2008.06.17 (Tue)
ルイ・マルの映画を観る・・・・・『死刑台のエレベーター』
『死刑台のエレベーター』1957年製作、フランス映画
監督 ルイ・マル
出演 モーリス・ロネ
ジャンヌ・モロー
ジョルジュ・プージュリー
リノ・ヴァンチェラ
ヨリ・ヴェルタン
ジャン=クロード・ブリアリ
【あらすじ】ジュリアン・タベルニはフロランス・カララ夫人の夫が社長を務めると土地開発会社の技師であったが、彼はフロランスと通じていた。それで邪魔な社長を殺す完全犯罪を目論んでいた。ジュリアンは自殺と見せかけるように殺したが、社内で殺した帰途、残してきた証拠に気づいて再び現場へ戻ろうとする。ところが運悪くエレベーターに乗り込んだものの週末で電源を落とされてしまい、エレベーター内に閉じ込められてしまう。しかも会社の前に停めていた車は若いカップルに無断で使われてしまう。しかも車を盗んだ彼らも犯罪を犯してしまう。こうして物語は思わぬ方向へと進んで行く。
この映画はノエル・カレフの犯罪小説が原作であり、フランスの巨匠ルイ・マルの劇映画デビュー作品である。それもルイ・マルが25歳の時に撮った作品で、ヌーヴェル・ヴァーグの初期作品であるとも言われる。ヌーヴェル・ヴァーグとは新しい波という意味のフランス語で、その頃にフランスで吹き荒れた映画運動のことである。
そもそも映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』の主宰者アンドレ・バザンの薫陶を受けて、同誌で映画批評をしていた若い連中たちが、やがて自ら映画を撮り出し、それらの映画を一般的にヌーヴェル・ヴァーグと呼んでいるのである。
ルイ・マルの『死刑台のエレベーター』も広義においてはヌーヴェル・ヴァーグに当てはまるかもしれないが、ゴダールやトリュフォー、エリック・ロメール、アラン・レネ、アニエス・ヴァルダ、クロード・シャブロル等の同時代の監督とは異なっていて、ルイ・マル自身は『カイエ・デュ・シネマ』には属さない独自の監督なのである。でもジャンヌ・モローだとかジャン=クロード・ブリアリなどヌーヴェル・ヴァーグ作品によく出演する俳優を使うのでヌーヴェル・ヴァーグ運動に参加している映画監督とも思われているようだ。また、実際にフランソワ・トリュフォーはルイ・マルの作品『地下鉄のザジ』にインスパイアされたとも言っているし、人脈ではヌーヴェル・ヴァーグ一派と重複している関係からルイ・マルもヌーヴェル・ヴァーグ的な要素を含んでいる監督と言ってもいいかもしれない。
この『死刑台のエレベーター』は、大人の情事の果てに起こした殺人事件と、パリの無軌道な若者が引き起こした殺人事件の2つが同時進行するが、全編、マイルス・デイヴィスの即興演奏が流れ、モノクロの映像と相成って、パリの街を彷徨い歩くジャンヌ・モロー・・・・・・・。
映像も洒落ているが、それ以上に効果を上げているのがマイルス・デイヴィスのトランペットである。ルイ・マルはジャズが好きで、映画のBGMにジャズを流してみたいと考えていたようだが、運よく三週間のヨーロッパ・ツアーに来ていたマイルス・デイヴィスに声がかかったという。それで、マイルス・デイヴィスは話をもらってから、興味を惹かれたらしく、すぐに編集前のフィルムを幾つか見せられたという。そして、試写から2週間後にレコーディングされたのである。
レコーディングはポスト・パリジャン・スタジオで行なわれ、セッションのメンバーはマイルス・デイヴィス、バルネ・ウィラン、ルネ・ユルトジュ、ピエール・ミシェロ、ケニー・クラークであった。レコーディング・セッションにはジャンヌ・モローも顔を出し、リラックスした雰囲気の中で行なわれ、4時間で終わったという。こうしてフランス映画とジャズの融合がなされた。当時としてはとても斬新な全編ジャズの即興演奏だけで、その他の音楽は一切無し、またアメリカ映画ではなく、フランス映画だったというのも実に面白い。それもこの映画が事実上の監督デビュー作品で、それも25歳という若さだったルイ・マルである。まさに彼は才能溢れる若き映画監督だったのだ・・・・・・。
パリの街を彷徨い歩くジャンヌ・モロー。マイルス・デイヴィスの奏でるトランペットが物悲しい。
監督 ルイ・マル
出演 モーリス・ロネ
ジャンヌ・モロー
ジョルジュ・プージュリー
リノ・ヴァンチェラ
ヨリ・ヴェルタン
ジャン=クロード・ブリアリ
【あらすじ】ジュリアン・タベルニはフロランス・カララ夫人の夫が社長を務めると土地開発会社の技師であったが、彼はフロランスと通じていた。それで邪魔な社長を殺す完全犯罪を目論んでいた。ジュリアンは自殺と見せかけるように殺したが、社内で殺した帰途、残してきた証拠に気づいて再び現場へ戻ろうとする。ところが運悪くエレベーターに乗り込んだものの週末で電源を落とされてしまい、エレベーター内に閉じ込められてしまう。しかも会社の前に停めていた車は若いカップルに無断で使われてしまう。しかも車を盗んだ彼らも犯罪を犯してしまう。こうして物語は思わぬ方向へと進んで行く。
この映画はノエル・カレフの犯罪小説が原作であり、フランスの巨匠ルイ・マルの劇映画デビュー作品である。それもルイ・マルが25歳の時に撮った作品で、ヌーヴェル・ヴァーグの初期作品であるとも言われる。ヌーヴェル・ヴァーグとは新しい波という意味のフランス語で、その頃にフランスで吹き荒れた映画運動のことである。
そもそも映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』の主宰者アンドレ・バザンの薫陶を受けて、同誌で映画批評をしていた若い連中たちが、やがて自ら映画を撮り出し、それらの映画を一般的にヌーヴェル・ヴァーグと呼んでいるのである。
ルイ・マルの『死刑台のエレベーター』も広義においてはヌーヴェル・ヴァーグに当てはまるかもしれないが、ゴダールやトリュフォー、エリック・ロメール、アラン・レネ、アニエス・ヴァルダ、クロード・シャブロル等の同時代の監督とは異なっていて、ルイ・マル自身は『カイエ・デュ・シネマ』には属さない独自の監督なのである。でもジャンヌ・モローだとかジャン=クロード・ブリアリなどヌーヴェル・ヴァーグ作品によく出演する俳優を使うのでヌーヴェル・ヴァーグ運動に参加している映画監督とも思われているようだ。また、実際にフランソワ・トリュフォーはルイ・マルの作品『地下鉄のザジ』にインスパイアされたとも言っているし、人脈ではヌーヴェル・ヴァーグ一派と重複している関係からルイ・マルもヌーヴェル・ヴァーグ的な要素を含んでいる監督と言ってもいいかもしれない。
この『死刑台のエレベーター』は、大人の情事の果てに起こした殺人事件と、パリの無軌道な若者が引き起こした殺人事件の2つが同時進行するが、全編、マイルス・デイヴィスの即興演奏が流れ、モノクロの映像と相成って、パリの街を彷徨い歩くジャンヌ・モロー・・・・・・・。
映像も洒落ているが、それ以上に効果を上げているのがマイルス・デイヴィスのトランペットである。ルイ・マルはジャズが好きで、映画のBGMにジャズを流してみたいと考えていたようだが、運よく三週間のヨーロッパ・ツアーに来ていたマイルス・デイヴィスに声がかかったという。それで、マイルス・デイヴィスは話をもらってから、興味を惹かれたらしく、すぐに編集前のフィルムを幾つか見せられたという。そして、試写から2週間後にレコーディングされたのである。
レコーディングはポスト・パリジャン・スタジオで行なわれ、セッションのメンバーはマイルス・デイヴィス、バルネ・ウィラン、ルネ・ユルトジュ、ピエール・ミシェロ、ケニー・クラークであった。レコーディング・セッションにはジャンヌ・モローも顔を出し、リラックスした雰囲気の中で行なわれ、4時間で終わったという。こうしてフランス映画とジャズの融合がなされた。当時としてはとても斬新な全編ジャズの即興演奏だけで、その他の音楽は一切無し、またアメリカ映画ではなく、フランス映画だったというのも実に面白い。それもこの映画が事実上の監督デビュー作品で、それも25歳という若さだったルイ・マルである。まさに彼は才能溢れる若き映画監督だったのだ・・・・・・。
パリの街を彷徨い歩くジャンヌ・モロー。マイルス・デイヴィスの奏でるトランペットが物悲しい。
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