2008.02.27 (Wed)
ヴェルディのオペラ『アイーダ』を観る
ジュゼッペ・ヴェルディというとどんなイメージがあるだろうか。おそらくオペラの作曲家といったイメージではないだろうか。とにかくオペラ(歌劇)作品が多い。『ナブッコ』『エルナーニ』『マノン・レスコー』『リゴリット』『イル・トロヴァトーレ』『椿姫』『運命の力』『ファルスタッフ』・・・・そして、『アイーダ』がある。
『アイーダ』というのは、ヴェルディが1871年に初演したオペラで、古代エジプトの話である。
古代エジプトの首都メンフィスで、エジプトの王女アムネリアスは若きラムダスに恋心を抱いていた。だがラムダスはアイーダと相思相愛であった。アイーダはエチオピアの女王であるが、身を隠し囚われの身となりアムネリアスの奴隷として扱われていた。ところが、ラダメスがエチオピア遠征の将軍として任命され、戦いに出発することになった。アイーダは祖国と恋人という二つの愛の板挟みに苦しむこととなる。さあ、エチオピアの運命は、ラダメスとアイーダは、どうなるのか・・・。
ヴェルディて、オペラ以外の曲も作っている。宗教曲や声楽曲、器楽曲・・・・このようなものもあるが、一般的にいってオペラが目立っている作曲家である。何故だろうかと考えたが、言えることはヴェルディがイタリア人だからとしか言いようがない。
思えば音楽用語というのはイタリア語である。アンダンテ、カンタービレ、ビバーチェ、アレグロ・ノン・トロッポ、アダージョ、フォルテ、ピアニシモ、ポコ・ア・ポコ、アッチェレランド・・・・。つまり現在に通じる西洋音楽は、グレゴリオ聖歌のような宗教音楽が中心になって発展してきた。それらはローマ・カトリックと関係が深く、そのためイタリア語が音楽用語として使われてきたのだろう。それで、イタリアというとどうしても歌の国、カンタービレの国で、器楽曲以上に歌が好きな国民の国という気がする。だからオペラもイタリアで始まったのではないだろうか。
このように音楽というのは、声楽が中心となって発展の歴史を辿ってきたのである。器楽曲が中心になるのは、もっと後代のことで、交響曲なんていうのは、オペラが始まる前のざわざわした観客席を静めるために演奏されていたものであって、交響曲が演奏会の中心に持ってこられるようになるのは、ベートーヴェンの時代になってからではないだろうか。そういうことで、かつては声楽が中心だった西洋音楽が、器楽曲に取って代わられる様になると、オペラ等はクラシック音楽と兄弟のような関係でありながら、オペラは独自で上演されるようになった。こうして多くのオペラがイタリア人作曲家の手によって作曲されるようになりオペラの大作曲家ジュゼッペ・ヴェルディの登場となる。
でもオペラは嫌いという人は多い。肥った女が出てきて大きな口を開けて金きり声でアアア~~~~~と叫んでいるような印象が強いからではないだろうか。それにオペラはクサイといわれる。確かにクサイかもしれない。大袈裟でありテンポも鈍い。でも考えてみるとこれほど暇と金がかかった舞台劇というものは他に存在しないのではないだろうか。オペラというのは台本があり、曲があり、演技があり、それに相応しい舞台装置と衣装、それにプロの大オーケストラが奏でる演奏をバックにして、プロの歌手達が演技をしながら歌うのである。つまり総合芸術であるのだ。よくミュージカルは好きだが、オペラは嫌いだという女性が時々見受けられる。私に言わせれば実に勿体無い。
ミュージカルが理解できるのなら、何故、オペラが理解できないといわせてもらう。ミュージカルはオペラから派生した一つの芸術なのであって、アメリカで生まれた現在オペラと言ってもいいぐらいだ。ただ、物語が現在の話なので判りやすいと言うだけである。その点、オペラは現在の話ではないので、判りづらいかもしれないが、これだって時代背景や登場人物の設定を吟味して頭の中で整理さえできていれば、これほど楽しい舞台劇はないと思う。もしヴェルディがダメならビゼーの『カルメン』なんて比較的入り易いオペラであるし、音楽も一度は聴いたことがある曲ばかりで形成されている。だから一度、DVDでも買って来て、楽しんでみては如何かと思うのである。
歌劇『アイーダ』の一場面、『凱旋行進曲』が奏でられる。
『アイーダ』というのは、ヴェルディが1871年に初演したオペラで、古代エジプトの話である。
古代エジプトの首都メンフィスで、エジプトの王女アムネリアスは若きラムダスに恋心を抱いていた。だがラムダスはアイーダと相思相愛であった。アイーダはエチオピアの女王であるが、身を隠し囚われの身となりアムネリアスの奴隷として扱われていた。ところが、ラダメスがエチオピア遠征の将軍として任命され、戦いに出発することになった。アイーダは祖国と恋人という二つの愛の板挟みに苦しむこととなる。さあ、エチオピアの運命は、ラダメスとアイーダは、どうなるのか・・・。
ヴェルディて、オペラ以外の曲も作っている。宗教曲や声楽曲、器楽曲・・・・このようなものもあるが、一般的にいってオペラが目立っている作曲家である。何故だろうかと考えたが、言えることはヴェルディがイタリア人だからとしか言いようがない。
思えば音楽用語というのはイタリア語である。アンダンテ、カンタービレ、ビバーチェ、アレグロ・ノン・トロッポ、アダージョ、フォルテ、ピアニシモ、ポコ・ア・ポコ、アッチェレランド・・・・。つまり現在に通じる西洋音楽は、グレゴリオ聖歌のような宗教音楽が中心になって発展してきた。それらはローマ・カトリックと関係が深く、そのためイタリア語が音楽用語として使われてきたのだろう。それで、イタリアというとどうしても歌の国、カンタービレの国で、器楽曲以上に歌が好きな国民の国という気がする。だからオペラもイタリアで始まったのではないだろうか。
このように音楽というのは、声楽が中心となって発展の歴史を辿ってきたのである。器楽曲が中心になるのは、もっと後代のことで、交響曲なんていうのは、オペラが始まる前のざわざわした観客席を静めるために演奏されていたものであって、交響曲が演奏会の中心に持ってこられるようになるのは、ベートーヴェンの時代になってからではないだろうか。そういうことで、かつては声楽が中心だった西洋音楽が、器楽曲に取って代わられる様になると、オペラ等はクラシック音楽と兄弟のような関係でありながら、オペラは独自で上演されるようになった。こうして多くのオペラがイタリア人作曲家の手によって作曲されるようになりオペラの大作曲家ジュゼッペ・ヴェルディの登場となる。
でもオペラは嫌いという人は多い。肥った女が出てきて大きな口を開けて金きり声でアアア~~~~~と叫んでいるような印象が強いからではないだろうか。それにオペラはクサイといわれる。確かにクサイかもしれない。大袈裟でありテンポも鈍い。でも考えてみるとこれほど暇と金がかかった舞台劇というものは他に存在しないのではないだろうか。オペラというのは台本があり、曲があり、演技があり、それに相応しい舞台装置と衣装、それにプロの大オーケストラが奏でる演奏をバックにして、プロの歌手達が演技をしながら歌うのである。つまり総合芸術であるのだ。よくミュージカルは好きだが、オペラは嫌いだという女性が時々見受けられる。私に言わせれば実に勿体無い。
ミュージカルが理解できるのなら、何故、オペラが理解できないといわせてもらう。ミュージカルはオペラから派生した一つの芸術なのであって、アメリカで生まれた現在オペラと言ってもいいぐらいだ。ただ、物語が現在の話なので判りやすいと言うだけである。その点、オペラは現在の話ではないので、判りづらいかもしれないが、これだって時代背景や登場人物の設定を吟味して頭の中で整理さえできていれば、これほど楽しい舞台劇はないと思う。もしヴェルディがダメならビゼーの『カルメン』なんて比較的入り易いオペラであるし、音楽も一度は聴いたことがある曲ばかりで形成されている。だから一度、DVDでも買って来て、楽しんでみては如何かと思うのである。
歌劇『アイーダ』の一場面、『凱旋行進曲』が奏でられる。
*Trackback
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
| BLOGTOP |