2008.05.24 (Sat)
比叡山に登る・後半
坂本ケーブル延暦寺駅から徒歩で15分ほど歩くと東塔地域に到着する。延暦寺というのは比叡山全域を境内といってもいいが、おもな伽藍は東塔、西塔、横川の三地域に集まっている。でも、それぞれの地域が離れていて、徒歩で回ろうと思うと1日仕事となるので、今日は東塔地域だけにして、いずれまた西塔、横川には来ようと思う。
延暦寺は最澄上人が788年(延暦7年)に創建した天台宗の総本山で、空海が開いた真言宗と並んで日本仏教の母胎となった。最澄は天台数学、密教、禅、戒を融合する総合仏教を目指したが、後年に日本の新仏教の宗派を開くこととなる法然、親鸞、栄西、道元、日蓮、真盛、良忍などの名僧がみんな、この比叡山延暦寺に学んだことは言うまでもない。
延暦寺の駅から歩いて東塔の中に入る。諸堂巡拝券550円を買って境内に入る。でも東海道自然歩道の遊歩道があって、そこを歩いているだけだといえば無料で通してくれるらしいが、いちいち関係者にその旨を伝えるのも面倒臭いので550円を支払った。だが、この東塔には延暦寺の総本堂にあたる根本中堂がある。南都仏教に背を向け比叡山に篭って修行した最澄の出発点が、いわばこの場所である。
この根本中堂は織田信長によって焼き討ちされたあと、徳川家光によって1640年再建されたもので国宝に指定されている。だから国宝としては比較的に新しい建造物といってもいいが総欅造りである。つまり現在では手に入れるのが不可能とされる巨大な欅を使っているため貴重な建造物といえるであろう。
写真は根本中堂とそれを囲む回廊である。
根本中堂の正面には急な階段があって、その階段を上がると文殊楼がある。文殊楼は比叡山の総門の役目も果たしているという。
この東塔地域には大講堂、阿弥陀堂、戒壇院、法華総持院などの堂塔が所在するが、時間が無いのでおさらばする。
東塔地域を出て目指す先は叡山ケーブル乗り場である。ここから山道で2㎞あるのでちょっと急がねばならない。だが、その途中に鄙びたお堂があったので立ち寄ってみた。それが山王院である。山王院は法華堂鎮護山王院といい、第六祖智証大師円珍の住居で後唐院ともいうし、千手観音を祀るので千手堂とも千手院ともいう。円珍は最澄の弟子で、密教が盛んになりつつある時代、真言密教に対し台密を確立したのである。最澄の没後、円珍と円仁との間に密教についての意見の対立があり、円珍は園城寺(三井寺)に追われ、以降、三井寺が寺門派の拠点となる。一方、比叡山は山門派の拠点となる。
今回は延暦寺の来るのが目的ではなく、ただケーブル・カーに乗ってみたかったというだけの理由でやって来たので、先を急がねばならない。だから西塔地区も横川地区も行っている暇がない。バスを使えばすぐに行けるが、これは邪道であろう。やはり寺に来るには基本的に徒歩というのが訪れる者の最低限のマナーだろう。だから舗装されてない山道を歩いて西塔、横川に行くべきだと思う。西塔は東塔から30分歩けば行けるが、横川までは4kmある。それも上がったり下がったりの舗装されてない山道を歩くとなると1時間では到着しない。それも往復歩くとなると今回、とても時間が足りないので行っている暇がない。
写真のようにこのような山道が延々と続くのである。上り下りに崖っぷちのところもあるし森林の中を歩くこともある。道中、野鹿と遭遇したかと思えば蛇も現れた。脚力に自信の無い人はバスでどうぞ。
山道を歩き滋賀県側から京都府側に出て暫く行くと、比叡山の人工スキー場跡に出た。リフトも動いてなく痕跡だけをとどめている。このスキー場跡の上は比叡山の山頂で、昔は山頂遊園地というものがあり、お化け屋敷が有名であった。しかし、それも閉園してしまい、今はガーデンミュージアム比叡がある。だから延暦寺のある滋賀県側と違って比叡山の京都府側は行楽客ばかりである。
スキー場跡の前を通って坂を上って下ると叡山ロープウェーのロープ比叡駅が見えた。やっと着いたかという感じ・・・・・。暑いのなんのって、汗をかかなれけばどうってことないけども、やはり5月の下旬もなると暑い・・・・・・。
ロープウェイが発着した。このロープウェイは、ロープ比叡駅から比叡山頂駅までを繋いでいる。ただし距離はたったの500m、所要時間は3分。でも歩いて山頂に向うとなると回り道を歩くのでなかなか到着しないから、みんな乗ってしまうのである。
京都市内を見渡させるところにやっと出てきた。でもモヤがかかって見渡せない。見下ろすと眼下に洛北地域が見える。ちょうど松ヶ崎の山と宝ヶ池と国立京都国際会館、宝ヶ池プリンス・ホテルが見える。この松ヶ崎にある山に妙法の文字が燈され、8月16日の五山送り火の時にはクローズアップされるのであるが、この写真は妙法の文字が浮かぶ山の裏側から覗いている事になる。
ロープウェイ比叡駅の近くに叡山ケーブルのケーブル比叡駅がある。坂本ケーブルは滋賀県大津側の登山口となるが、こちらは京都側の登山口である。さあ、これから降りるとしようか・・・・・。
このケーブル・カーに乗るのも小学生の頃以来である。こちらは坂本ケーブルのケーブル・カーと比較すると、ごく普通のケーブル・カーでこれといって特徴が無い。全長1458m、坂本ケーブルよりも500m以上短くてトンネルも鉄橋も途中駅も無く、景色も素晴らしいというものではないが、高低差561mは日本最大である。
所要時間9分で到着。坂本ケーブルは10人ほどしか乗っている人がいなかったが、こちらは座れないほど乗客が多かった。
地上のケーブル八瀬駅である。
ケーブル・カーを降りて、これから京都の市街地に向う叡電に乗ることにする。ケーブル八瀬駅を出て高野川に架かる橋を渡れば叡山電鉄の八瀬比叡山口駅がある。叡山電鉄は昔は京福電鉄の経営であったが、今は京阪電鉄グループの別会社となっている。かつて、京福電鉄嵐山線・北野線を嵐電(らんでん)と呼ぶのに対して京福電鉄叡山本線・鞍馬線は叡電(えいでん)と京都の人は呼んでいたのである。それが今は独立して叡山電鉄と名称が変わっているので文字通り叡電である。叡電は、この八瀬からターミナルの出町柳までと、もう一つ鞍馬まで行く路線があり、宝ヶ池駅で分岐しているのである。
出町柳に到着したが、考えてみれば何も食べていなかった。それで軽い食事をとることにしたが、今まで入ったことが無いロッテリアで、コーラーとてりやきバーガー、チーズバーガーを食べた。
夕方の6時からはもう1人が合流して、京都の某所にある焼肉屋に入る。時間がまだ早いので店内はすいていた。
まずは生ビールを飲んでからユッケを食べる。
あとは炭火でソーセージ、鳥の軟骨、ハラミ、色々焼きながら乾杯! ・・・・・・・・ああ、疲れた疲れた。
延暦寺は最澄上人が788年(延暦7年)に創建した天台宗の総本山で、空海が開いた真言宗と並んで日本仏教の母胎となった。最澄は天台数学、密教、禅、戒を融合する総合仏教を目指したが、後年に日本の新仏教の宗派を開くこととなる法然、親鸞、栄西、道元、日蓮、真盛、良忍などの名僧がみんな、この比叡山延暦寺に学んだことは言うまでもない。
延暦寺の駅から歩いて東塔の中に入る。諸堂巡拝券550円を買って境内に入る。でも東海道自然歩道の遊歩道があって、そこを歩いているだけだといえば無料で通してくれるらしいが、いちいち関係者にその旨を伝えるのも面倒臭いので550円を支払った。だが、この東塔には延暦寺の総本堂にあたる根本中堂がある。南都仏教に背を向け比叡山に篭って修行した最澄の出発点が、いわばこの場所である。
この根本中堂は織田信長によって焼き討ちされたあと、徳川家光によって1640年再建されたもので国宝に指定されている。だから国宝としては比較的に新しい建造物といってもいいが総欅造りである。つまり現在では手に入れるのが不可能とされる巨大な欅を使っているため貴重な建造物といえるであろう。
写真は根本中堂とそれを囲む回廊である。
根本中堂の正面には急な階段があって、その階段を上がると文殊楼がある。文殊楼は比叡山の総門の役目も果たしているという。
この東塔地域には大講堂、阿弥陀堂、戒壇院、法華総持院などの堂塔が所在するが、時間が無いのでおさらばする。
東塔地域を出て目指す先は叡山ケーブル乗り場である。ここから山道で2㎞あるのでちょっと急がねばならない。だが、その途中に鄙びたお堂があったので立ち寄ってみた。それが山王院である。山王院は法華堂鎮護山王院といい、第六祖智証大師円珍の住居で後唐院ともいうし、千手観音を祀るので千手堂とも千手院ともいう。円珍は最澄の弟子で、密教が盛んになりつつある時代、真言密教に対し台密を確立したのである。最澄の没後、円珍と円仁との間に密教についての意見の対立があり、円珍は園城寺(三井寺)に追われ、以降、三井寺が寺門派の拠点となる。一方、比叡山は山門派の拠点となる。
今回は延暦寺の来るのが目的ではなく、ただケーブル・カーに乗ってみたかったというだけの理由でやって来たので、先を急がねばならない。だから西塔地区も横川地区も行っている暇がない。バスを使えばすぐに行けるが、これは邪道であろう。やはり寺に来るには基本的に徒歩というのが訪れる者の最低限のマナーだろう。だから舗装されてない山道を歩いて西塔、横川に行くべきだと思う。西塔は東塔から30分歩けば行けるが、横川までは4kmある。それも上がったり下がったりの舗装されてない山道を歩くとなると1時間では到着しない。それも往復歩くとなると今回、とても時間が足りないので行っている暇がない。
写真のようにこのような山道が延々と続くのである。上り下りに崖っぷちのところもあるし森林の中を歩くこともある。道中、野鹿と遭遇したかと思えば蛇も現れた。脚力に自信の無い人はバスでどうぞ。
山道を歩き滋賀県側から京都府側に出て暫く行くと、比叡山の人工スキー場跡に出た。リフトも動いてなく痕跡だけをとどめている。このスキー場跡の上は比叡山の山頂で、昔は山頂遊園地というものがあり、お化け屋敷が有名であった。しかし、それも閉園してしまい、今はガーデンミュージアム比叡がある。だから延暦寺のある滋賀県側と違って比叡山の京都府側は行楽客ばかりである。
スキー場跡の前を通って坂を上って下ると叡山ロープウェーのロープ比叡駅が見えた。やっと着いたかという感じ・・・・・。暑いのなんのって、汗をかかなれけばどうってことないけども、やはり5月の下旬もなると暑い・・・・・・。
ロープウェイが発着した。このロープウェイは、ロープ比叡駅から比叡山頂駅までを繋いでいる。ただし距離はたったの500m、所要時間は3分。でも歩いて山頂に向うとなると回り道を歩くのでなかなか到着しないから、みんな乗ってしまうのである。
京都市内を見渡させるところにやっと出てきた。でもモヤがかかって見渡せない。見下ろすと眼下に洛北地域が見える。ちょうど松ヶ崎の山と宝ヶ池と国立京都国際会館、宝ヶ池プリンス・ホテルが見える。この松ヶ崎にある山に妙法の文字が燈され、8月16日の五山送り火の時にはクローズアップされるのであるが、この写真は妙法の文字が浮かぶ山の裏側から覗いている事になる。
ロープウェイ比叡駅の近くに叡山ケーブルのケーブル比叡駅がある。坂本ケーブルは滋賀県大津側の登山口となるが、こちらは京都側の登山口である。さあ、これから降りるとしようか・・・・・。
このケーブル・カーに乗るのも小学生の頃以来である。こちらは坂本ケーブルのケーブル・カーと比較すると、ごく普通のケーブル・カーでこれといって特徴が無い。全長1458m、坂本ケーブルよりも500m以上短くてトンネルも鉄橋も途中駅も無く、景色も素晴らしいというものではないが、高低差561mは日本最大である。
所要時間9分で到着。坂本ケーブルは10人ほどしか乗っている人がいなかったが、こちらは座れないほど乗客が多かった。
地上のケーブル八瀬駅である。
ケーブル・カーを降りて、これから京都の市街地に向う叡電に乗ることにする。ケーブル八瀬駅を出て高野川に架かる橋を渡れば叡山電鉄の八瀬比叡山口駅がある。叡山電鉄は昔は京福電鉄の経営であったが、今は京阪電鉄グループの別会社となっている。かつて、京福電鉄嵐山線・北野線を嵐電(らんでん)と呼ぶのに対して京福電鉄叡山本線・鞍馬線は叡電(えいでん)と京都の人は呼んでいたのである。それが今は独立して叡山電鉄と名称が変わっているので文字通り叡電である。叡電は、この八瀬からターミナルの出町柳までと、もう一つ鞍馬まで行く路線があり、宝ヶ池駅で分岐しているのである。
出町柳に到着したが、考えてみれば何も食べていなかった。それで軽い食事をとることにしたが、今まで入ったことが無いロッテリアで、コーラーとてりやきバーガー、チーズバーガーを食べた。
夕方の6時からはもう1人が合流して、京都の某所にある焼肉屋に入る。時間がまだ早いので店内はすいていた。
まずは生ビールを飲んでからユッケを食べる。
あとは炭火でソーセージ、鳥の軟骨、ハラミ、色々焼きながら乾杯! ・・・・・・・・ああ、疲れた疲れた。
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