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2008.02.25 (Mon)

山本周五郎・・・・・『青べか物語』を読む

 山本周五郎という作家がいる。『樅ノ木は残った』『赤ひげ診療譚』『季節のない街』『さぶ』『ながい坂』・・・・これらの小説の題名を羅列するだけで、何となく作風が判りそうであるが、我々の年代以上の読者に特に人気があるようだ。書かれた小説は、主に時代物が中心で、町人の生き様を描いた作品が多く、内容からして我々のような凡人が読んで共感できるのだ。だから山本周五郎は人気がある。読んでいて胸がキュンとなることがある。

この『青べか物語』は、昭和初期の漁師町・浦粕が舞台である。浦粕町は根戸川の下流というより河口にある。貝と海苔と釣り場で知られ、貝の缶詰工場と、貝殻を焼いて石灰を作る工場と、海苔の干し場と、魚釣りに来る人のための釣舟屋、それにごったくやといわれる小料理屋の多いのが特徴である。北は田畑、東は海、西は根戸川、南は沖の百万坪と呼ばれる広大な荒地がひろがり、その先は海である。その町へ主人公である私が訪れ、私という主人公は蒸気河岸の先生と呼ばれていた。

 蒸気河岸の先生は、町に来るなり芳爺という老人にぶっくれ舟「青べか」を買わされてしまう。買った以上は住みつかなくてはならない。こうして私である蒸気河岸の先生が、語るところの浦粕の町の住人達の物語が始まるのだった。

 この町の常識はずれの狡猾さ、愉快さ、素朴さ・・・・・惑わされながらも主人公は少しずつ町の住人に中に溶け込んでいこうとする。・・・・・ただし、この物語には8年後に訪れた話が続いている。一度、浦粕を離れた主人公は、8年後に再訪した。その半年前、この町の住人のことを短編小説にして雑誌に掲載されたのである。主人公は浦粕にやって来て、ここの住人が、その小説を読んでいるとは思わなかったから、安心していたが、留さんという水夫は読んでいた。驚いた主人公は「あれは小説なんでね」と弁解したら、留さんは「おら大事に取ってあんよ」「一生大事にしておくだ」と言われ、人の良さに触れたものの、親しかった人の両親からは、厳しい警戒と拒否の眼を持って眺められ、30年後に、またまた訪れた時は、誰も蒸気河岸の先生だと思い出してもらえなかったのである。かつては土地に溶け込み、隅々まで名前が行き渡っていたと思っていたが、所詮は余所者であったことに気がつくのである。

 以上が、小説のあらましであるが、この浦粕という町は昭和初期の浦安が舞台だといわれている。したがって根戸川というのは旧江戸川のことである。作者の山本周五郎は昭和3年頃、実際に浦安に住んでいた。当時は千葉県東葛飾郡浦安町で、今とは違って寂しい漁村であったという。それで住民は警戒心が強く、余所者をなかなか入れようとしなかった。こんな町に山本周五郎は暫くの間住みつき、この素朴な田舎町をモデルにしたのが『青べか物語』なのである。小説の中にあるように、貝や海苔を採り、海苔を干し、貝の缶詰を作ったり、貝殻で石灰を作ったり、舟釣屋等で生計を立てている人が多く、都会人が入る余地はなかったところである。

 現在、浦安はディズニーランドやデイズニーシーが出来て、人が溢れるように訪れるが、私が知る限り、ほんの40年前は、『青べか物語』で語られるような面影が残っていたと思う。まだその頃は、浦安町だったのだから・・・・。それが、1969年に地下鉄東西線が浦安町を通るようになると、町の歴史が変わり始めたのだろう。一躍、東京のベッドタウンとして開発が急になった。そんな1972年頃だったか、私は地下鉄東西線で浦安を何度か通過した覚えがある。でも、まだ浦安町だった。

 浦安町が浦安市となったのは1980年頃ではなかったかと思うが、暫くして東京ディズニー・ランドがオープンして、一躍、有名な地名となってしまったのだ。だから、その頃から浦安は急変して、今や何処にも『青べか物語』の風景はないかもしれない・・・・。少なくとも電車から眺められる風景を見る限り、見当たらないようだ。すっかり町は様変わりし、芳爺さんも、留さんも、漁師の源さんも、船宿「千本」の長も、船宿の娘おすずも、乱暴者の増さんも、小料理屋「喜世川」の栄子も、みんないなくなってしまったであろう。

 町は街となり浦安町は浦安市となり、漁師も次第に減っていき、今や大部分が東京へ通勤する住人で溢れかえってしまった。かつて山本周五郎が警戒心と拒否反応でなかなか近付けずに苦労した地元民も少なくなり、大挙して移住してきた都会人によって街の性格も姿も一転してしまった。『青べか物語』の時代から80年が経過した。今や沖の百万坪も何処へやら・・・・・・・・。
                                                      
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