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2018.04.22 (Sun)

ウェス・モンゴメリーのアルバム『フルハウス』を聴く

 ウェス・モンゴメリーというジャズのギタリストがいた。いたってことは既に故人になっているっとことだが、亡くなったのが1968年6月15日と言うからほぼ50年前である。でもジャズのギタリストってまず第一に名前が挙がるのがこの人だからな。ジャズ界においてギターってのはいかに日陰の存在であったかが判る。ジャズのギターってビッグバンドでは存在するがコンボではあまり出てこないからさほど目立たないのだろう。実際に彼もジャズ界の世界で頭角表すのは1960年と遅い。彼は1923年生まれだから37歳の時である。このときはキャノンボール・アダレイが彼の演奏を観て気に入りレコーディングさせたアルバム『The Incredibke Jazz Guitar Of Wes Montgomery』で評判を呼び、彼は一気にジャズのギタリスト界で有名になる。それまで彼は生まれたインディアナポリスのローカルなジャズギタリストにしか過ぎなかったのである。もっとも彼は兄と弟と組んだザ・モンゴメリー・ブラザーズというジャズ・トリオでアルバムも出している。しかしアメリカは広い。いい腕を持っていてもジャズの辣腕ミュージシャンは数知れない。彼が有名になるわけがない。ましてやジャズでは地味なギタリストである。ただ彼の奏法は変わっていてオクターヴ奏法だが彼は親指1本で弦を弾くのである。だから音色が他のギタリストとは異なる。つまりベーシストのような音色のギタリストであった。これは彼が深夜しか練習する時間がなく煩い音を出せなかったからピックを使わず指で弾いていたことによるものである。ウェスは有名なミュージシャンにありがちな薬や酒、女に溺れることもなくただ真面目に朝から夕方近くまで労働者として働き、その後はバンド活動を行なっていたのである。こんな生活が長く続きキャノンボール・アダレイに見いだされるまでジャズでの演奏だけでは食っていけなかったのだろう。ただ一度、ライオネル・ハンプトン楽団の一員になり全米を回っていたのである。これは1948年から1950年のことで彼が25歳から27歳の頃であった。ただ彼は大の飛行機嫌い(小生と一緒だ)。結局、2年で楽団を辞めてしまいインディアナポリスの引っ込んでしまう。こうして細々と演奏活動をしていたときに彼の名が拡がり、一躍ジャズギタリストの寵児となる。
 そして当アルバム『フルハウス』を1962年に出すのである。メンバーはウェス・モンゴメリー(ギター)、ジョニー・グリフィン(テナー・サックス)、ウィントン・ケリー(ピアノ)、ポール・チェンバース(ベース)、ジミー・コブ(ドラムス)という豪華なメンバーである
収録曲は『Full House』『I’ve Grown Accustomed To Her Face』『Blue’N’Boogie』『Cariba』『Come Rain Or Come Shine』『S.O.S』『Born To Be Blue』で、これはバークレーでのライヴ録音でありウェスのギターが冴え渡っていて名盤として通っている。ウェスが世に出るやこの独創的なギター奏法はジャズギタリストに影響を与えることとなるが簡単に真似が出来るものではない。ロックギタリストにもその影響力は及んだが、ほとんどのエレキギタリストはピックで弾くから音色が変わってくる。やはりこの音はウェスしか出せないのだ。
 最もウェスは兄にギターを買ってもらい独学で学んだと言うからやはり唯一無二の存在なのだろう。彼はギターの先輩チャーリー・クリスチャンのレコードを聴き漁り20歳の頃には完全にコピーできるまでになったという。ところでこの『フルハウス』が出た頃、彼はジャズギター界で飛ぶ鳥を落とす勢いだったにも関わらず、何故かポップスの曲をアルバムで出すようになる。ビートルズの曲を出したのもこの後で、彼にとってはジャズ界ポップス界とあまりこだわっていなかったようだが、残念なことに彼はジャズが変わりつつあった1968年に心臓発作で亡くなっている。まだ45歳だった。これは若いときの無理な労働が後年まで響いているとも言われているが・・・。
 ところで小生がウェス・モンゴメリーの名を知ったのもビートルズの『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』を発表してからである。そのときにジャズのギタリストだと聴いて驚いた覚えがある。当時イージーリスニング風の曲を多数録音し色々と批評もあったようだが、彼は彼で考えていたのだろう。当時はロックが全盛でジャズ界は曲がり角に来ていたからな。小生が中学から高校にかけての頃だったが。


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