2008.02.26 (Tue)
アカデミー賞に思う・・・そして、最近の映画の題名に文句を言う
第80回アカデミー賞の授賞式がこのほど行われ、日本人俳優の浅野忠信が出ていた『モンゴル』が、アカデミー外国語映画賞にノミネートされていたが、残念ながら受賞を逃してしまった。過去には日本人は早川雪洲やマコ岩松等、数名が俳優の部門で受賞を逃して、唯一、助演女優賞を獲得したのがミヨシ梅木だった訳だが、あのミヨシ梅木が出ていた『サヨナラ』だって、何処がアカデミー賞に輝く演技かと問われれば大いに疑問の残る受賞で、アカデミー賞なんて権威だけはあるものの、とても受賞に値しない作品や監督、男優、女優なんて枚挙に遑がない。でも、こんな賞を受賞したというだけで、その作品や俳優達は箔が付くから当事者は是非ともほしい賞なのであろう。
このアカデミー賞というのは、1928年にアメリカ映画産業に従事する関係者で組織されている映画芸術アカデミーの会員6000人の無記名投票で、各部門が選出されるのである。それで、大部分の会員がハリウッドの業界の人ということで、どうしても商業主義的になり易く、必ずしも公平に選ばれているとは限らない。だから作品賞などは芸術的なものよりも、ヒットし興行的に成功した映画が選ばれることが多く、昔から色々とオスカー作品に対して賛否両論あったようだ。そんな訳でオスカーを逃したからといって、作品の価値が下がる訳でもあるまいし、余りオスカー、オスカーばかり言うなと言いたい。
今や日本人までが注目するアカデミー賞であるが、この賞が設けられた1928年頃は、映画芸術アカデミーの夕食会の一環として始まったという。その頃は、今ほど注目もされず名誉というものでもなかったのだろう。それが何時しか授賞式そのものが大きなイベントとなってしまった。それでオスカーの栄誉に輝くや、一躍有名になってしまう・・・。これが現在のオスカーなのである。
さて、こんなアカデミー賞なのであるが、この中で1番重要視されるのは、やはり作品賞ではないだろうか。前年の1年間の間にロサンジェルスで公開された映画の中から、映画芸術アカデミーの会員が選ぶのだろうが、今年は『ノーカントリー』という映画だそうな・・・。
ところで最近10年間のアカデミー作品賞に輝いた10作品の中で、私が観た映画というのは、『恋におちたシェイクスピア』のみである。これを聞いて、それなら映画を語るなという声が聞こえてきそうである。申し訳ない・・・言葉がない。でも、何故に最近、映画を観に行かなくなったかというと、理由がはっきりしている。それは映画の題名を聞いただけでは行く気が起こらないからというのが、私から映画を遠ざける要因になっているのだ。そういうことで、この記事を読んでいる映画会社の宣伝部が心を入れ替えてくれたら、最近のアメリカ映画のタイトルに見られる悪習慣を切って捨てて、もっと邦題にこだわって欲しいと思う。
『アメリカン・ビューティー』『グラディエーター』『ビューティフル・マインド』『シカゴ』『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』『ミリオンダラー・ベイビー』『クラッシュ』『ディバーテッド』・・・・これらは最近のアカデミー賞作品賞受賞の題名である。でも、この題名の羅列を見て連想するものってあるのだろうかと・・・。単なる英語で書かれた原題のカタ仮名化にすぎない。
そりゃ英語は世界で使われている。だけども、アルファベットで書かれた原題を、ただカタ仮名に直しているだけで、かつて存在した邦題のタイトル・・・・もう死語になりつつあるのか。だから私は最近の外国映画を観ようとする気がしないのである。
それではここで、第1回から第二次世界大戦が終結する1945年までのアカデミー作品賞の栄誉を担った作品の題名を並べてみるとする。『つばさ』『西部戦線異状なし』『グランド・ホテル』『或る夜の出来事』『戦艦バウンティ号の叛乱』『巨星ジークフェルド』『風邪と共に去りぬ』『レベッカ』『ミニヴァー夫人』『カサブランカ』『我が道を往く』『失われた週末』・・・・・見事なまでに邦題のタイトルが並んでいる。つまりこの当時は、英語のタイトルを日本語に訳すか、映画の内容を観て、それを引き出すようなタイトルを邦題でつけていたのである。これだと題名から何となくどんな映画なのか、その方向性が読み取れたものである。だから私は観てみたいという気が起こったものである。なのに、最近のアメリカ映画のタイトルは何だ・・・・・・。ただ原題のタイトルをカタ仮名に置き換えただけというお粗末さ、出鱈目さ、いい加減さ・・・・・。これだから私は最近の映画を観てみようと思わなくなった。だから映画のタイトルというのは重要なのである。たかがタイトルと思うかもしれないが、昔の宣伝マンは、映画ひとつとっても邦題のタイトルに拘ったのである。『荒野の決闘』『駅馬車』『波止場』『お熱いのがお好き』『緑園の天使』『雨に唄えば』・・・・もし『風と共に去りぬ』が、今だったらおそらく『ゴーン・ウイズ・ザ・ウインド』というタイトルになるだろうし、『駅馬車』なら『ステージコーチ』になってしまう。これだと何のコッチャといいたくなる。
聞く所によると、最近の映画会社の宣伝マンは、日本で公開されるときでも、原題をそのままカタ仮名に変えて映画館に回すという。だから邦題のタイトルを頭からつけようなんて思ってないのだ。要するに育ちの違いかもしれないが、カタ仮名慣れしてしまって、何の違和感もないという。だからJポップの曲にも言えるけど、ヒットチャートに横文字が並んでしまうのである。これだと何処の国の曲なのか判らなくなってしまう。つまり私の考えが古いのかもしれないが、若い人のためだけに映画があるのではない。日本語をお粗末にする今の風潮は嫌いだ。もっと母国語を大事にせよと言いたい。
このアカデミー賞というのは、1928年にアメリカ映画産業に従事する関係者で組織されている映画芸術アカデミーの会員6000人の無記名投票で、各部門が選出されるのである。それで、大部分の会員がハリウッドの業界の人ということで、どうしても商業主義的になり易く、必ずしも公平に選ばれているとは限らない。だから作品賞などは芸術的なものよりも、ヒットし興行的に成功した映画が選ばれることが多く、昔から色々とオスカー作品に対して賛否両論あったようだ。そんな訳でオスカーを逃したからといって、作品の価値が下がる訳でもあるまいし、余りオスカー、オスカーばかり言うなと言いたい。
今や日本人までが注目するアカデミー賞であるが、この賞が設けられた1928年頃は、映画芸術アカデミーの夕食会の一環として始まったという。その頃は、今ほど注目もされず名誉というものでもなかったのだろう。それが何時しか授賞式そのものが大きなイベントとなってしまった。それでオスカーの栄誉に輝くや、一躍有名になってしまう・・・。これが現在のオスカーなのである。
さて、こんなアカデミー賞なのであるが、この中で1番重要視されるのは、やはり作品賞ではないだろうか。前年の1年間の間にロサンジェルスで公開された映画の中から、映画芸術アカデミーの会員が選ぶのだろうが、今年は『ノーカントリー』という映画だそうな・・・。
ところで最近10年間のアカデミー作品賞に輝いた10作品の中で、私が観た映画というのは、『恋におちたシェイクスピア』のみである。これを聞いて、それなら映画を語るなという声が聞こえてきそうである。申し訳ない・・・言葉がない。でも、何故に最近、映画を観に行かなくなったかというと、理由がはっきりしている。それは映画の題名を聞いただけでは行く気が起こらないからというのが、私から映画を遠ざける要因になっているのだ。そういうことで、この記事を読んでいる映画会社の宣伝部が心を入れ替えてくれたら、最近のアメリカ映画のタイトルに見られる悪習慣を切って捨てて、もっと邦題にこだわって欲しいと思う。
『アメリカン・ビューティー』『グラディエーター』『ビューティフル・マインド』『シカゴ』『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』『ミリオンダラー・ベイビー』『クラッシュ』『ディバーテッド』・・・・これらは最近のアカデミー賞作品賞受賞の題名である。でも、この題名の羅列を見て連想するものってあるのだろうかと・・・。単なる英語で書かれた原題のカタ仮名化にすぎない。
そりゃ英語は世界で使われている。だけども、アルファベットで書かれた原題を、ただカタ仮名に直しているだけで、かつて存在した邦題のタイトル・・・・もう死語になりつつあるのか。だから私は最近の外国映画を観ようとする気がしないのである。
それではここで、第1回から第二次世界大戦が終結する1945年までのアカデミー作品賞の栄誉を担った作品の題名を並べてみるとする。『つばさ』『西部戦線異状なし』『グランド・ホテル』『或る夜の出来事』『戦艦バウンティ号の叛乱』『巨星ジークフェルド』『風邪と共に去りぬ』『レベッカ』『ミニヴァー夫人』『カサブランカ』『我が道を往く』『失われた週末』・・・・・見事なまでに邦題のタイトルが並んでいる。つまりこの当時は、英語のタイトルを日本語に訳すか、映画の内容を観て、それを引き出すようなタイトルを邦題でつけていたのである。これだと題名から何となくどんな映画なのか、その方向性が読み取れたものである。だから私は観てみたいという気が起こったものである。なのに、最近のアメリカ映画のタイトルは何だ・・・・・・。ただ原題のタイトルをカタ仮名に置き換えただけというお粗末さ、出鱈目さ、いい加減さ・・・・・。これだから私は最近の映画を観てみようと思わなくなった。だから映画のタイトルというのは重要なのである。たかがタイトルと思うかもしれないが、昔の宣伝マンは、映画ひとつとっても邦題のタイトルに拘ったのである。『荒野の決闘』『駅馬車』『波止場』『お熱いのがお好き』『緑園の天使』『雨に唄えば』・・・・もし『風と共に去りぬ』が、今だったらおそらく『ゴーン・ウイズ・ザ・ウインド』というタイトルになるだろうし、『駅馬車』なら『ステージコーチ』になってしまう。これだと何のコッチャといいたくなる。
聞く所によると、最近の映画会社の宣伝マンは、日本で公開されるときでも、原題をそのままカタ仮名に変えて映画館に回すという。だから邦題のタイトルを頭からつけようなんて思ってないのだ。要するに育ちの違いかもしれないが、カタ仮名慣れしてしまって、何の違和感もないという。だからJポップの曲にも言えるけど、ヒットチャートに横文字が並んでしまうのである。これだと何処の国の曲なのか判らなくなってしまう。つまり私の考えが古いのかもしれないが、若い人のためだけに映画があるのではない。日本語をお粗末にする今の風潮は嫌いだ。もっと母国語を大事にせよと言いたい。
*Comment
uncleyieさん、こんばんは。
アカデミー賞への、日本人のノミネートは最近増えてきましたが、受賞はまだ難しいようですね。
また来年以降に期待します。
カタカナの邦題は最近目立ちます。よい邦題を考えるのは、大変なせいかも知れません。命名には、ひらめきや、センスの良さが問われます。
かつては『勝手にしやがれ』や『ランボー』のように、原題とは異なる邦題がヒットにつながった作品もあります。
逆に『氷の微笑』の場合は、本国から邦題の意味について質問されたそうです。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』みたいに、話題作りに長い邦題を採用した例もありました。
もちろん、タイトルよりも中身が大事です。でも、タイトルから内容を想像しにくい映画が増えると、洋画は敬遠されないか、他人事ながら心配になります。
でも『スターウォーズ』には、『宇宙戦争』みたいな邦題にしなくて、よかったと思います。
アカデミー賞への、日本人のノミネートは最近増えてきましたが、受賞はまだ難しいようですね。
また来年以降に期待します。
カタカナの邦題は最近目立ちます。よい邦題を考えるのは、大変なせいかも知れません。命名には、ひらめきや、センスの良さが問われます。
かつては『勝手にしやがれ』や『ランボー』のように、原題とは異なる邦題がヒットにつながった作品もあります。
逆に『氷の微笑』の場合は、本国から邦題の意味について質問されたそうです。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』みたいに、話題作りに長い邦題を採用した例もありました。
もちろん、タイトルよりも中身が大事です。でも、タイトルから内容を想像しにくい映画が増えると、洋画は敬遠されないか、他人事ながら心配になります。
でも『スターウォーズ』には、『宇宙戦争』みたいな邦題にしなくて、よかったと思います。
JACK |
2008.02.28(木) 22:15 | URL |
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『スター・ウォーズ』はこれでいいでしょうネエ。『ジョーズ』もしかりで、もし『顎』という題名だったらヒットしなかったでしょう。昔、水野ハルオさんが、宣伝部に在籍した時、アメリカ側から邦題について、よく意見させたそうですが、日本人にはカタカナ題名は判りにくいからといって説得したといいます。それだけ当時の宣伝マンは意地があったといいます。
だからというのでもないですが、今の宣伝マンは日本語の語彙が少なすぎます。必ず良い邦題が考えられる筈です。でも彼等は安直にカタ仮名タイトルをつけるようです。でもアルファベットをカタカナにすると問題も在ります。ロードはRなのかLなのか、レッドもRなのかLなのか、英単語が違えば意味も違うように、紛らわしいものは邦題をつけるべきだと思います。最も誰でも判る英語なら、無理に邦題をつける必要もないでしょうけど・・・・。ただ、今の宣伝マンは、もっと本を読むべきでしょうネエ。映画ばかり観ていると本を読む暇もないでしょうけど・・・・。