2015.05.17 (Sun)
近江県? 琵琶湖県?
以前から言われているのだが全国的に滋賀県の知名度がないらしい。らしいというのは前から判っていることだが、かなり酷いという。そんなことどうでもいいではないかと思うが、滋賀県民の人にとったら屈辱的なのかな。もっとも小生も隣に住んでいても滋賀県にほとんど縁がなかったが、7年前に滋賀県に通うようになり縁が出来るようになり全く関係がないとはいえなくなったので、この話題に触れることにした。
関西の人は滋賀県の存在はみんな知っているが、遠方の人になると滋賀県と言われてもそんな県あった? とか聞いたことない? とか知らない。という人が多いらしい。小生に言わすとただの無知としか言いようがないが、自分の周辺からあまり出ない人はそんな程度だろう。関西でも関東の茨城、栃木、群馬あたりの場所が正確に言える人が少ないのが現実なのだから、滋賀県といわれてもピンとこないだろう。でも琵琶湖となると誰でも知っている。なら琵琶湖は何県にあるとなると知らないというからおかしな話である。ところで何でこんな話をするかと言うと、滋賀県の議会で県名変更を巡る議論か本気で巻き起こっているからである。莫迦らしい話だが事実なのだ。
きっかけは地域ブランド戦略サーベイ2013による都道府県名の全国認知度ランキングで他の複数県とともに最下位だったという結果になったからである。つまり滋賀県が47位というのではなく滋賀県と共に知らないと言われている県が他にもいくつかあり、その中に含まれていたということ。これが問題になり議論を深めているというではないか。
そもそも昔は近江の国と言われ、明治政府が1871年に廃藩置県を実行し、最大の町であった大津に県庁を置いた。その時、大津の所在地が滋賀郡だったところから滋賀県となったわけであり、水が豊かな土地を表す滋に、祝うという賀が地域性を表すという。まあ悪くない県名だとは思う。しかし知名度がないというのは地元の人にとては大きな問題なのかもしれない。だから香川県もうどん県としてPRしたり、大分県はおんせん県、鳥取県は蟹取県として観光PRなどして観光客を呼んでいる実態があるのだから。でも所詮、現実の県名ではないし意味がないと思うが、観光客を呼ぶのにはそうでもしないと知名度がないというのは辛いものがあるだろう。実際、日本全国で知られているというのは北の北海道、南の沖縄は地理的に言って誰でもわかる。あとは東京、京都、大阪・・・・となってきて、もう名古屋あたりになると白地図で場所を示せと言っても判らない人がけっこういるのが現実である。酷いのになると愛知県ではなく名古屋県て言った女性を小生は知っている。まあ、世の女性はほとんど地理オンチだが・・・。小学校で習ってから県の名前など教わることはないから無理もないが。当然、滋賀県を知らない人がいても不思議ではない。小生のように小学校3年生当時で日本全国のすべての県と県庁所在地及び主要都市、何があってどんな山があって川があって、何処に鉄道が走っていると判っていた者からすると、県名を47言えないということは考えられないのだが・・・・・。
本来、江戸時代の藩と言うのは自然国境の川だとか山で区切られていることが多く、こちらの方がより歴史的つながりがあった。当時は徒歩でしか庶民は移動手段がなかったので他の国へ行くということは武士階級以外ほとんどなかっただろう。だからそれでよかったのだが、明治時代に入り鉄道が発達し遠くへ移動できるようになったから、従来の藩制度では問題が多かった。そこで県を置くようになったのだが、その決めるときにかなり問題があったと言うしかない。
若い時、青森県の弘前に行ったことがある。そこの飲み屋で地元の人に弘前は津軽だが八戸は南部だ。だから人間の気質が違うと言われたことがある。八戸と弘前と言うのはそれほど距離が離れてないが、そのようなことを言うのだから昔の藩の方がより地域的愛着は強いだろう。それが明治になって県に移行する時に地域の特性など何も分かってない政府が無理に藩と藩をくっつけていったというのがある。だから文化的には違うのに行政的に同じになってしまったところは至る所である。小生の住む京都府でも保津峡を越えると丹波の国になる。さらに日本海側に行くと丹後の国になる。ここらになると京都市のある山城の国と言葉も違うし気候風土も違う。しかし、今では同じ京都府だ。でもここらなら滋賀県の大津や草津、近江八幡とかのほうが京都市との繋がりは深い。また大阪で言うと淀川より北は摂津の国、南は河内の国、さらに南へ行くと和泉の国。その三つの境目にあったから堺といわれるのだが、この三つとも人間の気性も違うし習慣も違う。言葉も微妙に違う。さらにいうなら神戸市や阪神間の町も摂津の国なのである。それより西へ行くと播磨の国。北へ行くと丹波、されに北は但馬。だから兵庫県はそれらを無理に引っ付けたり切り離したりして出来た県である。
つまり廃藩置県で県を決めるときはかなり強引に行ったとしか言いようがないが、滋賀県は昔の近江の国がそのまま滋賀県に名前が変わっただけで、昔の藩と地理的に何の変化もない。でも滋賀県と言う名が知られてない。このことは今に始まったことではなく、1990年、2009年にも同様の議論があったのだ。前回の時は県民にアンケートまで行い8割が今のままでいいと答え、1割の人が変えた方が良いと言った。その時、もし変えるなら何県がいいかという問いに対し近江県、琵琶湖県という返答が多かったのである。確かに近江米、近江牛、近江商人、湖国と言われるほどだから琵琶湖県。どちらも通りは良いが、それで知名度が上がるのかな。県名の知名度なんかどうでもいいと思うのだけど。名物と名産と人がいればそれだけで十分だと思う。滋賀県は琵琶湖、鮒ずし、比叡山、近江牛、近江米、イメージできるのは幾らでもある。知らない人はただの無知と言って無視すればいいだけ。滋賀県でも小生は悪くないと思うのだが。
関西の人は滋賀県の存在はみんな知っているが、遠方の人になると滋賀県と言われてもそんな県あった? とか聞いたことない? とか知らない。という人が多いらしい。小生に言わすとただの無知としか言いようがないが、自分の周辺からあまり出ない人はそんな程度だろう。関西でも関東の茨城、栃木、群馬あたりの場所が正確に言える人が少ないのが現実なのだから、滋賀県といわれてもピンとこないだろう。でも琵琶湖となると誰でも知っている。なら琵琶湖は何県にあるとなると知らないというからおかしな話である。ところで何でこんな話をするかと言うと、滋賀県の議会で県名変更を巡る議論か本気で巻き起こっているからである。莫迦らしい話だが事実なのだ。
きっかけは地域ブランド戦略サーベイ2013による都道府県名の全国認知度ランキングで他の複数県とともに最下位だったという結果になったからである。つまり滋賀県が47位というのではなく滋賀県と共に知らないと言われている県が他にもいくつかあり、その中に含まれていたということ。これが問題になり議論を深めているというではないか。
そもそも昔は近江の国と言われ、明治政府が1871年に廃藩置県を実行し、最大の町であった大津に県庁を置いた。その時、大津の所在地が滋賀郡だったところから滋賀県となったわけであり、水が豊かな土地を表す滋に、祝うという賀が地域性を表すという。まあ悪くない県名だとは思う。しかし知名度がないというのは地元の人にとては大きな問題なのかもしれない。だから香川県もうどん県としてPRしたり、大分県はおんせん県、鳥取県は蟹取県として観光PRなどして観光客を呼んでいる実態があるのだから。でも所詮、現実の県名ではないし意味がないと思うが、観光客を呼ぶのにはそうでもしないと知名度がないというのは辛いものがあるだろう。実際、日本全国で知られているというのは北の北海道、南の沖縄は地理的に言って誰でもわかる。あとは東京、京都、大阪・・・・となってきて、もう名古屋あたりになると白地図で場所を示せと言っても判らない人がけっこういるのが現実である。酷いのになると愛知県ではなく名古屋県て言った女性を小生は知っている。まあ、世の女性はほとんど地理オンチだが・・・。小学校で習ってから県の名前など教わることはないから無理もないが。当然、滋賀県を知らない人がいても不思議ではない。小生のように小学校3年生当時で日本全国のすべての県と県庁所在地及び主要都市、何があってどんな山があって川があって、何処に鉄道が走っていると判っていた者からすると、県名を47言えないということは考えられないのだが・・・・・。
本来、江戸時代の藩と言うのは自然国境の川だとか山で区切られていることが多く、こちらの方がより歴史的つながりがあった。当時は徒歩でしか庶民は移動手段がなかったので他の国へ行くということは武士階級以外ほとんどなかっただろう。だからそれでよかったのだが、明治時代に入り鉄道が発達し遠くへ移動できるようになったから、従来の藩制度では問題が多かった。そこで県を置くようになったのだが、その決めるときにかなり問題があったと言うしかない。
若い時、青森県の弘前に行ったことがある。そこの飲み屋で地元の人に弘前は津軽だが八戸は南部だ。だから人間の気質が違うと言われたことがある。八戸と弘前と言うのはそれほど距離が離れてないが、そのようなことを言うのだから昔の藩の方がより地域的愛着は強いだろう。それが明治になって県に移行する時に地域の特性など何も分かってない政府が無理に藩と藩をくっつけていったというのがある。だから文化的には違うのに行政的に同じになってしまったところは至る所である。小生の住む京都府でも保津峡を越えると丹波の国になる。さらに日本海側に行くと丹後の国になる。ここらになると京都市のある山城の国と言葉も違うし気候風土も違う。しかし、今では同じ京都府だ。でもここらなら滋賀県の大津や草津、近江八幡とかのほうが京都市との繋がりは深い。また大阪で言うと淀川より北は摂津の国、南は河内の国、さらに南へ行くと和泉の国。その三つの境目にあったから堺といわれるのだが、この三つとも人間の気性も違うし習慣も違う。言葉も微妙に違う。さらにいうなら神戸市や阪神間の町も摂津の国なのである。それより西へ行くと播磨の国。北へ行くと丹波、されに北は但馬。だから兵庫県はそれらを無理に引っ付けたり切り離したりして出来た県である。
つまり廃藩置県で県を決めるときはかなり強引に行ったとしか言いようがないが、滋賀県は昔の近江の国がそのまま滋賀県に名前が変わっただけで、昔の藩と地理的に何の変化もない。でも滋賀県と言う名が知られてない。このことは今に始まったことではなく、1990年、2009年にも同様の議論があったのだ。前回の時は県民にアンケートまで行い8割が今のままでいいと答え、1割の人が変えた方が良いと言った。その時、もし変えるなら何県がいいかという問いに対し近江県、琵琶湖県という返答が多かったのである。確かに近江米、近江牛、近江商人、湖国と言われるほどだから琵琶湖県。どちらも通りは良いが、それで知名度が上がるのかな。県名の知名度なんかどうでもいいと思うのだけど。名物と名産と人がいればそれだけで十分だと思う。滋賀県は琵琶湖、鮒ずし、比叡山、近江牛、近江米、イメージできるのは幾らでもある。知らない人はただの無知と言って無視すればいいだけ。滋賀県でも小生は悪くないと思うのだが。
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