2015.02.22 (Sun)
ウェザー・リポートのアルバム『ヘヴィー・ウェザー』を聴く
ジャズ、フュージョンのグループであるウェザー・リポートがこのアルバムを出したのは1977年である。小生が社会に出て急に身辺が慌ただしくなり毎日が忙しい。必然的に音楽をゆっくりと聴いていられなくなった頃である。なにしろ毎朝6時前には起きて出ていき、帰宅は夜の10時か11時、遅い時は午前様だから家に居る時間もない。したがって音楽から次第と離れって行った時期である。当然流行りのポップスなんてさっぱり判らない。テレビは勿論(当時、観ていたのは競馬とサッカーだけ)、ラジオだって聴いてない。ただ巷に流れている曲だけを聴いて、ああ、こんなのが流行っているのだなという程度でしか音楽に接してなかった。もうロックは聴かなくなっていたかな。ここから小生のポップス歴は終わってしまったのである。もっとも日曜日とかにFMを聴いていたのはいたが、好きでもないテクノポップとかの台頭でちょっと厭気もさしていた。実際には1980年12月、ジョン・レノンの死によって完全にロック、ポップ・ミュージックから遠ざかってしまったのだ。つまり流行りの音楽にすっかり疎くなってしまったという訳だ。それで聴き出したのが流行りと関係なく歳とっても聴けるかなと思いクラシックやジャズを中心に聴くようになっていた。ジャズの生演奏を聴くようになっていたのもこの頃かな。それで当時、ジャズの生バンドがよく演奏していたのが『バードランド』である。
この曲はウェザー・リポートの等アルバムの頭に入っている曲で、ラジオでもよく聴かれたものである。それで当時、小生はウェザー・リポートのことを調べるようになっていた。1971年結成のエレクトリック・サウンドを中心にしたジャズ・フュージョン・グループ。メンバーの中心はジョー・ザヴィヌル(ピアノ、シンセサイザー、作曲)とウェイン・ショーター(サックス)。共にジャズ界で名前が知れ渡っていて、2人ともマイルス・デイヴィスのバンド・メンバーであった。そこへミロスラス・ビトウス(ベース)、アイアート・モレイラ(パーカッション)が参加してウェザー・リポートとして活動。時代はジャズからフュージョンへ、アコースティックからエレクトリックへと流れたいた。結成当初から話題になったが、このグループを一躍有名にしたのが、ジャコ・パストリアスが加わってから録音されたこの『ヘヴィ・ウェザー』である。冒頭の『バードランド』はフュージョンの曲にしては異例のヒットとなり、当時の日本の多くのジャズ・フュージョン・バンドがプロ・アマ問わずカバーをしていたものだ。そういえば当時の小生は、仕事が早く終わった時はジャズの生演奏を聴きに行ったり、休みの日はクラシック音楽をテープで聴きまくっていたというのが音楽との唯一の接点であった。テレビはほとんど観なかったから日本人歌手も知らなかった。ただ朝に寄る喫茶店で日本の流行の曲が流れていた。それで曲を覚えていたがぐらいだ。あとは滅多に行かないが、行ったパチンコ屋で流れている曲を聴いていた。それ以外はほとんど日本の流行音楽を聴かない生活を送っていた。まあ、それは今でもそうなのだが、今はインターネットで動画サイトと言うものがあるから、知らないまでもつい聴いてしまうということもあるが、あの当時はそういった媒体から遠ざかると流行りの音楽なんてさっぱり判らなくなる。そういった時代だった。だから当時のアイドルなんて全く知らないのだ。そういったこともあり、その反動で小生はジャズとクラシックはどんどんと詳しくなっていた。20代後半ではかなりのジャズを聴きこんでいたし、クラシックもベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーの交響曲、協奏曲はどこを部分的に聴いてもすぐに何番の何楽章と判っていたのも、このころである。今はベートーヴェンなんて滅多に聴かないが・・・・・。
さて何の話だ。ウェザー・リポートの話だった。1980年前後ジャズのコンボでウェザー・リポートの『バードランド』をよく聴いていたので、この曲からウェザー・リポートの名をよく聞くようになるが、確かドラマーだけが毎年入れ替わっていたように思う。その他にも多少のメンバーの変遷はあった。それでも核となるメンバーがいたから音楽は不滅だったが、1981年グループからジャコ・パストリアスが抜け、さらにピーター・アスキンも抜け、1986年にはジョー・ザヴィヌルとウェイン・ショーターがそれぞれのバンドを作ったことによりグループは消滅。ただ15年間でウェザー・リポートが残したクリエイティヴな活動には称賛を贈りたいと思う。解散して約30年。今でもウェザー・リポートの音楽は今でも新鮮に聴こえる。
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