車両が停まれるように建設されたというではないか。まだ開通当時は1両か2両で運行していた時代にである。まあ、昔の大阪の人は将来を見越して何と壮大な駅を建設したものだろうか。今じゃ考えられない。
当時使用された100型車両10両のうちの1両。先に開通した東京の地下鉄1000型車両より一回り大きく、最大10両編成までも増結を考え、電車電圧も将来の1500Vを想定s、750Vとするなど雄大な構想のもとに製作された。
定員120人。座席48人。最大長17.7m、最大幅2.89m、最大高3.65m。自重40t。田中車輛KK昭和8年5月製造。
ところで、この車両、昭和45年の大阪万博開催直前まで、クリーム色とオレンジ色のカラーで現役として走っていたので乗ったことがある。なので懐かしかった。
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