2008.04.09 (Wed)
カール・パーキンスを聴く

カール・パーキンスなんて今時、知っている人などいるのだろうか・・・・・。亡くなって10年経過している。もし仮に今、生きていたとしても、1932年の4月9日生まれだから、今日でちょうど76歳となる。
でもカール・パーキンスの名を知らなくても『ブルー・スウェード・シューズ』というロックンロールの曲を知っている人は少なくないだろう。ところが、この曲はエルヴィス・プレスリーがオリジナルだと思っている人は多い。実はオリジナルは、このカール・パーキンスなのである。
そもそもロックンロールというものが、この世に現れてポピュラー・ミュージックが様変わりした。それらの激しいリズムを持つ音楽に若者が飛びついた。1955年に大ヒットしたビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの『ロック・アラウンド・ザ・ロック』をロックンロールの最初の曲だとする人は多い。また、その頃、多くのロックンローラーが時を同じくして出現した。リトル・リチャード、チャック・ベリー、ファッツ・ドミノ、ジェリー・リー・ルイス、エディ・コクラン、バディ・ホリー、ジーン・ヴィンセント・・・・・・そして、エルヴィス・プレスリーもいたしカール・パーキンスもいた。
ロカビリーともいわれるロックンロールが登場したのが、この1950年代半ばであるが、これらの音楽は黒人音楽のリズム&ブルース、白人音楽のカントリー、その他、ジャズやダンス・ミュージック・・これらが融合して、出来上がった音楽でもあるが、強烈なパンチのある曲が多く、電気ギターといわれたエレキギターを使っていることが特徴で、これらが発展していき現在のロック音楽に繋がっていくのだが、これらの黎明期にカール・パーキンスがいて、彼がその後に与えた影響というのは少なくない。一般的にロックンロールといえばプレスリー。アイドル的な人気があり、大スターでもあった。また黒人のチャック・ベリーは『ロール・オーヴァー・ベートーヴェン』『ジョニー・B・グッド』『ロックン・ロール・ミュージック』が余りにも有名である。
彼らと比べると知名度では遥かに劣るが、カール・パーキンスも後のアーティストに少なからず支持されている。彼は1932年にテネシー州で生まれ、カントリーを聴いて育ち、一方でゴスペルやブルースもよく聴いたという。やがてカールは、テネシーの農園で働く黒人からギターを教わり、何時の間にやカントリーのビートでブルースを弾くようになった。後にカール・パーキンスは、兄と弟と共にパーキンス・ブラザース・バンドを結成し、アマチュア・コンサートに出場したりした。それから数年後には地元のラジオ局でレギュラー番組を持ち、彼等のバンドが演奏する曲は電波で飛ばされるのであった。
そんな頃、カール・パーキンスはエルヴィス・プレスリーの曲をラジオで聴くこととなる。彼は衝撃を受け、さっそくメンフィスにあるサン・レコードを訪れて、レコード・デビューの夢を果たすのである。1955年2月にカール・パーキンスは『ムービー・マッグ』でデビューする。この曲はカントリー曲で、当初、カール・パーキンスはロックンロールを唄ってなかった。それが1956年1月『ハニー・ドント』『ブルー・スウェード・シューズ』のカップリングで出されたシングル盤は、瞬く間に200万枚以上売れたという。そして、プレスリーはカール・パーキンスの『ブルー・スウェード・シューズ』をカバーすることとなる。だが、後年はプレスリーの唄う『ブルー・スウェード・シューズ』の方が有名になってしまったのである。
ところで、私がカール・パーキンスの名を何で知ったかというと、ビートルズがカール・パーキンスの曲をよくカバーしていたからである。『みんないい娘(Everbody's Tryin' To Be My Baby )』『ハニー・ドント』『マッチボックス』等の曲はすっかりビートルズで馴染んでいる。このようにビートルズはカール・パーキンスの曲をカバーして、初期のアルバムに入れているぐらいだから、カール・パーキンスから得るところは大きかったというところである。なのに今ではカール・パーキンスの名を知る人も激減した。とはいえ、その後、多くの人のカバーによって彼の書いた曲は何時までも残っているのである。
『ブルー・スウェード・シューズ(Blue Suede Shoes)』を唄うカール・パーキンス。
『マッチボックス(Matchbox)』を唄うカール・パーキンス。
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