2008.01.31 (Thu)
プロコル・ハルムのアルバムを聴く『青い影』
1967年に結成され、大ヒット曲『青い影(A White Shade of Pale)』で一世を風靡したプロコル・ハルムというグループがあった。いや、今でも再結成され、活動しているとは聞くが、ほとんど表舞台に出てこない。何故なら、彼等は『青い影』の印象だけで、後世まで名を残しているグループだからであって、それ以外の曲を知る人は、彼らのマニア以外いないのではないかと思えるからである。それほどに『青い影』のインパクトは強かったのである。
彼らのルーツは1962年にイギリスで結成されたパラマウンツというグループがベースになっている。パラマウンツはヴォーカルとキーボードを担当していたゲイリー・ブルッカーと、ロビン・トロワー、クリス・コピング、ミック・ブラウニーの4人グループで、リズム&ブルースを中心に歌っていたか、大したヒット曲もなく1966年に解散したのだった。ところが、その年の9月にゲイリー・ブルッカーは詩人のキース・リードと知り合い、『青い影』という曲を書き上げるのだった。この曲はバッハのカンタータからヒントを得たとも、パーシー・スレッジのヒット曲『男が女を愛する時』から影響を受けたともいわれるが、真実は判らない。それで、出来上がった『青い影』をレコード化するために、新聞広告でメンバーを募集したという逸話が残っている。
こうして結成されたのがプロコル・ハルム(Procol Harum)である。その時のメンバーは、ゲイリー・ブルッカー(ヴォーカル、ピアノ)、マシュー・フィッシャー(オルガン)、レイ・ロイヤー(ギター)、デイヴィッド・ナイツ(ベース)、ボビー・ハリスン(ドラムス)、キース・リード(作詞)であった。なおグループ名はキース・リードの友人が飼っていた猫の名前だそうな。
『青い影』は1967年4月に発売され、いきなりのヒットとなり、全英で第1位、全米で5位、ヨーロッパ及びアジアでもヒットし、日本では同時代のGSのグループ(スパイダース、ゴールデン・カップス、ズーニーヴー)がカバーしたので知れ渡っている。
『青い影』の大ヒットでプロコル・ハルムはシングルと同名のアルバムを製作するのであるが、アルバム製作の直前にレイ・ロイヤーとボビー・クリスンがグループを脱退してしまい、代わりにロビン・トロワーとB・J・ウィルソンが加わって初のアルバムがリリースされたのである。でも、『青い影』以外の曲は、まるで違ったサウンドで、後にプログレッシブのように言われるプロコル・ハルムとはだいぶ違っている。結局、2枚目のアルバムから、プロコル・ハルムの音楽スタイルが確立されるのであるが、『青い影』以上の曲は遂にリリースされず、未だに『青い影』だけのグループのように思われている。
でも、音楽を志す多くの人に強烈な印象と影響を残し、そのクラシカルなメロディは誰でも一度は聴いたことがあるといわしめるほど世間に浸透していた。また、この『青い影』を聴いて目指す音楽の方向性が見えたとする日本のアーティストも大勢いる。とにかく『青い影』以外に話題になるような曲のないプロコル・ハルムであるが、その一曲が余りにも知れ渡ったがために、スーパー・グループであったかのような錯覚さえ起こさせてしまう。現在でも『青い影』は巷でよく聴かれる。グループ名や題名は知らなくても曲が一人歩きして、メロディは広く認知されている。つまりプロコル・ハルムというグループの知名度のなさを曲がカバーしてしまい、オルガンで奏でられる冒頭の旋律を世の人々は記憶してしまい、すっかりクラシックの曲だと思い込んでしまった人もいるぐらいだ。とにかくプロコル・ハルムは同時代のミュージシャンでも異色であったし、ハードロックが隆盛を極める時代にありながら、ロック・シーンでも彼らは一時代を築き上げたことは確かである。
『青い影』を演奏するプロコル・ハルム(1967年の映像)
彼らのルーツは1962年にイギリスで結成されたパラマウンツというグループがベースになっている。パラマウンツはヴォーカルとキーボードを担当していたゲイリー・ブルッカーと、ロビン・トロワー、クリス・コピング、ミック・ブラウニーの4人グループで、リズム&ブルースを中心に歌っていたか、大したヒット曲もなく1966年に解散したのだった。ところが、その年の9月にゲイリー・ブルッカーは詩人のキース・リードと知り合い、『青い影』という曲を書き上げるのだった。この曲はバッハのカンタータからヒントを得たとも、パーシー・スレッジのヒット曲『男が女を愛する時』から影響を受けたともいわれるが、真実は判らない。それで、出来上がった『青い影』をレコード化するために、新聞広告でメンバーを募集したという逸話が残っている。
こうして結成されたのがプロコル・ハルム(Procol Harum)である。その時のメンバーは、ゲイリー・ブルッカー(ヴォーカル、ピアノ)、マシュー・フィッシャー(オルガン)、レイ・ロイヤー(ギター)、デイヴィッド・ナイツ(ベース)、ボビー・ハリスン(ドラムス)、キース・リード(作詞)であった。なおグループ名はキース・リードの友人が飼っていた猫の名前だそうな。
『青い影』は1967年4月に発売され、いきなりのヒットとなり、全英で第1位、全米で5位、ヨーロッパ及びアジアでもヒットし、日本では同時代のGSのグループ(スパイダース、ゴールデン・カップス、ズーニーヴー)がカバーしたので知れ渡っている。
『青い影』の大ヒットでプロコル・ハルムはシングルと同名のアルバムを製作するのであるが、アルバム製作の直前にレイ・ロイヤーとボビー・クリスンがグループを脱退してしまい、代わりにロビン・トロワーとB・J・ウィルソンが加わって初のアルバムがリリースされたのである。でも、『青い影』以外の曲は、まるで違ったサウンドで、後にプログレッシブのように言われるプロコル・ハルムとはだいぶ違っている。結局、2枚目のアルバムから、プロコル・ハルムの音楽スタイルが確立されるのであるが、『青い影』以上の曲は遂にリリースされず、未だに『青い影』だけのグループのように思われている。
でも、音楽を志す多くの人に強烈な印象と影響を残し、そのクラシカルなメロディは誰でも一度は聴いたことがあるといわしめるほど世間に浸透していた。また、この『青い影』を聴いて目指す音楽の方向性が見えたとする日本のアーティストも大勢いる。とにかく『青い影』以外に話題になるような曲のないプロコル・ハルムであるが、その一曲が余りにも知れ渡ったがために、スーパー・グループであったかのような錯覚さえ起こさせてしまう。現在でも『青い影』は巷でよく聴かれる。グループ名や題名は知らなくても曲が一人歩きして、メロディは広く認知されている。つまりプロコル・ハルムというグループの知名度のなさを曲がカバーしてしまい、オルガンで奏でられる冒頭の旋律を世の人々は記憶してしまい、すっかりクラシックの曲だと思い込んでしまった人もいるぐらいだ。とにかくプロコル・ハルムは同時代のミュージシャンでも異色であったし、ハードロックが隆盛を極める時代にありながら、ロック・シーンでも彼らは一時代を築き上げたことは確かである。
『青い影』を演奏するプロコル・ハルム(1967年の映像)
*Comment
uncleyie |
2008.02.02(土) 18:16 | URL |
【コメント編集】
Uncleyieさん、こんばんは。
プロコル・ハルム=『青い影』という強い印象が私にもあります。
メロディーやアレンジも優れていますが、タイトルもいいですね。曲のイメージを広げてくれます。
『青』からは、青春や若さを連想します。『影』は黒いというのが普通ですが、これを『青』と表現するのセンスがいいです。まるで印象派の画家のようですね。
この60年代後半は、優れたミュージシャンが競うように名曲を発表していた時代で私の好きな作品も多くあります。
ある意味、この時期に青春時代を過ごされたUncleyieさんを、うらやましく思います。
プロコル・ハルム=『青い影』という強い印象が私にもあります。
メロディーやアレンジも優れていますが、タイトルもいいですね。曲のイメージを広げてくれます。
『青』からは、青春や若さを連想します。『影』は黒いというのが普通ですが、これを『青』と表現するのセンスがいいです。まるで印象派の画家のようですね。
この60年代後半は、優れたミュージシャンが競うように名曲を発表していた時代で私の好きな作品も多くあります。
ある意味、この時期に青春時代を過ごされたUncleyieさんを、うらやましく思います。
JACK |
2008.02.01(金) 20:21 | URL |
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プロコル・ハルムの『青い影』はバッハの曲に似ているとよく言います。それでどの曲かの旋律を引用したのかとも思いましたが、バッハの曲にも見当たるものが無く、プロコル・ハルムのオリジナルだそうです。よく、こんな旋律が浮かんだものです。
ところで、今思い起こしても70年代よりも60年代の曲の方が私は好きですね。70年代に入ると曲のメロディよりも、ビートやリズムが表面にて出来てしまい、鼻歌で歌えるような曲が少なくなりました。だからというのではないですが、また青春時代にもどれるとして、何時の時代がいいかと問われると、間違いなく60年代を選ぶでしょう。