2013.09.08 (Sun)
ヴィクトル・ユゴー『レ・ミゼラブル』を読む
この小説も入院している間にそれこそ40年数年ぶりに読んだのである。これも長い小説で岩波文庫で全4巻だったかな。子供のころは確か『噫無情』という題だったように思うが、最近は『レ・ミゼラブル』と原題で表記されることが多くなった。これも今時の流行りかな。でもフランス語でレ・ミゼラブルと言ったって何の意味か判らない。小生は昔のように『あゝ無情』のタイトルの方が判りやすいと思うのだが・・・・。
それにしても長い小説だ。あらすじを簡単に説明しようにも簡単に行かない。それでも簡単にあらすじを書くとするか。餓えのため泣く甥や姪のためにパンを盗んで19年もの長期間懲役を科せられたジャン・ヴァルジャンは、釈放されたのが1815年ワーテルローの戦いの年であり、既に46歳になっていた。だが惨めな姿をしたジャン・ヴァルジャンに街の人々は扉を閉ざす。そんなジャン・ヴァルジャンにミリエル司教は彼を人間としてもてなす。なのにジャン・ヴァルジャンは徒刑の間に悪を身に染み込ませてしまったのか、司教大事にしていた銀の食器を盗んでしまう。翌朝、憲兵に捕えられたジャン・ヴァルジャンを司教は許し贈り物として与え、ついでに銀の蝋台も与える。これをきっかけに立ち直り善と徳の道へと向かうようになる。
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ジャンはマドレーヌと名を変え北部フランスのに住みつき、町の発展につくし人望を集め市長となる。しかし、前科者は社会復帰を認められていない。往年のジャンを知っている冷酷無情な警部ジャベールは彼を快く思っていない。折から誤ってジャン・ヴァルジャンとして捕えられた男があり、ジャンは一夜の苦悩の末、自らの正体を告白し男を救う。結果としてジャベールに前科者として逮捕され、終身刑の判決を受け脱獄する。
ジャンは市長時代に薄幸の女フォンテーヌにその死の床でした約束を守って、人非人のテナルディエ夫婦のもとで惨めな幼年時代を送っていた娘コゼットを救い出す。パリにコゼットと共に居を構えたジャンは、ようやく愛するべき子を得て心的にも人間として成長する。ところがジャベールの追及はここにも及び、2人はとある僧院に身を潜め、ここでコゼットは美しい娘に成長する。やがて僧院を出て街中でひっそり暮らす2人が散歩の道で出会う青年マリウスと、コゼットはひそかに恋心を抱き合うようになり、ジャンはそれに嫉妬する。
折しも1832年6月、共和党の反乱が起こり、マリウスもそれに加わる。ジャンもそれを知ってバリケードをに赴き、スパイとして捕えられていたジャベールを逃がし、傷ついたマリウスをコゼットを奪う者として半ば憎みながらも、地下水道を通って救い出す。その出口で再度まみえたジャベールは2人を送り届けるとセーヌに身を投げる。傷いえたマリウスとコゼットは結婚し、取り残されたジャンは衰弱していくが、ジャンの正義と慈愛の心を知ったマリウスはコゼットトと共にジャンを訪れ、2人の愛に包まれてジャンは息を引き取る。その枕もとにはかつてミリエル司教から与えられた銀の燭台が灯されていた。
以上、簡単なあらすじだが、これだけ長い話を簡単にあらすじにするのは難しい。もっと色々と込み入った話が含まれているが、それらを事細かに書いていては字数が幾らあっても足りないので、簡単に纏めてみたのだがそれでも小説の大雑把な筋書きしか判らないだろう。
ヴィクトル・ユゴーは1845年~1862年までかけて書いたというから、内容が濃くて長い。その主題となるものは惨めな人を作る出している者への憤りから生みだされたものとされ、タイトルのLes Miserables(惨めな人々)という題の通りの小説である。社会への悪を告発し人間性の善の成長を讃え、さらに時代の風俗の全体像を描き出すことに勢力を注いでいる。・・・・・法律と習俗とがるために、社会的処罰がうまれ、それによって文明のただ中に人工的に地獄が生みだされ、神のつくりたもうべき宿命が人間のつくる運命によってもつれさせられて・・・・・とヴィクトル・ユゴーは言っている。こうしてユゴーは悪に立ち向かう良心の芽生えと成長をする人間としてジャン・ヴァルジャンを登場させたのである。しかし、ヴィクトル・ユゴーがこの小説を書かないまでも、善と悪というのは何時の時代でも存在する。しかし、善と悪は紙一重のところがあり、現在社会のように、より複雑な世の中になると簡単にはいかないのが現実である。善の行為だからと行っていても実はそれが間違っていた行為だということは大いにありうるし、善だ悪だと白黒はっきり分別できない場合も多々ある。それだけにヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』の小説は長すぎるにしては判りやすい小説ということはできるだろう。何が善で何が悪だと読んでいても明確なのである。したがって小学生用に短く書き直された『レ・ミゼラブル』もあれば、コゼットに焦点を当てた少年少女向け小説やコミックもあるぐらいだ。謂わば思慮分別の判断がまだ出来ない小学生に読んでもらいたいのか、その類いの『レ・ミゼラブル』版が過去に幾度となく出版されている。でも小生は全容を知るには、映画や少年少女向けではなく完全版で読むべきだと思う。でも長いからあまり読んでいる人はいないだろう。それに話が今となっては時代錯誤も甚だしいというのもある。でもユゴーという人の人間性がよく表れている。今の日本にこの様な善悪の判りやすい小説が誕生するかと言ったらあり得ないだろう。
それにしても長い小説だ。あらすじを簡単に説明しようにも簡単に行かない。それでも簡単にあらすじを書くとするか。餓えのため泣く甥や姪のためにパンを盗んで19年もの長期間懲役を科せられたジャン・ヴァルジャンは、釈放されたのが1815年ワーテルローの戦いの年であり、既に46歳になっていた。だが惨めな姿をしたジャン・ヴァルジャンに街の人々は扉を閉ざす。そんなジャン・ヴァルジャンにミリエル司教は彼を人間としてもてなす。なのにジャン・ヴァルジャンは徒刑の間に悪を身に染み込ませてしまったのか、司教大事にしていた銀の食器を盗んでしまう。翌朝、憲兵に捕えられたジャン・ヴァルジャンを司教は許し贈り物として与え、ついでに銀の蝋台も与える。これをきっかけに立ち直り善と徳の道へと向かうようになる。
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ジャンはマドレーヌと名を変え北部フランスのに住みつき、町の発展につくし人望を集め市長となる。しかし、前科者は社会復帰を認められていない。往年のジャンを知っている冷酷無情な警部ジャベールは彼を快く思っていない。折から誤ってジャン・ヴァルジャンとして捕えられた男があり、ジャンは一夜の苦悩の末、自らの正体を告白し男を救う。結果としてジャベールに前科者として逮捕され、終身刑の判決を受け脱獄する。
ジャンは市長時代に薄幸の女フォンテーヌにその死の床でした約束を守って、人非人のテナルディエ夫婦のもとで惨めな幼年時代を送っていた娘コゼットを救い出す。パリにコゼットと共に居を構えたジャンは、ようやく愛するべき子を得て心的にも人間として成長する。ところがジャベールの追及はここにも及び、2人はとある僧院に身を潜め、ここでコゼットは美しい娘に成長する。やがて僧院を出て街中でひっそり暮らす2人が散歩の道で出会う青年マリウスと、コゼットはひそかに恋心を抱き合うようになり、ジャンはそれに嫉妬する。
折しも1832年6月、共和党の反乱が起こり、マリウスもそれに加わる。ジャンもそれを知ってバリケードをに赴き、スパイとして捕えられていたジャベールを逃がし、傷ついたマリウスをコゼットを奪う者として半ば憎みながらも、地下水道を通って救い出す。その出口で再度まみえたジャベールは2人を送り届けるとセーヌに身を投げる。傷いえたマリウスとコゼットは結婚し、取り残されたジャンは衰弱していくが、ジャンの正義と慈愛の心を知ったマリウスはコゼットトと共にジャンを訪れ、2人の愛に包まれてジャンは息を引き取る。その枕もとにはかつてミリエル司教から与えられた銀の燭台が灯されていた。
以上、簡単なあらすじだが、これだけ長い話を簡単にあらすじにするのは難しい。もっと色々と込み入った話が含まれているが、それらを事細かに書いていては字数が幾らあっても足りないので、簡単に纏めてみたのだがそれでも小説の大雑把な筋書きしか判らないだろう。
ヴィクトル・ユゴーは1845年~1862年までかけて書いたというから、内容が濃くて長い。その主題となるものは惨めな人を作る出している者への憤りから生みだされたものとされ、タイトルのLes Miserables(惨めな人々)という題の通りの小説である。社会への悪を告発し人間性の善の成長を讃え、さらに時代の風俗の全体像を描き出すことに勢力を注いでいる。・・・・・法律と習俗とがるために、社会的処罰がうまれ、それによって文明のただ中に人工的に地獄が生みだされ、神のつくりたもうべき宿命が人間のつくる運命によってもつれさせられて・・・・・とヴィクトル・ユゴーは言っている。こうしてユゴーは悪に立ち向かう良心の芽生えと成長をする人間としてジャン・ヴァルジャンを登場させたのである。しかし、ヴィクトル・ユゴーがこの小説を書かないまでも、善と悪というのは何時の時代でも存在する。しかし、善と悪は紙一重のところがあり、現在社会のように、より複雑な世の中になると簡単にはいかないのが現実である。善の行為だからと行っていても実はそれが間違っていた行為だということは大いにありうるし、善だ悪だと白黒はっきり分別できない場合も多々ある。それだけにヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』の小説は長すぎるにしては判りやすい小説ということはできるだろう。何が善で何が悪だと読んでいても明確なのである。したがって小学生用に短く書き直された『レ・ミゼラブル』もあれば、コゼットに焦点を当てた少年少女向け小説やコミックもあるぐらいだ。謂わば思慮分別の判断がまだ出来ない小学生に読んでもらいたいのか、その類いの『レ・ミゼラブル』版が過去に幾度となく出版されている。でも小生は全容を知るには、映画や少年少女向けではなく完全版で読むべきだと思う。でも長いからあまり読んでいる人はいないだろう。それに話が今となっては時代錯誤も甚だしいというのもある。でもユゴーという人の人間性がよく表れている。今の日本にこの様な善悪の判りやすい小説が誕生するかと言ったらあり得ないだろう。
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