2014.10.05 (Sun)
ホイッスラー展に行く

京都国立近代美術館で開催中のホイッスラー展に行ってきた。ホイッスラーと言うと小生はイギリス人とばかり思っていたが実はアメリカ人だった。何故なら1834年にマサチューセッツ州ボストン郊外で生まれながらパリで美術を学び、その後はロンドンを拠点に画家として活動していたからである。そもそもホイッスラーの父が土木技師で鉄道建設の仕事で父についてロシアに移住する。この時ホイッスラーは8歳でサンクトペテルブルグに数年間住んでいた。1851年にアメリカにもどり一端は陸軍士官学校に入るが、途中でやめてワシントンで地形図の銅版画工として働き、1855年からはパリに住んでいた。ここでアトリエに通い絵の勉強すする。ここでクールベの絵に感銘を受け、ラトゥールやルグロと知り合い、その他の印象派の画家たちと交流を保ちつつ1859年にはロンドンにも居を構え、ロセッティ兄弟と友好関係を持つ。この頃からロンドンのロイヤル・アカデミーに出品したり、パリでも同様で次第とホイッスラーの絵が注目を浴びるようになる。さらに40代半ばで1年間ヴェネチアに住みイタリア美術に触れるなど絵画への探究心は留まるところを知らない。
ホイッスラーはアメリカ人だが、画家としてのキャリアはヨーロッパで築かれ、また一方で当時の印象派の画家たちと同様に日本の美術品からの影響を受けている。当時の日本の美術、工芸品を目の当たりにしてインスピレーションを得て、色や形の調和を主眼とした独自の画風を確立し、ジャポニズムの先駆者として後に影響を与えたことは確かなようである。ホイッスラーは耽美手主義の画家ともいわれるが、その背景には現実世界と二次元平面に再現するよりも、色彩と形態の組み合わせにより調和のとれた絵を構築していったのである。絵画は現実世界の再現ではなく、色彩と形態から成るもの。そして自律的なものであるとし精神的には印象派の絵画と相通じるものがる。だが、彼の絵はけして明るい色彩の絵ではなく、原色を使わない落ち着いた色彩の絵が多いので一般的に印象派とは一線を画している。
1862年にロンドンで万国博覧会が開かれ、この時に日本の美術、工芸品が数多く展示されていて、当然のようにホイッスラーはそこで日本の美術に出会ったのであるが、殊に浮世絵に関心を持ったのである。中でもホイッスラーの代表作である『ノクターン、青と金色―オールド・バターシー・ブリッジ』の構図は完全に日本の浮世絵の影響であると指摘されている。彼は広重、北斎の描く浮世絵の風景にかなり触発されたと言えよう。このように彼の画風は同時期の印象派とは違い独自のものであるが、日本ではあまり知られていない画家である。同時期に多くの印象派の画家が日本に紹介され、多くの絵が知れ渡ることになるが、それと比較するとホイッスラーは知名度では劣る。それは彼がパリよりもどちらかというとロンドンを拠点にしていたというのもあるが、同じ日本の浮世絵に影響を受けながら印象派のように色鮮やかでなく、どこか色彩が地味なのは彼が浮世絵の色もあるが、それ以上に浮世絵の構図や主体とするもの、それら西洋絵画にない表現力に感銘を受けたからではないだろうか。
今回のホイッスラー展はアメリカ、イギリス、フランス等から油彩画、水彩画、エッチング等、代表作130点が展示されていて、日本では27年振りとなる。でも人気はあまりなく、それこど集客力の多いゴッホやルノアール、モネ等の印象派展やミレーの展覧会に比べれば人もまばらであった。でも人は少ない方がゆっくり鑑賞できてよかったかな。
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