2008.08.09 (Sat)
北京オリンピックが始まったが・・・・・
昨日、帰宅したのが午後9時を大きく回っていた。汗だくになって部屋に入るなり、エアコンを入れて一服する。そして、NHKのニュースでも見ようかとテレビのスイッチを入れたものの、ニュースではなく北京オリンピックの開会式の生中継を放映していた。
ああ、そうか北京オリンピックの開会式は夜に行なうのか・・・・・・・。昔はオリンピックの開会式というと昼間に行なうもので、整然とした選手の入場から始まって、開会宣言、大会旗掲揚、選手宣誓、聖火の点火と決まっていたが、1992年のバルセロナ・オリンピックあたりから夕方~夜に開会式を行なうようになってしまったようだ。理由は色々とあるが、だんだんとショー化するオリンピックの開会式そのものを夜に行なった方が、炎や照明を駆使して、より幻想的で印象的な演出が可能になるからと考えられるからだろう。
それで当初から北京オリンピックに懐疑的だった私自身も、その演出に見入ってしまい暫くはテレビの画面から視線を逸らせなくなってしまった。でもだんだんと佳境に入るにしたがって嫌気がさしてきて、とうとうテレビを切ってしまった。開会式では悠久の歴史を誇る中国の文化と発明品に拘り、紙を作っているところや印刷技術を紹介した映像、古い山水画から現代の宇宙開発にいたるまで、中国が如何に凄いかというところをこれでもかこれでもかと見せ付けるのに辟易してしまったからである。世界的イベントであるオリンピックを利用して、国家の力を誇示したいのはわかるが、ここまで鮮烈にアピールされるとチャン・イーモウの演出をもってしても、それ以上に中国という中華思想に毒された国の慢心ばかりが鼻についてしまう。能天気にイベントだから楽しいと見入ってしまう人には華麗なショーであろうが、皮肉屋の私としては一言二言、言いたくなってしまった。
中国はいったい何のためにオリンピック開催にこじつけたのか・・・・・・・・。それは国際化した民主的な中国がここまで素晴らしい国になったのだという事実を世界にアピールしたかったからであって、大会のスローガンOne World,One Dreamであるということらしい・・・・・。
でもそれは表向きであって、真実は世界に冠たる中国は今後も発展し続け、世界にその威信と実力を誇示するために、現代中国の強大さ長大さをぜひ世界の隅々まで浸透させなければならず、その目的の手段として世界中が注目するオリンピックを利用したということなのだろう。
別にオリンピックを開催してもらっても結構だが、国家プロジェクトで単なるスポーツ・イベントにしか過ぎない五輪を、国の実力を誇示するための大いなる手段として利用していることは何処から見ても見え見えなので、私としてはその辺り今回のオリンピックは当初から嫌悪感しかなかった。
中国はこのオリンピック開催にどれたけの金をつぎ込んでいるのだろうか・・・・・・・。慢性的に水不足の北京に水を供給しなくてはならないというので、数年も前から北京周辺の農民の水田に水を送らなくなり、彼らには米の生産をやめさせてトウモロコシの生産に切り替えるように一方的に命令を下し、北京の貧相部落の住民は追い出し、一方的に住居を破壊して近代的な超高層ビル街に変えてしまったり、内陸部に住む出稼ぎ農民には、北京オリンピックの間は目立つし邪魔になるというので、一方的に故郷へ送り返したり、急激に増えつつある自動車のために交通停滞が慢性的に起こりつつあり、それを防ぐ意味で強制的な規制をしたり、とにかくオリンピック開催のためには、人民の生活を踏みにじろうともお構いなし。すでに少数民族を弾圧しているところは誰もが知っている歴然たる事実であるが、中国政府は臭いものには蓋をしようという隠微体質で、一向に透明化されない体制下にある。
『一つの世界、一つの夢』だなんて、表向きは建前で如何にも平和の祭典を開催するのに都合の良いスローガンを掲げて、どうにかオリンピック開催に邁進してきただろうが、やはり表と裏では180度違う顔が見え隠れしている。だからどうも北京オリンピックは純粋に私としては楽しめないし見れないのである。
おそらく中国は国家プロジェクトで、オリンピック開催が決定した時から全国の有望な少年少女を集め、優秀なコーチとそれを科学的に支えるサポート団と医師団が中心になって、ありとあらゆる競技に選手を送り込んできて、金メダル50個ぐらい獲るつもりでオリンピックに望んでいるだろう。たぶん50個ぐらい金メダルを獲るかもしれない・・・・・。それが国の力を誇示するのに必要だと考えている国だから、個人や一企業が中心になって選手を送り込んでいる日本とは違うのである。おそらく今回のオリンピックは日本には逆風が吹くだろうと私は考えている。前回のアテネのように日本勢は好成績を挙げられない。それは中国という巨大な組織を後ろ盾に持っている国家プロが大挙して参加するオリンピックに関してはなおさらだ・・・・・。それでいて中国人は中国が金メダルを獲るごとに歓喜して大騒ぎするのだろう。それがオリンピックというものであり、異様なナショナリズムを高揚させる代理戦争のようなイベントだと考えてるのかもしれない。こんな国でオリンピックを開催すると、日本のようなスポーツに金をかけない国の選手達は哀れなものである。いっそのことボイコットすればよかったのにと思うが、既に日本選手団は北京入りしている。今さら参加するななんていえないが、中国人の心ないブーイングに耐えて、金メダルなんていらないから、各自、精一杯実力を出し切ってもらいたいと思う。どうせ中国に有利な判定が加わるのは判っているのだから、それを乗り越えて戦わなくてはならないのである。
つまりオリンピックとは中国のような国においては、国民のナショナリズムを高揚させるのに都合の良いイベントであり、民主化弾圧を行なおうが、人権を踏みにじろうが、少数民族を制圧しようが、オリンピックを強行開催することにより、それらの意識を逸らすのには絶好の機会と考えているのである。だから北京オリンピックに対しては、私は興味も無ければ関心もない。だから観るつもりもない。せめてオリンピックから国家という柵を取り除いて、栄誉は選手個人か、競技の団体に送られるべきであって、何時までたっても国別メダル獲得数を競いあい、国旗掲揚と国歌吹奏なんてナショナリズムを奮い立たすようなことばかりやっているようなオリンピックは、やはり20世紀の遺物といわれても仕方が無いと思うけど・・・・・。
ああ、そうか北京オリンピックの開会式は夜に行なうのか・・・・・・・。昔はオリンピックの開会式というと昼間に行なうもので、整然とした選手の入場から始まって、開会宣言、大会旗掲揚、選手宣誓、聖火の点火と決まっていたが、1992年のバルセロナ・オリンピックあたりから夕方~夜に開会式を行なうようになってしまったようだ。理由は色々とあるが、だんだんとショー化するオリンピックの開会式そのものを夜に行なった方が、炎や照明を駆使して、より幻想的で印象的な演出が可能になるからと考えられるからだろう。
それで当初から北京オリンピックに懐疑的だった私自身も、その演出に見入ってしまい暫くはテレビの画面から視線を逸らせなくなってしまった。でもだんだんと佳境に入るにしたがって嫌気がさしてきて、とうとうテレビを切ってしまった。開会式では悠久の歴史を誇る中国の文化と発明品に拘り、紙を作っているところや印刷技術を紹介した映像、古い山水画から現代の宇宙開発にいたるまで、中国が如何に凄いかというところをこれでもかこれでもかと見せ付けるのに辟易してしまったからである。世界的イベントであるオリンピックを利用して、国家の力を誇示したいのはわかるが、ここまで鮮烈にアピールされるとチャン・イーモウの演出をもってしても、それ以上に中国という中華思想に毒された国の慢心ばかりが鼻についてしまう。能天気にイベントだから楽しいと見入ってしまう人には華麗なショーであろうが、皮肉屋の私としては一言二言、言いたくなってしまった。
中国はいったい何のためにオリンピック開催にこじつけたのか・・・・・・・・。それは国際化した民主的な中国がここまで素晴らしい国になったのだという事実を世界にアピールしたかったからであって、大会のスローガンOne World,One Dreamであるということらしい・・・・・。
でもそれは表向きであって、真実は世界に冠たる中国は今後も発展し続け、世界にその威信と実力を誇示するために、現代中国の強大さ長大さをぜひ世界の隅々まで浸透させなければならず、その目的の手段として世界中が注目するオリンピックを利用したということなのだろう。
別にオリンピックを開催してもらっても結構だが、国家プロジェクトで単なるスポーツ・イベントにしか過ぎない五輪を、国の実力を誇示するための大いなる手段として利用していることは何処から見ても見え見えなので、私としてはその辺り今回のオリンピックは当初から嫌悪感しかなかった。
中国はこのオリンピック開催にどれたけの金をつぎ込んでいるのだろうか・・・・・・・。慢性的に水不足の北京に水を供給しなくてはならないというので、数年も前から北京周辺の農民の水田に水を送らなくなり、彼らには米の生産をやめさせてトウモロコシの生産に切り替えるように一方的に命令を下し、北京の貧相部落の住民は追い出し、一方的に住居を破壊して近代的な超高層ビル街に変えてしまったり、内陸部に住む出稼ぎ農民には、北京オリンピックの間は目立つし邪魔になるというので、一方的に故郷へ送り返したり、急激に増えつつある自動車のために交通停滞が慢性的に起こりつつあり、それを防ぐ意味で強制的な規制をしたり、とにかくオリンピック開催のためには、人民の生活を踏みにじろうともお構いなし。すでに少数民族を弾圧しているところは誰もが知っている歴然たる事実であるが、中国政府は臭いものには蓋をしようという隠微体質で、一向に透明化されない体制下にある。
『一つの世界、一つの夢』だなんて、表向きは建前で如何にも平和の祭典を開催するのに都合の良いスローガンを掲げて、どうにかオリンピック開催に邁進してきただろうが、やはり表と裏では180度違う顔が見え隠れしている。だからどうも北京オリンピックは純粋に私としては楽しめないし見れないのである。
おそらく中国は国家プロジェクトで、オリンピック開催が決定した時から全国の有望な少年少女を集め、優秀なコーチとそれを科学的に支えるサポート団と医師団が中心になって、ありとあらゆる競技に選手を送り込んできて、金メダル50個ぐらい獲るつもりでオリンピックに望んでいるだろう。たぶん50個ぐらい金メダルを獲るかもしれない・・・・・。それが国の力を誇示するのに必要だと考えている国だから、個人や一企業が中心になって選手を送り込んでいる日本とは違うのである。おそらく今回のオリンピックは日本には逆風が吹くだろうと私は考えている。前回のアテネのように日本勢は好成績を挙げられない。それは中国という巨大な組織を後ろ盾に持っている国家プロが大挙して参加するオリンピックに関してはなおさらだ・・・・・。それでいて中国人は中国が金メダルを獲るごとに歓喜して大騒ぎするのだろう。それがオリンピックというものであり、異様なナショナリズムを高揚させる代理戦争のようなイベントだと考えてるのかもしれない。こんな国でオリンピックを開催すると、日本のようなスポーツに金をかけない国の選手達は哀れなものである。いっそのことボイコットすればよかったのにと思うが、既に日本選手団は北京入りしている。今さら参加するななんていえないが、中国人の心ないブーイングに耐えて、金メダルなんていらないから、各自、精一杯実力を出し切ってもらいたいと思う。どうせ中国に有利な判定が加わるのは判っているのだから、それを乗り越えて戦わなくてはならないのである。
つまりオリンピックとは中国のような国においては、国民のナショナリズムを高揚させるのに都合の良いイベントであり、民主化弾圧を行なおうが、人権を踏みにじろうが、少数民族を制圧しようが、オリンピックを強行開催することにより、それらの意識を逸らすのには絶好の機会と考えているのである。だから北京オリンピックに対しては、私は興味も無ければ関心もない。だから観るつもりもない。せめてオリンピックから国家という柵を取り除いて、栄誉は選手個人か、競技の団体に送られるべきであって、何時までたっても国別メダル獲得数を競いあい、国旗掲揚と国歌吹奏なんてナショナリズムを奮い立たすようなことばかりやっているようなオリンピックは、やはり20世紀の遺物といわれても仕方が無いと思うけど・・・・・。
*Comment
uncleyie様
お疲れ様です。北京オリンピック・・・そう言うご意見を待っておりました。
小学2年の時に見た「メキシコオリンピック白黒画面の三宅兄弟」。6年の時の「ミュンヘン
男子バレーボールの金」(南キャプテンも猫田さんも亡くなりました・・・男子体操も好きだったか・・・)。高1の時のモントリオール(別に好きでは無かったけど印象的なのはコマネチか)。その後、モスクワのボイコット・・・。それ以降は・・・・。ロスの開会式で空を飛んだ人、
陸上カールルイス・・・体操ニッポン森末、具志堅。その後は・・・何だか希薄になった部分が多いですね。鈴木大地、田村(谷)亮子、有森裕子、高橋尚子・・・出てきましたが。
単に自分が年を取っただけなのか。興味は薄れたけど取り合えず見ているTV、中国選手の多種目に渡る上位キープ・・・・さすがだ。でも、日本・・・・気合だ。頑張れ。「楽しめた」
と言う前に死に物狂いで頑張れ。ウーン、文句言いながらも暑くなるオリンピック。
お疲れ様です。北京オリンピック・・・そう言うご意見を待っておりました。
小学2年の時に見た「メキシコオリンピック白黒画面の三宅兄弟」。6年の時の「ミュンヘン
男子バレーボールの金」(南キャプテンも猫田さんも亡くなりました・・・男子体操も好きだったか・・・)。高1の時のモントリオール(別に好きでは無かったけど印象的なのはコマネチか)。その後、モスクワのボイコット・・・。それ以降は・・・・。ロスの開会式で空を飛んだ人、
陸上カールルイス・・・体操ニッポン森末、具志堅。その後は・・・何だか希薄になった部分が多いですね。鈴木大地、田村(谷)亮子、有森裕子、高橋尚子・・・出てきましたが。
単に自分が年を取っただけなのか。興味は薄れたけど取り合えず見ているTV、中国選手の多種目に渡る上位キープ・・・・さすがだ。でも、日本・・・・気合だ。頑張れ。「楽しめた」
と言う前に死に物狂いで頑張れ。ウーン、文句言いながらも暑くなるオリンピック。
smokybear |
2008.08.10(日) 10:13 | URL |
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私が初めてオリンピックを意識したのは、1960年のローマ・オリンピックでした。まだ生中継ではなくて、録画を放送していた頃です。小野喬の鉄棒が有名でした。また水泳の山中毅、田中聡子の活躍に刺激を受けました。そして、1964年の東京オリンピックでしょうか。小学生だった頃ですが、毎日、観ていました。三宅義信の重量挙げ、陸上男子100mのボブ・ヘイズ、水泳のドン・ショランダー、ボクシング・ヘビー級のジョー・フレイジャー、体操の遠藤幸雄、跳馬の山下跳び、吊り輪の早田、ベテランの小野・・・・・。柔道の猪熊、ヘーシンク。レスリングの渡辺長武。マラソンのアベベ、円谷。そしてバレーボールの東洋の魔女。
4年後のメキシコ・オリンピックでのサッカーの銅メダル。君原健二のマラソン銀メダル。男子体操にベラ・チャスラフスカ。
1972年のミュンヘン・オリンピックは、男子バレー・ボール。水泳のマーク・スピッツ。体操の塚原が月面宙返り。でもこの頃まででしょうか・・・・・真剣に見ていたのは。
その後、東ドイツが国威発揚の場とオリンピックを掻きまわしてしまった。女子選手にホルモン増強剤を飲まして、サイボーグのような選手が大量の金メダルを獲得し始めたのは、モントリオール・オリンピックからでした。このあたりからオリンピックは影の部分が目立つようになりました。
今やオリンピックはプロが参加し、記録の上でも格段の進歩がなされました。かつてアマチュアが、練習を積んで好成績を挙げるといった大会ではなくなり、国家戦略で選手を育成し、国の威信をかけてメダル狩りに躍起になるといった間違った方向に向っています。結局、オリンピックは肥大し、拡大し金が動き、同時に腐敗も生んでいます。これからもオリンピックを続けるのなら、もっと規模を縮小し、原点に返って素朴な大会であるべきだと意を強くしています。ただ国威発揚の場と化した超大オリンピック開催には疑問以外の何物でもありません。
もっとシンプルに平和な一つのスポーツ大会であるべきだと思います。何カ国もの国家元首が来て、開催したからといって政治色がむき出しのオリンピックは嫌悪感以外の対象でしかなくなってしまいました。東京も2016年の立候補を取り下げるべきです。まだ招致運動続けるのなら、今度は東京も叩きますよ・・・・・・。