2008.05.12 (Mon)
カフカ『変身』を読む

ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した。彼は鎧のように堅い背中を下にして、あおむけに横たわっていた。頭をすこし持ちあげると、アーチのようにふくらんだ褐色の腹が見える。腹の上には横に幾本かの筋がついていて、筋の部分はくぼんでいる。腹のふくらんでいるところにかかっている布団はいまにもずり落ちそうになっていた。たくさんの足が彼の目の前に頼りなげにぴくぴく動いていた。胴体の大きさにくらべて、足はひどく細かった。
このような書き出しで始まるカフカの『変身』は、何とも奇妙な小説である。何故、主人公が奇怪な虫に変身したのか、また何故、変身しなくてはならなかったのか・・・・皆目、理由がわからないし、小説の中でも、何故に変身に及んだかについて一切、説明がなされてないからである。
この小説の簡単なあらすじを言うと、グレーゴル・ザムザは、商科大学を卒業して軍隊に入り、その後はセールスマンとして働き、両親と妹の扶養をしている。ところが、この妙な変身により、自分の体がどうにもこうにもならず、早朝の汽車の時間も間に合わず、店から支配人がやって来て、何故、無断欠勤するのかと家族と押し問答が始まる。鍵をかけて寝る習慣のザムザは、ドア越しに弁明をするが、支配人は「獣の声だ」と恐れをなして退散する。
昼になり顔を出したザムザを見て母親はへたり込み、父親は部屋へ突き返そうとする。その後、この家には色々と変動があって、女中は暇を取って出て行くし、父親は銀行の小間使いとして働きに出るようになり、母親は内職の針仕事に精を出し、妹も売り子になったが、さらに良い職につこうとばかり、速記術とフランス語の勉強をやりだした。
ところが家族はザムザを徐々に邪険にし、グレーゴルの部屋は物置同然になっていく。グレーゴルは父からリンゴを投げつけられ重傷を負い、食欲も減退し、体も衰弱していく。いつしか手伝い女がグレーゴルが横たわって微動だにしないところを発見する。父親は「これで神様に感謝できるというものだ」と言って、親子3人は電車に乗って郊外に散歩に出かける。
何とも冷酷で寒々しい小説であろうか。何とも理解しがたい話であるが、この虫に変身するという意味合いは、カフカ自身が言うには寄生虫というニュアンスがあるようだ。カフカは父親コンプレックスがあり、父親のすねをかじっていた寄食者であった。小説の中でグレーゴルが父親が投げたリンゴの傷が原因で死ぬが、これは父親の勝利を意味している。またカフカは現実問題として、『変身』を執筆している頃、午前中は役所に勤め、午後は父親の経営する工場の管理を任されていたという。つまり父親との関係上、彼が天職と考えていた文学のための時間をつくることか困難であり、こういった焦燥感がカフカに『変身』を書かせたとも言われ、虫けらそのものは経済的に自立することができなかった自分自身を示唆しているのである。
カフカが激しい父親コンプレックスを持っていたと先ほど述べたが、彼が36歳の時に書いた『父への手紙』を読めばよく判る。まさしくそれは、親子の関係というよりも主君と奴隷の関係のようなものである。またカフカの短編『死刑判決』のように、結婚問題を中心として父子の意見がわかれ、父から溺死の刑を言い渡された息子が自殺するといった作品のように、自己断罪に終わるといったケースが多い。
カフカの研究家ヘーゼルハウスが言うには、文学作品におけるメタモルフォーゼ(変形)というのは、三つのタイプがあるが、カフカの『変身』の場合は、人間が低次元、あるいは無生物的な自然領域へ追放される場合に使われる技法だという。結局、カフカは現実社会と非現実社会との対比を扉一枚で使い分けていたということだろうか・・・・・・。でも小生のような凡人には理解しがたい奇妙な文学作品である。
*Comment
こんにちは。私のブログでも「変身」紹介してるので
お邪魔してみました。
カフカって今でいうニートっぽかったんでしょうか?
家族に邪険にされた実体験の小説ってところですかね?
お邪魔してみました。
カフカって今でいうニートっぽかったんでしょうか?
家族に邪険にされた実体験の小説ってところですかね?
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この小説は変な小説です。何故、主人公が変身したかの説明が一切無いし、何故、変身しなければならないのか。聞く所によるとカフカが実生活で家庭から厄介者になっていたというのは、本当のようです。ある意味で変身というのは、形容を変えた実話ではないでしょうか。